5-2 冥府に救済を
ラタの振るう『剣』が、ミクトランカデナの収まったケースを斬り捨てる。
同時に、鋭い切っ先が彼の背中から侵入し、胸を突き抜けた。機皇の尾部の針が、彼の心臓を貫いたのだ。
口から溢れ出すものを止める術はなく、きっとここで終わるだろう。
だから、彼は機皇に勝つ可能性のあるものに、全てを託すことにしたのだ。
「ちゃんと考えた。だから頼むぞ、エアリア」
鋭く振るわれた尻尾から体が引き抜けると、彼は力なく地面に倒れた。
同時に、機皇の基地の中にある全ての黒い鎖が、弾け飛んだ。
それは、彼女の右腕も同じだった。
「力が、戻ってきた……!」
エアリアの右腕の光を放つ。彼女の腕の文様は、本来は刺青などと言っていいものではない。彼女の保有する秘積物が姿を変えたものなのだ。
自分の体に巻き付く機皇の左腕を引きちぎりながら、彼女は床に降りる。
「起きて、『
彼女の腕から紋様が浮き上がり、光を放ちながら集まっていく。
それを手に掴めば、宝石でできた一本の杖が出来上がる。先ほど一瞬だけ顕現させた時とは段違いの輝きを放っている。それは先端が器のようになっており、まるで王笏を思わせる荘厳さを持っていた。
そんな彼女の周りでは、自由を取り戻した秘積物が飛び回っていた。あるものは元の世界へ。あるものはその場に転がり、あるものは霧のように消えていく。
「倒し方を考えてって頼んだ結果、それがキミの結論なんだね」
機皇は崩れ落ちるラタに目もくれず、忌々しげに彼女を見る。
『よくも、我々の崇高なる理想を、壊したな!』
「君こそ、ここまでやったんだ。覚悟はできているんだろうね!?」
エアリアのことも全力で破壊しようというのか、両肩の触手から熱閃を放とうとする。
「これ以上、君の好きにはさせない」
彼女の黄昏に似た髪が輝きを放つ。同時に左手に持っていたヒシャクのような杖を横なぎに振るうと、巨大な法力の塊が機皇を殴り飛ばした。
壁にめり込んだ巨体を軋ませながら、ゆっくりと床に落ちる。機皇の鋼の巨体を押し退けるほどの力が、エアリアにあるとは誰も思わないだろう。
だが、彼女は聖女。そして救世主。世界を救うと言う運命を信じた少女だ。
「ラタ、ちょっと待っていて」
地面に倒れたその体を光で包み、まずするべきことを頭の中で再確認する。
そして視線を機皇へ向け直すと、床を蹴って接近する。
空気を鋭く切り裂きながら、エアリアへ向けて機皇の鎌が突き出される。その先端を右拳で殴って潰した。そのまま刃全体を破壊し、最後に腕も吹き飛ばす。
『こんな、力が、貴様に……!』
たった一撃の拳が、完全に力の優劣を示していた。
彼女は『冥府救済の聖斗』をくるりと手元で回転させ、その先端の器に法力を溜め込む。法力の回収と圧縮が、この秘積物の基本的な力だ。それもただ集めて終わるのではない。圧縮、変換までが一工程だ。
「天海を巡る命の光。冥府に満ちる標の焔。それは、祈りと願いの聖剣なり!」
聖斗を天に掲げれば、その器に溜まった法力が基地を飛び出し、形を変える。宝石のように煌めく基地より巨大な剣が三本、上空からその切っ先を向ける。
「突き立てろ、星の
聖斗を力いっぱい振り下ろすと、全ての刃が基地に向けて飛んでくる。まるで巨人が剣を握り叩きつけてくるかのようだ。機人たちと同じ素材できているはずの基地は粘土細工のように叩き壊され、切っ先が機皇へと迫る。
それを鋼鉄の肌に纏われた光の鎧が受け止める。先ほどの拳との激突でエアリアに対する認識を改めたのだろう。
防壁の出力をさらに上昇させ、聖剣の一撃を耐え抜いていた。だが、それもまもなく終わる。二撃、三撃と突き立てられる星の刃に、光を放つ法力の鎧は切り捨てられ、鋼鉄の肌は抵抗虚しく寸断されていった。
「まずは、ボクの借りを返すね」
手足をもがれてばらばらになった機皇の胴体へ、エアリアが手に持てる程度の大きさの剣が突き立てられる。内部から光が溢れ、鋼の体が崩壊へと向かう。
「次は君の本体だ。覚悟しておきなよ」
『この、蛮族どもめ!!』
爆発してはじけ飛ぶ機皇の肉体から、意識だけが世界を渡って行くのを感じる。それを今すぐ追いかける術は、現状エアリアにはない。
肩で息をしながら、彼女の意識は血の気を失ったラタへと向けられていた。
崩壊が始まる基地の中で、彼女は動かない彼の隣に腰を下ろす。
彼の血がその膝に触れる。しかし彼女の顔に絶望感は一切ない。
「君はまだ、ここで終わる存在じゃないだろう」
ペンダントを右手から外し、『冥府救済の聖斗』を両手で掴む。
崩れ行く基地から人間二人分の大きさを持つ虹色の光が落ちていく。
◆◆◆
深く、深く沈んでいく。
透明感のない水の中へと、魂が落ちていく。もがこうとしても腕は動かず、胸の鼓動はすでに聞こえない。
――貫かれた心臓は、もう動いていない。
