十四話 秘密
次の日。
早朝よりセレカティアと合流後、クリスに言われた通り、各々別れて捜索に当たった。しかし、入れる場所にはミストの姿は見当たらない。自分達が入れない様な部屋をミリに頼んでみたものの、得るようなものは殆ど無かった。
「どこにもいねぇ……。敷地内から出てんじゃねぇのか……?」
本来居るべき舞踏室のソファに座り、カイトは疲れた様子でぼやいた。
「まぁ有り得る。元は一般市民だから行く場所も多いし、探すとなれば骨が折れそうね」
ソファには座らず、腕を組みながら天井を見上げるクリスさえも沈んだ声で答える。途中参加であるセレカティアも念の為にという事で、クリスが探索した部屋等を隙間なく歩き回ったものの、成果無しだったようだ。
「ここ広すぎ……二人とも良く回れたわ……」
カイトの横でぐったりとするセレカティアは彼の二の腕を軽く小突き、深いため息を吐く。
カイトは彼女の嫌がらせを無視し、クリスに目を向ける。
「知り合いに聞けねぇのか? 何処に良く行っていたとか」
「聞けたら世話ないよ。変に聞き出そうとすると、不審に思われるわ。只でさえ信用が薄いのに、これ以上薄くする訳にはいかないし」
滞っていたとしても、最短ルートを辿るのを断固として拒否する。最悪の場面を極力避ける為の配慮なのはよく分かるが、進まなければ、それこそ信用を失うのではないだろうか。
そう思ったが、彼女の横顔を見る限り、聞き出すと言う手段を取らないのが深々と伝わってきた。
普段は適当な所が多く、こちらの気さえ抜けてしまいかねない性格をしているのだが、仕事となると、とにかく最善を尽くす。相手の要望を聞き入れ、取り分が少なくなったとしても受け入れてしまう。挙句の果てには、ミストが原因で使い物にならなくなった物を交換さえしてしまう時があるくらいだ。
尊敬が出来て、出来ない彼女だ。
「おじさんの事はミリちゃんに任せてはあるけど、大丈夫かな?」
心配そうな声を上げる彼女に、横目で見やる。
「自分が言っておいてそれかよ。大丈夫だろ。特に害はなさそうなおっさんだしよ」
「まぁそうだとして、書斎にはメイドさんが時々行くのよ。しかも、一時間以上も滞在してるみたい」
「それがどうかしたのか」
「考えてみなさいな。男女二人で長時間。考えられるのは、二つよ。掃除とか身の回りの世話と……情事」
その言葉に、セレカティアが『あぁ……』と鬱陶しいとばかりに呟く。
最後の言葉でカイトは完全に彼女の方を見やり、睨みつける。
「おい」
「ミリちゃんも母親になれる歳だけど、ああいうのには耐性ないでしょうし、ろくに調べなさそうね。金持ちの考えてる事なんて、金と性欲とその他でしょうよ。好みの人間を見つければ、金で釣ろうとするし、気に入らない」
「なんだその先入観。嫌な事でもあったのか?」
睨みつける事をやめてそう問いかけると、クリスはあからさまに嫌な顔をし、片手で目頭を揉んだ。
「体験した訳じゃなくて、嫌なものを見たのよ。今は消えたけど、事務所を立ち上げたばかりだった無名の私に金持ちが依頼してきたのよ。還し屋の私とメイド二人の三人がそいつの屋敷に同じ日に来た。当然、各々の仕事をするんだけど、明らかに依頼主の私達に対する目がおかしかった」
そこまで聞いて、カイトは顔を引き攣らせる。
大体察する事が出来た。その依頼主は、還し屋として彼女を雇った訳ではなく、貧乏でとにかく仕事を欲する美女として雇ったのだろう。
「やたら体に触ろうとするし、報酬の釣り上げを突然してくるし、目線もおかしい。別目当てなのがバレバレだったけど、メイド二人は涼しい顔してたわ。最初は場慣れしてると思ってたけど、違う慣れ方をしてた」
一拍置くように、深くため息を吐く。
