十一話 疑問

「うぅん……?」

 クリスは老朽化が進んだ木の箱が設置されている物置部屋で腕を組んで唸っていた。

 物置部屋は長い間掃除を施されておらず、埃が溜まりに溜まって鼻を刺激してくる。なんでも、この部屋にミストが現れて以来、メイド達が掃除を放棄してしまっただという。

「ここは奥さんが亡くなった場所で良いんですよね?」

 クリスの問いにヴァールは頷く。

「はい。奥様はとても綺麗好きな方でした。部屋、廊下はメイドに丁寧に掃除するようにと仰っておりまして、この部屋は特に。亡くなった日も、ここに」

「なるほどね」

 顎に手を当て、一つの疑問が浮かんだ。

 四年間、この場に存在しているにしては、老朽化の進行が遅い。四年。下手をすれば、この部屋全ての物が老朽化していてもおかしくない。しかし、数箱だけが古くなっている程度で、還し屋にとっては不自然な状況となっている。

(耐久性もなさそうだし、どうして?)

 むずむずする鼻を押さえ、眉を潜めさせていると、ヴァールが軽く頭を下げ、口を開いた。

「あらゆる場所に巣食うミストに殺された、とメイド達が怖がってしまいまして……このような有様に。折角見て頂いておりますのに、申し訳ありません」

「いえいえ。案内して頂けただけで十分です」

 クリスは笑みを浮かべてそう返すと、妻と言われるミストに背を向ける。

「じゃあ、次の場所をお願いできますか?」

「かしこまりました」

 ヴァールは礼儀正しく頭を下げると、背にしていたドアを開けて外に出て行った。その後ろをついていき、他の部屋のドアとは一回り違う一室へと案内された。

 大きなドアを開けば、そこにはレッドカーペットが一面に広がっており、天井にはシャンデリアが吊るされていた。部屋の隅には長方形のテーブルにクロスが引かれている程度で、特に高級そうな置物などは置かれていなかった。

「舞踏室、ね」

 クリスは部屋の壁に巨大な鏡に目を向けて呟く。

 あの鏡は踊っている自分や他人の姿を見る為の物だろう。良く利用されているという事もあって、汚れ一つ無い綺麗な鏡だった。部屋も同様で一目で手入れが行き届いているのが分かる程だ。しかし、一か所だけが異様なものとなっている。

 それは、鏡の傍に設置されているグランドピアノと窓のカーテン。黒で塗装されているピアノの足の色が不自然に落ちていた。カーテンに置いては、紫色なのにも関わらず、下部分が、カビが生えた様に薄く白くなっている。

「あそこだけど……」

 ミストが居ない。

 あの場所に居たのは間違いない。だが、居ないという事はどこかに移動しているという事だ。

 つまり、ミリと同じ状態のミストという事だ。

「どうなさいました?」

 クリスの様子の変化に疑問を覚えたヴァールが問い掛けてきた。

 どこかに行ったと言わないべきか考えたが、言葉を濁したとしても、直ぐにばれてしまうだろう。そうとなれば、素直に言った方が面倒を起こさないで済む。

「ミストが居ないようです」

「……左様でございますか」

 特に驚いた様子を見せない彼に、クリスは数回瞬いた。

「驚かないんですね」

「えぇまぁ。稀にその様な事があると読んだ事がありますので」

 少しばかり調べてという事か。ミストが自分達の住む屋敷となれば、必要最低限の知識を頭に入れておきたい筈だ。そうする事で、得体の知れない恐怖を少しでも和らげられるのであれば、誰もがそうするだろう。

 ミストが居なければ、ここには用は無い。この広い敷地内には居るはずだから、時間をかけて探し出すしかない。

「ファルトさんに報告しないとですし、案内をお願いします」

「旦那様は晩餐室だと思われますので、ご案内します」

「まだ早いと思いますけど、いつもこの時間に?」

 現在は午後五時を少し回った頃だ。家庭によるが、夕食にするには少しばかり早いと思えてしまう。ノムシアーナ家では、この時間帯が常識なのかもしれない。

「旦那様はお一人でお食べになられるのを好んでおられるので。今回はクリス様とカイト様がお見えになられ、久しぶりに人と食事をなさいたいと仰っておりました」

「なるほど」

 クリスはヴァールと共に舞踏室から出て晩餐室へと向かった。向かっている最中、何人かのメイドや執事出会うと、軽く会釈する。だが、彼らはぎこちなくし返してきては、そそくさと去って行った。

(ま、これが本来の反応だしね)

 得体の知れないものを相手にする職業、還し屋。視えない者からすれば、何もないところで意味の分からない仕草をしているに過ぎない人間だ。正直、視えないのを良い事に、金を騙し取る事だって可能である。実際、それによって騙された者も存在する。汚れ仕事の他、信用出来ない職業でもあるのだ。

 その為の信頼関係だ。

 単純に仲良くなりたいという願望の方が強いが、確かな信頼関係を築く事で、相手も安心して仕事を頼む事も出来る。他の職業よりも特別厚い壁を少しでも取り払う努力を惜しまなければ、碌に動けない。

