Chapter.6『僕らは虹を渡って』

6-1 分かたれた世界から



~第六番世界:オルニス王国首都防衛要塞~


 オルニス王国への機人襲撃から、四日目。


 事態はラタの知らないところで変化していた。


「プラネトス共和国が、消えた?」


 あまりのことに、アエトスは部下からの言葉を復唱していた。無論、返ってくるのは肯定だけだ。


「つまり、《界遇》が終わり、世界が離れていったということか」


 突然現れた世界はまた突然霧の向こうに消えるように離れていき、現在オルニス王国から見えていたはずの大地は跡形もなくなっている。要塞の最上階から東を見れば、確かにあったはずの何もかもがなくなっていた。レムリアさえも見えない。


「プラネトス共和国との連絡も途絶えています。援軍部隊が出発する準備段階だったということで、おそらく、こちらに辿り着くより早く、《界遇》も終了していたものかと」

「そうか。プラネトスが、離れていったか……」


 アエトスは静かに拳を握りしめる。部下にもその内面は理解できていた。


 もう、カヒナにもラタにも会うことはできない。そう突きつけられたのだから。


「プラネトスとの接続が切れたことは他言無用だ。いずれバレるとしても、今じゃない。戦線維持を最優先に。心もとなかろうとも、今ある力で俺たちの国を取り戻すんだ!」


 無い物ねだりをしている暇はない。

 世界は《界遇》を終えた。その事実は変わらない。


「援軍が現れることはもうない。最前線に、全力を注げ!」


 プラネトス共和国軍という援軍を失ったオルニス王国にこの一報が届いたのは、国王捕縛の一報が入った翌日だった。

 これ以上、兵士が諦める要因は欲しくなかった。



 一方、オルニス王国の最前線。そこはオルニス王国の、王都城壁周辺だった。


 絶えず弾丸と法術が飛び交う最前線。そこに兄王子の姿が見えた。他の駐屯地から派遣された部隊の駆る戦車に乗車し、彼は最前線の兵士たちに指揮を飛ばしていた。


「攻撃の手を緩めるな! 相手は確かに無尽蔵に思える戦力かもしれんが、本当に無限というわけではない! 奴らの防備を崩し、城下を奪還するぞ!」


 機人たちは王城を占領し、そこを拠点として活動範囲を広げていた。


 王城上空に浮かぶ鋼色の塊である彼らの基地から、同じ色をした液体が絶えず漏れて出ている。その邪魔をされたくないのか、兄王子がここを攻撃し始めた頃から、アエトス側への攻撃の手が緩まった。


「すぐにアエトスが援軍を連れてやってくる! そうすれば、奴らの基地を落とし我らの勝利だ!」


 機皇の軍勢は圧倒的多数だ。今ここで兄王子が奮戦していても、それで与えられる損害など彼らにしてみればさしたるものではない。

 だが、基地を落とせば形成が逆転すると、直感的に悟っていた。


「法術師隊、撃て!」


 兄王子の号令によって、強烈な雷の法術が戦場を飛び交う。大地を破壊しながら突き進む雷は、機人たちの群れで造られた壁を突き破る。機人たちの反撃もあるが、各地から集めた法術師たちの盾は強固だ。


 最初の襲撃では対応しきれなかったが、準備を万端にしておけば、防御に関しては問題ないだろう。しかし、機人たちも防御力は高い。相変わらず特殊合金ブレードか法術でなければ対応できない。