自分の体のことだ。状況は、正確に認識できていた。痛みがあれば逆に意識もはっきりしたのかもしれないけれど、残念ながら意識を繋ぎ止めるものはなかった。
水面から差し込むわずかな光が、この肉体と周りの水の境界線を描いていた。もう少し沈んで光が届かなくなれば、全ては水の中に溶けていくことだろう。
そうなった後には、もう何も残らない。
『
口から、わずかな気泡が漏れた。敗れた肺の奥に残っていた空気が消えたせいなのか、意識が遠退いていく。けれど苦しさは感じない。むしろ、これで消えられると言う安堵感すらあった。
――これで、終われるんだ。
頭上、この場合水底には、大きな穴があった。いや、あれは穴ではない。そこには何もないから、穴に見えているだけだ。永遠よりも長く存在する、虚無に通じる穴だった。
『
落ち行く体に向けられた問いかけに、応える力は残っていない。
――なぜ、立ち上がらなければいけない。
このまま消える。それはどう頑張ったって抗いようのない事実で、視界も黒く染まっていく。
ようやくあらゆることから解放される瞬間が来た。黙って、それを迎え入れるべきだ。
『
――諦め、なきゃいけないのか。
問いかけに、言葉ではないものが、貫かれた胸の奥で否定するものがあった。
それだけは嫌だと、たとえ応える力が残っていなくても否定しなければいけないと、たとえ立ち上がれなくても、武器を取ることさえできなくても、叫び出す存在が居た。
――諦めたくない!
何を、どうして、そんな疑問さえ振り切った、『生きたい』と言う感情が目を開かせる。
ドボンッ! と何かが水面を突き破った揺れが伝わってくる。水中を伝播する波によって、体がわずかに揺れる。
同時に、胸倉を思いっきり引っ張られる感覚が首を圧迫する。もう消えかけていた意識が、首を絞める痛みに引き起こされた。
同時に太陽のような、輝く少女を見た。
「息を吸え!」
その叫びに、意識が引き戻された。同時に最初に気づいたのは自分がすでに水の中にいなかったということだ。
貫かれた胸から血は流れていない。破れたはずの肺も正常でまともな呼吸ができている。
「聞こえるかい、聞こえているなら返事をしてよ」
ポタポタと、水の落ちる音が聞こえる。奇妙なほどに軽い体はうまく力が入らず、末端に力はほとんど入らない。眼球も動かせないほどの倦怠感とは逆に、心臓はやる気に満ち溢れたかのように鼓動する。
「なあ、本当に聞こえないのかい?」
――聞こえている。
掠れ気味の声で答えれば、良かったと安堵する声がした。自分の顔を覗き込む二つ紫紺の目が、柔らかく弧を描く。その少女の――エアリアの顔は、笑っていた。
彼女の長い髪は全部が水に濡れ、透き通った橙色をよりきれいな色に見せた。先端からはまだ水が溢れており、こちらの額に数滴落ちた。
「意識ははっきりしてきたかい」
「大丈夫だ。それより、ここは? なんで、俺は水の中に?」
眼球だけを左右に動かしてみれば、見覚えのない川と花畑が広がる空間に寝転がっていた。彼女の髪の間からわずかに差し込んだ本物の陽光で目が眩む。
「ボクの膝枕で休憩中だよ。君は、かなり無理をしたからね」
彼女の言葉を聞いたとき、思い出したよう胸に、腕に、足に痛みが走る。全身の神経を引きちぎられたかのように、激痛が容赦なく筋肉ごと噛み付いてきた。身悶えし、転げ落ちそうになった体を、彼女は両手でそっと押さえた。
「まだ動かない方がいいよ。傷ついたのは心臓だけじゃない。今は、こんな場所だけど、ゆっくりした方がいい」
「無事……なら、早く…………帰る……」
精一杯発したはずの声は、まともな文章を作ることもできなかった。それでも、優先すべきことは決まっている。体を休めている暇ない。今ここで立ち止まっている暇はない。支えもなく、全身に鞭を打って立ち上がろうとする。しかし、力なくべしゃりと崩れ落ちて地面に倒れ伏した。
もう一度立ち上がろうとした体を、駄目だよと言いながら彼女は捕まえる。
「ゆっくり休みなよ。今ならまだ、少し時間がある」
「でも、こうしている間にも、アエトスたちは……」
言葉とは裏腹に、体は動かない。焦る気持ちばかりが湧き上がる。動かない四肢がもどかしく、必死に腕を伸ばそうとする。
その手を、彼女はそっと掴んで降ろさせる。
「大丈夫。約束しただろう」
幼子を諭すかのように、ラタの額にそっと手を重ねる。
「キミはボクとの約束を果たしたから、ボクも約束を果たすよ」
どこか嬉しそう表情で、エアリアはそういった。
「なんたって、ボクは救世主なんだ。キミごと、キミの世界を救って見せるさ!」
力一杯、彼女は拳を握って見せる。そして、ラタは今一度目を閉じた。
◆◆◆
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