第4話「当選」
手元にあるこの封筒は私にとって現実から逃避するための手段であったが、今度はまた別の現実が私を押しつぶそうとしている。しかし全ての結果は私の行動から出発している。
あのスーツを着た若者と私の間で決定的に異なる部分は焦りの有無だ。どうにでもなるし、どうにでもなれというのが私の今の発想だ。ほのぼのと生きていたところで大逆転は起こらないが、スリルに身を任せることで新しい道が開けるかもしれない。ずっと気になっていたアパートに近付くことで何か見えてくるものがあるかもしれない。これまで見えなかった景色を見てみようじゃないか。いざという時には悪意や他意はなかったという言い訳をすることにしていた。しかしその道を自ら絶つことにした。
この中身を私は知らない。私の人生を大きく狂わせるかもしれないが、これはまさしく新境地に降り立った証でもあり、どこか未知の場所へ行く為のチケットになりうる可能性だってある。
その後、3ヶ月が経つまで茶封筒の中身を見ることはなかった。
すっかり寒くなったが、本格的な冬はこの後やってくる。雪こそ降らないものの、いつ降り出してもおかしくない程の肌を引き裂くような鋭い冷気が身を包む。しかし眠い目をこすりながら冷たい衣服に身を包み渋々と家を出るという生活が一時的な終わりを迎えた。
年内の業務が全て終わり、年末年始の休みに入った。この時期は毎年同じようなことを繰り返している。営業最終日に社内清掃を行い、その後簡単な忘年会が開かれ、日を跨ぐ前に解散になる。
次の出社日は1月4日ということになっているので、1週間程度の休暇に突入する。大晦日の夕方に埼玉の実家に帰るのが通例となっていて、今年も同じ流れになることだろう。
ふとあの茶封筒が気になった。
あれ以来、大きな騒ぎにもなっていなければ、個人的な連絡が舞い込んでくることもない。あの駅を通過することはあれど、白いアパートには近づいていないどころかあの駅には一度も降り立っていない。車窓から伺う限りは相変わらず不動産の看板は堂々と掲げられているし、夜間にはこれまでと同様、ご丁寧にライトアップまでされている。学生がバタバタと飛び出していく様はしばらく見ていないし、扉が開かれるところも一度も見ていない。
今年起こった出来事だとは未だに思えないが、この茶封筒の存在が全てを物語っている。私は間違いなくあの部屋に侵入し、この茶封筒を持ち帰った。
何とはなしにその茶封筒を開けてみる。封はされておらず、中には1枚の紙きれが入っていた。それは色使いの激しい紙きれであった。御札程度の大きさではあるが材質はもう少し柔らかく、新しい感じのするものだ。普段購入することがないので見慣れないものではあったが、しっかり見てみるとそれは宝くじであった。抽選日はどうやら過ぎてしまっているようだが、引き換えは発表から1年間有効と言うことなので手元にあった携帯で宝くじの公式サイトを探してみる。お目当てのサイトは検索結果の最上位にやってきた。
宝くじのサイトは思ったよりもシンプルなデザインとなっており、テレビCMで良く見かける黄色いくじらも各所に点在していた。有名芸能人を起用した宣伝写真が掲載されている辺りに宝くじの収益のすさまじさを感じる。
このくじに記されている番号とこれから公式サイトで確認をする番号が同一ものであればその賞の金銭を手にすることができるという仕組みだ。トップページの左端に「当選結果のご案内」というボタンがあり、そこから今回の宝くじの種類を選んでいくと当選番号の掲載されたページに辿り着くことができる。
このくじがまさか一等を取っているなんていうことはあるまいと高を括り一等の欄に目をやるとどうやらとても近い番号を引き当てていたようだ。数字の並びがえらく似ていると感心してひとつずつ数字を拾い上げると、驚いたことにぴったり同じ数字が羅列されていた。何度読み返してもそれは同じ番号であった。
このくじを手にした日付を思い出す。もしかすると後出しかもしれないではないか。しかしあの部屋に入った日は、このホームページに掲載されている宝くじの販売日と重なる。年度を複数回確認しても間違いなく今年のものであったし、念のためにこの時の宝くじのデザインを画像検索で調べてみても、この手元にあるくじと同じデザインであった。
これは間違いなく一等のくじである。金額を確かめると3億円の当選額であるらしい。
しかしこれを売り場まで持って行くわけにはいかない。これは私が見知らぬ部屋で拾ったものである。盗品を持ち込めば部屋に無断で立ち入ったことがばれてしまう可能性があるし、これが偽造のものであればもっとややこしいことになる。
どこかで拾ったことにしてみたとしても、嘘には限界だってある。しがないサラリーマン生活から脱出できる片道切符である一方で、とんでもない地獄に叩きつける凄まじい一手にだってなりかねない。
この生活から一歩抜け出す為にあの建物に近寄ることにした。その結果、新しい世界への扉が目の前に現れることになった。私はどうすれば良いのか。年の暮れになり、紙切れ一枚に翻弄された。
ネオンの付いた白いアパート 鷓鷺 @syaroku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます