Chapter.5『たとえ冥府に落ちようと』

5-1 果てなき世界に


 部屋の奥、少しばかり狭くなった通路の先に、先ほどの部屋のようなガラスケースがいくつか鎮座していた。だが、先ほど違うのは、その中身が鎖に縛られていない点だろう。


 この基地があるから秘積物がここにあるのではなく、この秘積物があるから機皇はここに基地を作った。エアリアが機皇の狙いがこの世界の秘積物であったことを指摘したことからも、ラタはそう考えた。


 一番奥の秘積物は黒光りする真珠のようにも見えるが、その実態は鎖の塊だ。


「これが、ミクトランカデナっていうやつか」


 この命に溢れた第二十四番世界は、その雄大な自然とは裏腹に、エアリアの属するカエルム教会では、ここを《冥界》と呼称している。それは最下層にあるからだけではない。


 一度この世界に落ちれば、特別な力なくしてはもう戻ってこられないからだ。

 積層世界において、一度下に落ちた場合、特別な力持たなければ帰ってくることはない。この世界からさらに下に落ちれば、文字通り虚無へと消える。


 そして冥界は死者をしばりつける場所だ。それを体現するように、この秘積物はこの世界にあった。秘積物を封印する秘積物、冥界の鎖である。


「これさえ壊せば……」


 ソード・ボウを弓形態で構えたラタは矢を番える。他の秘積物同様ガラスケースに納められているが、機皇はエアリアが押さえている。今、これを守るものはいない。


「鋼鉄の獅子が牙を剥く。雄叫びを上げろ、百獣の王よ! 鋼属性精霊ノッカー法弾!」


 鏃に組み込まれた魔怪晶から、獅子の顔が生み出される。ラタは法術を使えないからこそ、アエトスを守るために新型武装の試験官を務めてきたのだ。

 最新型の武器を使えるという特権を逃さないために。


 右手を離すと同時に、矢と同じ速度で獅子が大地を走る。爪と牙の激突は、ガラスの表面に到達しようとする。それを、新たに出現した機人が着地と同時に遮った。


『*&∂※♭&*§仝¢μ仝』

「まあ、そうなるよな」


 やはり機皇の端末だけで守っているはずはなかった。


 一瞬でも壊せるかもしれないと思わせたところで阻む。全く本当にいい性格をしていると、ラタは内心嘯く。ソード・ボウを変形させ、真っ直ぐに突っ込む。


「邪魔をするなら、押し通らせてもらう!」


 近づく機人たちは法力を纏わせた刃で斬り捨てながら、鎖の塊へと近づこうとする。だがどこからともなく溢れ出てくる機人の群れは、まるでイナゴの大群のようだった。


 突きつけられたランスを受け流し、同時に機人を蹴り飛ばして道を作る。そして、右手に最後の矢を握る。だが、ソード・ボウを剣から弓に変更はしない。ランスの動きを押さえた一体の胸に矢を突き刺し、同時に機人を取り巻くように法術円陣が描かれる。


「火属性精霊法弾!」


 矢を押し込むと爆炎が広がった。彼の右腕も機人たちも飲み込んで、ガラスケースにもヒビを入れる。灼熱が皮膚と筋肉を焼いたが、そんなことに構っている暇はない。


 機人たちが秘積物から離れ、さらにラタ自身からも離れた。法弾を開放し、全身に法力を流し込んだ。


「全てを、開放する!」

『させると思うか!』


 エアリアを振り切った機皇が、機人たちを押し退けながらラタの前に割り込んだ。視界の端では機人たちに阻まれるエアリアが見えるが、そちらを助けている余裕はない。

 振り下ろされた右腕の鎌を掲げたソード・ボウで受け止める。両足にまで突き抜けた衝撃は床を割り、エアリアが巻いてくれた包帯には血がにじむ。


『貴様はあの時始末しておくべきだった! その身、八つ裂きにしても飽き足らん!』

「口調に余裕がなくなっているぞ、機皇! 蛮族とやらはどちらのことだったかな!」


 そう言っているラタにも、もちろん余裕などない。今すぐにでも押し潰れてしまいそうだった。吐き気と恐怖は機皇の姿を見るだけでも腹の奥底からこみ上げてくる。今すぐに逃げてしまいたいというのは嘘偽りない感情だ。


 だけれど――

「今のお前は、あんまり怖くないな」

『おごるな!』


 スピーカーから聞こえる怒声と機皇の全身が弾けたのは同時だった。装甲の表面を爆発させたのだ。本来は強烈な一撃を叩きこまれた時、表面を爆発して切り離すことでダメージを最小にとどめるためのものなのだろうけれど、それを無理やり発動。ラタを押し返す。


『消し飛べ、下等種!!』


 両肩のヘビの腕の先端が、その顎を開いた。内部に法力エネルギーが充填されていく。あくまで、機皇の目的は施設の防衛だった。その施設さえも破壊するほどの攻撃は行えなかった。オルニス王国においても、機人たちに戦いを任せ、ラタとの戦いでは本気を出すほどでもなかったから、この腕の内蔵火器は使用してこなかった。