「居るかもしれない場所に行くとミストは居なかった。移動したんだと数日、敷地内を走り回っても一向に見つからなかった。ここで誰が死んだとか聞いてみると、不思議な事に誰も死んでなかったそうよ。で、疑問に思って夜、依頼主の部屋に乗り込んだら……」
その場面を思い出したのか、心底忌々しいという感情が伝わってくる舌打ちが彼女の口元から聞こえてきた。
「二人の内の一人がベッドに寝てたわ。そこで嘘だと確信して、叩きのめした」
「それは……ご苦労様で……」
思わず労いの言葉を向ける。それほどに、彼女の表情が憎らしさに染まっていたからだ。
「主語無しの初めてが、まさかその初めてだとは思わなかったわよ。えぇそうよ、無いわよ。まだ二十歳だったしね! 今もだけどっ」
「もういい。生々しい……」
上司のそういった事情など聞きたくない。
カイトは話を無理矢理切り上げると、この屋敷の主であるファルトの話題を上げる。
「あのおっさん、何でミストにあんな興味持ってんだ? いつも気になってたんだけどよ」
すると、クリスとセレカティアが『何言ってんだこいつ』と言いたげに目を細めさせ、呆れた様子でため息を吐いた。
「あぁ……、あなた新聞読まないんだったね。元々差別嫌いの人だから、嫌われてる還し屋について調べて、対談もしたのよ。で、還し屋側の意見などを記事に載せて、偏見の払拭をしたのよ。そのお蔭で、前よりかはましになったの」
「へぇ、そこまでは知らなかったな」
「還し屋で知らないのあなたくらいじゃないの?」
すると、セレカティアは
「姐さん、あたし……こいつの先輩なのが恥ずかしいです」
絶望感溢れる呟きをする。
「失礼だろ、お前……」
「還し屋として失礼なのは、あんたでしょうが」
クリスがカイトから視線を外し、ミストによって紫色のカーテンの、一部が白く色あせてしまっている部分に目を向けた。それに倣い、カイトとセレカティアは色褪せた部分がカーテンに目を向け、歩み寄る。そして、不自然に色褪せた部分に、顎に手を当てて唸った。
ミストがその場に存在し続けるだけで、あらゆるものに害を与えていく。カーテンもそうだが、草木も早い段階で枯れさせてしまうのは迷惑なものだ。それに加え、少なからずも、人体にも影響し、体調不良を引き起こす場合もある。しかし、体調不良に関してはその場を離れれば、すぐに回復する為、重大視する必要がなく、還し屋である自分達も、特に気にする対象ではない。
「なぁ、クリス。これはいつから出来たんだ?」
「ん? 資料読んでないの?」
「……あることすら知らねぇよ」
目を細め、睨みつけると、彼女は『あぁ、酔ってるから見せるの酷と思ったまま、忘れてたわ』、と何もない空間を見上げては頭を掻いた。
「一年程度って書いてたわね。汚れの範囲からして、間違いないわ。それがどうかした?」
クリスはカイトの傍まで歩み寄り、首を傾げさせ、汚れの一部に視線を落とす。
「こんなになるまで放置してる神経が分からないわ。いくら怖いからって少しくらい綺麗にしなさいよねぇ」
カーテンを少し摘まんでは、怪訝な表情を浮かべさせる。そして、汚れが付かないように乱暴に放したが、指先には少量の汚れが付いてしまい、小さく舌打ちする。
放された事で、不規則に揺れるカーテンが表と裏を交互に翻っていく。表の白い汚れ、裏の綺麗に光る紫。一色で統一されている物とは考えられない色合いは、人を不安にさせるのではないか、そんな気がした。それに加え、一つの疑問が脳裏に浮かんだ。
一年でここまで汚れるのは、長年還し屋をしている彼女が言うのだから、本当の事なのだろう。しかし、それは移動し続けるミストでも同じことなのか。そこに存在し続けるからこそ、その様な状態になるのであって、姿を消し続けていれば、進行しないのではないのか。
