十五話 正体
『普通のおじ様ですね……』
書斎にて、黙々と山のように積み上げられている書類一つひとつ目を通し、自分の名を書き続けるファルト。その隣で、ミリは机に腰掛けながらそれを眺めていた。
書類の内容は様々で、経営しているバーや会社の案件など。そして、還し屋に対する援助金のものだ。普通どころか、働く人の数倍の仕事量こなしている。この数時間、席を外さずに書類と向き合っており、余所見をする事も一切無かった。手が止まるとしたら、傍に置かれた一杯のコーヒーを少し喉に流す程度だ。
『仕事熱心の方です。尊敬します』
机から降りると、ドアに向かいあう形で端から端まで並べられた本棚に視線を移す。本棚には隙間が無く、どれも見た事が無い物だった。記憶を失っているミリにとって、全ての本が初見である為、仕方がない。
本の種類は様々で、地域の資料や小説。そして、ミスト関連。ミスト関連のものは他の本よりも多く見受けられた。何度も繰り返されて読まれている形跡があり、他の物より汚れている。
ミストについて関心を持ち、援助をまで行う。カイトやクリス、還し屋にとって、彼は欠かせない人物なのだろう。ミストに詳しくない自分にとっても、無くてはならない存在なのが理解できる。
ミリは不意に訪れる違和感に、眉を潜めさせる。
『またですね……』
胸の奥で何かが刺激してくる。しかし、その正体が分からない。失った記憶に関係しているものなのは、少なからず認識出来るのだが、思い出そうと頭を働かせると小さな頭痛に襲われてしまう。まるで、思い出す事を拒絶するかのように。
『私は何なのでしょうか?』
何故、生きてミストになった。何故、あの場所を目的も無く走っていた。何故、何もかも思い出せない。どんな人間だった。今の自分は、記憶を失う前の自分と差異の無いものなのか。
本当の自分が怖くなる。
現時点では、思い出す事は出来ない。けれど、いつの日か思い出したい。
『けど、今はカイトさん達の役に立つ事が大事ですね。ですが、暇……です』
少しだけ、ここを離れてもしまおうか。役に立ちたいとは言え、ここまで暇を持て余してしまうと、どうしようもない。
『少しだけ……少しだけ……』
ミリはそう言い、本棚の方に向かって歩き出す。
屋敷内はカイトとの行動、ファルトの追尾で散々見て回った。残すは、広範囲に広がった庭だけだ。行っていない場所はまだまだあり、この暇を潰すには絶好なものだ。しかし、全て見て回る訳にはいかない為、制限時間を設けての行動になる。
本棚をすり抜ける時に目をきつく閉める。そんな事をしなくとも、問題なく抜けられるのだが、物の断面が見えてしまう事が自分にとってあまり良い刺激にはならないからだ。
(そろそろ抜けたかな?)
目を閉じてから数秒が経った。ファルトの書斎の位置からして、本棚の先には、分厚い壁が隔てているだけだと考えている。この数秒であれば、今頃は壁をすり抜けているころだろう。
そう思い、ゆっくりと目を開ける。
『……え?』
予想に反した光景に、間の抜けた声が口から洩れる。
部屋だ。窓一つない、異様な部屋。明かりが一つも無く、自身の体から放つ光だけがこの部屋に明かりを灯していた。この時初めて、自分の体が便利だと感じてしまい、何とも複雑な気持ちになってしまう。
『秘密の部屋ですか。男の人って、こういうの好きですよね……』
記憶の殆どが無いのに、自然とその言葉が出る。
書斎に比べ、殺風景な部屋で、隅には日記と思われる手帳が無造作に置かれた机のみが設置されていた。
机に歩み寄り、日記を読もうと手を伸ばしたが、今の自分では何も触れられない事に改めて自覚し、伸ばしていたのを引っ込めた。そして、小さくため息を吐いた後、ふと机に面していた壁に視線を移す。
壁には大きな紙を何枚も結合させたものが貼られており、一定の間隔を空けて、四枚の写真が貼られ、その下に幾つもの文が羅列されていた。
『……え、これって……』
発光する自身の手で紙を照らし、見え辛かった内容を見落とさずに丁寧に読んでいく。そして、その大々的に貼られていた内容に、ミリは目を大きく見開かせた。
あの人は、あの人は決して良い人ではない。
知らせなければ。
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