 一進一退と言えば聞こえはいいが、現実は少しずつ兄王子側の戦力が削られつつある。


「殿下、アエトス様からご連絡がありました。現在支援部隊を率いて王城へ向かっているとのことです。もうしばしのご信望を」

「なるほど、どこから来るとは言わないんだな、あいつは。よし、なら敵をこちらに盛大に引き付けてやろうじゃないか」


 そばで弾ける砲弾。爆風を側面から受けながらも兄王子は揺るがない。

 すでに奇襲準備を進めている弟を信じて、彼は自らのライフルを構える。


「プラネトスとの《界遇》が終わっているの、知ってるんだけどね」


 状況の変化は、すでに彼も知るところだった。


 援軍は来ない。それは篭城戦や消耗戦状態にある味方にとって、最悪の報告に他ならない。すでに限界ギリギリのところでどうにもならないと告げられるのだ。


 そのことは、アエトスもわかっている。

 そんな彼は、薄暗い場所にいた。


「ここの通路はまだばれていないと思うが、さてどうかな」


 ラタとカヒナが王城からの先行脱出を行った際に使った厨房の隠し通路とはまた別。そこにアエトスは訪れていた。

 すでに王城のほとんどは鋼色の液体に呑まれているだろうから、真下から攻撃するというのは不可能だと判断している。


 ならば、少しでも近くに出られればそれでいい。ゲストハウスに偽装した地下室の出口から外にでると、そこには機皇軍裏手だった。


「攻撃、開始だ!」


 アエトスの放った火属性精霊法弾を合図に、兵士たちも一斉に攻撃を仕掛けた。


   ◆◆◆


~第十五番世界:オルニス王国領事館~


 ラタとエアリアが辿り着いたのは、第十五番世界だった。


 摩天楼が広がる湾岸都市。カヒナの故郷でありラタとアエトスにとっては三年間の留学先でもある。つまり――プラネトス共和国だ。


「あれ、オルニスじゃない」

「……ラタ、キミ案外方向音痴?」


 どうやら少し着地点がずれていたらしい。


「方向音痴に密書の配達人が務まると思うなよ。けど、どういうことだ」

「あ、《界遇》しているからじゃないかな? それで着地地点がずれたのかも」


 なるほどと、ラタはエアリアの言葉に納得する。現在十五番世界は六番世界と《界遇》中、海を渡れば国に戻ることができる。秘積物が指し示した方向は、世界が接続しているゆえにずれたのだろう、と納得する。


 そこでまず二人が向かったのは、オルニス王国の領事館だった。プラネトス共和国へ交易に出向いたものもいれば、旅行に訪れた者もいる。彼らの安全のために領事館は存在するのだ。今のラタとエアリアが旅行者だったら、頼りになる存在なのだが。


「領事館はもう、機能不全と言っても過言ではない状態ですね」

「ええ、加えて――」


 辿り着いた領事館の館長からプラネトス共和国とオルニス王国の現状を把握するまで、さほど時間はかからなかった。


「オルニス王国との《界遇》が、すでに途切れている……?」

「はい。まだ一日も経っていません。カヒナ様を兵士の皆さんがお連れして、状況確認後部隊を派遣しようとしたところでした。突然世界が二つに分かれ、派遣しようとしていた共和国軍の援軍は、離れ行く世界のこちら側に取り残されることになりました」


 館長の話を聞き終えたラタは、両手で額を抑えた。

 なぜ自分たちがプラネトス共和国側に降り立ったのか、合点がいったからだ。


「《界遇》は確かに突然だった。けれど、終了もここまで突然なのか……」

「オルニス王国に辿り着く前に《界遇》が途切れたから、途中で降ろされたってことだね」


 プラネトスから送られるはずの援軍はない。加えて今こちらに残っているカヒナが、もう一度アエトスの下に向かう手段がない。


 たとえアエトスが機皇を打ちのめしていたとしても、彼らの望みは叶わない。

 この十年間、全てが無駄に終わることになる。


「アエトスはこの十年間、一心に頑張ってきたのにな……」


 泥沼化する戦争をいち早く終わらせるための水面下の裏交渉を、アエトスは一手に引き受けた。第二王子という立場を軽んじられたことももちろんある。主戦派の大臣から糾弾され、暗殺者を差し向けられたことだってあった。