「クリス」
カイトは彼女の腕を掴む。それに対し、彼女は所長と呼ばれなかった事が不服に思ったのか、顔を僅かに険しくさせると、額に指を弾いてきた。
「なに? 『所長』に質問でもあるの?」
所長の単語を強調するように言葉を発し、彼を睨みつける。カイトは赤くなった額を擦りながら、カーテンを掴み、翻させた。
「姿も見えない奴が居ても、こんなになるとは思えねぇ。それに、こんな差が付くもんなのか?」
白く汚れた表とは打って変わって、綺麗な紫色をした裏を見るなり、クリスの表情が明らかに曇った。
彼女の表情からして、このような現象は異常なものだと理解出来た。彼女はカーテンの表と裏を交互に見た後、片手で顔の下半分を覆い、仕切りに人差し指の先で頬を叩く。その際、何かぶつぶつと呟いているのが聞こえたが、どういった内容なのかまでは聞き取れなかった。
「クリス?」
「腐食剤ね」
クリスがボソッとそう呟いた。
「それも、少量で適当に。裏にまで浸食しない量ってのが舐めてるね。私達、還し屋を馬鹿にしてるんじゃないの?」
苛立たし気にクリスはカーテンから背を向け、ドアの方へと歩き出す。
「何処に行くんだよ? ここはどうすん――」
「もういい」
全て言い終える前に、クリスはこちらを振り返る事はせず一閃した。
「偽装よ、それ。ここにミストが居たと思わせようとしたみたいね」
「そんな事する必要があるのか?」
「皆無ね。倉庫でファルトの奥さんが亡くなったのは大体、四年前。噴水前が、その半年後。木の下が二年前。四人目は一年前。ここじゃないとしたら、ミストになっていない可能性があるわ」
けど怪しいわ、と続ける。
「四人の死因は、奥さんから病死、溺死、発作、頭の強打。生前の話を聞く限りでも、現れる理由に繋がるものばかりだし、どれが嘘なの……?」
自分が見てきたのは、噴水と木の下のミストだ。噴水でのミストは、確かにその場に存在していたので、死因が溺死なのは問題ないだろう。もう一方のミストは、木の下で息絶えたメイドなのは間違いない。しかし、彼女が発した死因のどれにも当てはまらない。順番からして、発作が死因となっているようだが、彼女の友人であったメイドの言葉とは明らかな矛盾があった。
「ちょっと待ってくれ。その発作ってのは木の下で死んだメイドの事か?」
「えぇ、そうよ? 元々持病を持ってたらしくて、休憩中に発作を起こして亡くなったって書いてあった」
やはり死因が違う。理由が発作によるものして扱われているが、メイドのあの表情から嘘だとは思えない。舞踏室での偽装があるように、死因の偽装も有り得るのではないだろうか。
「そのメイドの友人から聞いたが、そいつ、血を流して死んでたみたいだぞ」
「……それ、本当に言ってるの?」
こちらを振り返り、怪訝な表情を浮かべる彼女に、カイトは頷いて見せる。
「嘘を吐いてる風には見えなかった。その書類、間違ってんじゃないのか?」
「……そう」
顎に手を当て、考え込む。そして、すぐに手を外すと再びこちらに背を向け、ドアノブに手を掛けた。
「もう一度、ミストを見て回るわよ。で、他の人にも色々聞く」
そう言い残し、返事を待たずして部屋から出て行ってしまう。
二四歳と言っても、自分の感情だけで行動してしまう傾向があるのを、彼女の元で働いて数年間で学んだ。自分に対しては、大人として接しているつもりようだが、細かいところで子供みたいな態度を取っている事があり、時々呆れてしまう。
(これだから、尊敬できるか微妙なんだよな……)
そう思いながら、彼女の後を追う為に部屋を出た。
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