 晩餐室がある廊下を歩いていると、前からカイトとミリがメイドに連れられている姿が見えた。こちらに気付いた為に、軽く手を振ってはみたが、それが気に食わなかった様だ。視線を逸らして見なかった事にしてしまった。

(あのガキ……)

 晩餐室前まで来るなり、カイトの頭を強めに叩く。

「ちょっとは可愛げある事しなさいよ」

「お前は歳相応の事しろよ」

 叩かれた箇所を押さえながら反論してくる彼の後ろで、ミリがどうすればいいのかと慌てふためいている。

「どうぞ、お入りください」

 ヴァールとメイドが片方ずつドアノブを握ると、晩餐室へと続く扉を開く。

「お二方は?」

「……三人でという事ですので」

「そうですか」

 クリスはそう言い、二人に頭を下げて中に入る。中には十数人が向かい合って食べる程に長いテーブルが広い部屋の中心に設置されており、テーブルクロスの引かれたテーブルの上には、三人で食べ切れるのか心配な程の量が並べられていた。

「やぁ、お疲れ様。適当に掛けてくれ」

 先にナイフで切った分厚いステーキを口に運んでいるファルトが、フォークで並べられている椅子を差した。

 クリスとカイトはファルトから遠すぎず、近すぎずの椅子に腰掛ける。ファルトとの距離は、椅子五個分。話をするには影響の無い距離だ。ミリが傍に居る分、カイトがボロを出してしまうという危険を少しでも防ぐ為である。それに加えての隣同士。彼は不服かもしれないが、手段を選んでいられない。

『美味しそうですね。こんなの初めて見ましたっ』

 目の前に並べられている高級料理に目を輝かせているミリを僅かに振り返るカイト。心配していた事を早速しでかす彼に、クリスはあからさまに舌打ちをする。

 それに気付き、カイトは急遽、虫を払う様な仕草をしてミリへの視線を遮った。

『もしかして……話せない……?』

 背後で今にも消え入りそうな声が聞こえてきたが、彼女を振り返らずにいると、短い悲鳴が聞こえてきた。

『そ、そんなぁ……』

(我慢しなさい)

 心の中で宥め、ファルトへ視線を向ける。

「そうだ、ミストを見て来たんだろう? 報告してもらおうか。カイト君からお願い出来るかな?」

 話を振られたカイトは僅かに眉を動かし、小さく頷く。

「クリス――」

 名で呼ばれたので、彼を睨みつけると、開いていた口を塞ぎ、体を震わせた。そして、再び口を開く。

「所長に言われた通り、庭に居るミストを見て回ってきました。教えてもらった通り、ニカ所に存在していました」

 使い慣れていない敬語に違和感を覚えつつ、彼の話を聞いていると、ファルトが軽く拍手した。何処に拍手する要素があるのか疑問に思ったが、彼に習って拍手する。

「簡潔でいいね。どうやら、本当にミストがうちの敷地内に居たようだ。次はクリスさん、彼みたいに簡潔にお願い出来るかな?」

 あの説明でいいのか、と内心思いながらも彼の言った通り、簡潔に答える為に口を開いた。

「私が向かった物置部屋には、情報通り、ミストが存在していました。あの場所には、貴方の奥様が亡くなったで正しいのですね?」

「あぁ、そうだ。だが、今は報告だ。続けてくれ」

「……舞踏室には、ミストは居ませんでした」

「ほう」

 その言葉にファルトは興味深そうに目を細めさせ、動かしていた手を止めてクリスの話に集中し始める。

「稀に見るケースでして、どこに居るのか分かりません。ですが、この敷地内から出る事は有り得ませんので、必ず見つけ出します、ご安心を」

 敷地内から出ないという事は嘘だ。しかし、こう言っておかなければ、相手が納得しないのは経験から学んでいる。言葉を濁して良い方向に向かうという事は殆どない結果だ。

 ファルトはクリスの報告に拍手をし、止めていた食事を再開させた。

「さぁ食べてくれ。その居なくなったミストを探し出し、還してもらうまで帰さないから、そのつもりでいるように」

 彼に促され、クリスとカイトは軽く頭を下げてから目の前に置かれているナイフとフォークを手に持ち、分厚いステーキを切り分けていく。旨味と油が口の中で広がっていく中、クリスは考えた。

 物置部屋と舞踏室に向かっている間、念のためにいくつか部屋を回ってきた。問題外の部屋だったので、特に怪しいものは無かったのだが、本来存在するべき場所にミストが居ないとなれば、全ての場所が探索対象に挙がった事になる。

 この屋敷の大きさだ。一部屋一部屋探すのは骨が折れる。居なくなったミストは、まだ探していない場所へ移動しているのだろうが、五か所目が見つかっていない。

(誰にも目の届かない場所って事よね)

 それが何処なのかは分かる筈が無い。

 最後のミストを探し出すのは予想以上に時間が掛かる事を考えておかなければならないだろう。

 そう思いながら、普段食べられないステーキを味わった。

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