 それでも、この馬鹿らしい戦争を終わらせたい。その願いと、カヒナともう一度会いたいという本人の希望があって、この十年間を乗り越えた。


 それが現在、《界遇》の終了という形で閉ざされようとしていた。


「この世界に来たのは、むしろ良かったかもしれないね」


 エアリアの言葉に、ラタは首を傾げる。


「まず、そう簡単に機皇軍はこっちにまで派遣されなくなった。世界を移動するんだったら、逆転大地ごと移動する必要があるはずだからね」


 確かにとラタは頷く。こちらの国の安全が確保できたことに一安心する。


「それにプラネトスからの援軍は送れないかもしれないけど、ボクらは行けるでしょ」

「あの秘積物があれば、ひとまず行き先ははっきりさせられる。落下地点はともかく、同じ世界には辿り着ける、からか。そこまでいければ、後は機皇をどうにかすればいい」


 ラタの言葉に、エアリアはゆっくりと首を横に振る。


「そこがなんとも申し上げにくいところさ。あいつを本当に倒そうと思うと、機皇たちの国を切り離すまでは安心できないからさ」


 機皇が複数の肉体を保有していることは、ラタもエアリアも身を持って知っている。だから体を破壊しただけでは根本的な解決には至らない。


「ならまずは機皇本人をどうにかするところからだが奴は強い。それに、世界の剪定とやらを止める必要がある」

「そこに関してはまっかせなさい! いいやり方があるからさ」


 そう自信満々に言う。


「と言うわけで、準備するから手伝ってね、ラタ」

「あ、ああ。わかった」


 なんだろうと思うが、エアリアが言うのだから、本当に何か策があるのだろう。そう納得したラタは、共和国内にいるうちにやるべきことを考える。

「館長。その、カヒナ……猊下に伝えてほしいことが――」


 主の妻は無事こちらに到達している。だからあとは、二人を無事再会させて披露宴を完遂すればいい。今はきっと意気消沈している親友に、せめて自分が無事だと伝えておいてもらおうと思ったのだ。


 その言葉は、扉の奥からするバタバタッという足音にかき消されていた。


「ラタくん!」


 豪快に開け放たれたドアの向こうに、白い聖女服に身を包む少女がいた。

 外聞も何も気にせず飛び出した少女は、ラタの首に両腕を回して抱き着いた。


「よかった、よかった……。いつまでもやってこないから、《界遇》も途切れてオルニス王国とも連絡ができなくて、アエトス様の状況はわからなくて。ラタくんは行方不明で、おじさまも打つ手がなくて。アエトス様に、会えなくなるんじゃないかって……」


 首を絞める勢いで抱き着くのは、プラネトス共和国前聖女にして、アエトスの妻、現ラタの主の一人たる、カヒナその人であった。


 彼女の発言内容が若干のループをし始めたのは、その歓喜ゆえだろう。涙に濡れた顔は彼女の歓びと、今まで押し留めていた不満の爆発の結果だ。

 四つは年上のはずの、姉のような幼馴染の背をそっと撫でるラタは、視線で館長に退室をお願いした。


 かつて彼はアエトスと一緒にプラネトス共和国に留学した時から、領事館の館長として活躍していた。一時期は国内に避難していたが、今回の和平条約締結に先駆けてプラネトスに舞い戻っていた。そんな優秀な人物は、何も言わず、そっと扉から外に出て行った。


「カヒナ、俺は大丈夫だから。幽霊とかそういったものじゃないからな。だから腕を緩めてくれ、苦しい」

「本当に? 本当にラタくんですよね、幻覚じゃありませんか?」


 突然の《界遇》の終了は、カヒナにとってもう二度とアエトスに会えないという状況になったと考えさせるのに等しい。せっかく手に入れようとした幸せが文字通り世界の果ての向こう側にぶっ飛んでいったわけだ。不安でしょうがなかったのだろう。


 死んでしまったかと思った友人にもこうして会えた。喜べる時くらい、喜ぶべきだ。


「これは、ボクも退場したほうがいいのかな……」


 ぼそっとした呟きに、カヒナはビクリと体を反らす。そっと振り向けば、そこには知らない少女が一人、泣きっ面の自分を見ていることに気づく。


「……ラタくん、この子誰」

「なんでそんなに警戒心むき出しなんだ、君は……」


 乾いた笑い声をあげるエアリア。とりあえずカヒナを座らせたラタは、ここ数日のあらましを、カヒナに告げた。

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