 その強者としての余裕を、彼は捨て去ろうしていた。


 火と雷の力を複合した熱閃は、基地の壁に大穴を空けながらラタへと迫る。薙ぎ払われる光に触れれば、人体など一瞬で炭化する。痛いと思う暇すらなく、消し炭だ。


「ラタは、やらせない!」


 再度、ラタの前に割り込む影があった。けれどそれは背中を向け、ラタを守るように熱閃へ立ちはだかった。右腕を突き出し、光の結晶体が盾となって熱閃を跳ね除ける。黄昏色の髪は力の暴風に揺れ、その頬は砕けた結晶体の欠片によって傷を造る。


『第一番世界の愚物め!』

「ラタ……ボクが、ここを押さえる!」


 次第に崩れていく結晶体。機皇の怒りを受けて割れていく盾から、その身を焼く炎が漏れる。けれど、エアリアは退かない。


「違う世界を見た時って、ワクワクしたこと、覚えていない?」

『なんの話だ』


 突然の問いかけに、機皇もとっさに返す。


「君の第八番世界は、機械化された人や獣が暮らす世界だった。大地のすべてが鈍色の摩天楼に覆われて、完璧に整理された人工林以外に、植物なんてほとんど見ない世界だ」


 それこそが機人たちの世界。静寂と秩序が支配する、機械文明の到達点。

 完璧に統制の取れた秩序は、不要な争いのない静寂な世界を創り出していた。


「その世界から、この原生林溢れる第二十四番世界にやってきて、何か思うものはなかったのかい?」

『ただの、原始的世界であるだけだ!』


 機皇の熱閃は一層威力を増す。エアリアもラタもその場から動くことができず、盾が摩耗していくのを待つしかない。


「ボクは、全ての世界を一通り回ったことはある。でもまだワクワクすることがある! 世界を守らなくちゃ、それを感じることができなくなる!」

『それで世界を守ると!? まるでお遊戯だな!』


「けれど、それが戦う理由になる!」


 エアリアの右腕が輝き、そこから一本の杖が生まれる。


「残った全てを、ぶつける!」

『自ら秘積物の復活を諦めるか!』


 彼女が右腕から出現させたのは、彼女の腕に封じられた秘積物の力だった。徐々に回復しつつあった力を無理やり開放し、再起動の可能性を捨ててここで使う。


「諦めたわけじゃないさ、できることをしただけだよ!」


 仲間が居るから、使えるのだ。ミクトランカデナによる封印を解除できなければ、エアリアもラタも後がない。なら、使える力をここで使い切る。


「それを使ったら、機皇をどうやって倒す!?」

「キミに任せるよ。具体的な方法は、そっちで考えて!」


 ラタの問いかけに随分と投げやりな答えが返ってきた。宣言通り、杖から放たれた輝きが熱閃を払う。光も熱も押し退けて、砲口さえも破壊してラタのための道ができる。


『こざかしい真似を、するな!』


 機皇の通常の左手が飛ぶ。ケーブルに繋がれた状態でエアリアの体に巻き付き、その首を締め上げた。喉を押さえ、彼女の呼吸を遮る。普通なら掴まれた時点で骨ごと砕かれてもおかしくはないが、エアリアの身体強化がかろうじてそれに耐えている。

 直接折ることはできないと悟ったのか、大きく振り上げた腕を床や地面に叩きつける。エアリア以外であったら、放り投げた卵のごとく潰れていたことだろう。


「い、け……ラタ……」


 それでも痛いものは痛い。意識を奪い、力を弱める。左手に握っていた杖は消え、彼女の切り札は消滅した。


 捕らえられた彼女とは逆側を走り抜ける影は、真っ直ぐに鎖の秘積物へ向かう。


『見えているぞ、蛮族!』


 機皇の肩から生えるヘビのような腕は、もちろん二本ある。となれば、熱閃だって二本目が出る。前方から迫るエネルギーの奔流。そちらを向いても強烈な光を放つから、軌道もよく見えない。


 けれど、これを越えなければ辿り着けない。ラタは体勢を低くして、最大限の前傾姿勢を保った状態で地面を蹴った。


『死にに来たか――!?』


 ラタは、目を閉じていた。

 ミクトランカデナのある場所にまで自身を導いた力の正体は、未だ彼もよくわかっていない。だが、その導きによってここにまで辿り着いた。物体の存在を感じ取る力、とでも言えばいいのだろうか。


 目に見えないものまで見つけられるこの力は、アエトスとカヒナの手紙を運ぶ時でも彼を導いた。それがあったから、彼は今ここにいる。目標までのほんの数メートルを駆け抜けていく。

 掠っただけでも危険な熱閃を、ラタは見ることなく回避した。機皇の打撃も掻い潜り、捕らえようとする複数の足もすり抜けて、鎖の前に立つ。


 その右手には、羅針盤か時計の針を思わせる物が握られていた。


『第六番世界の秘積物を、なぜ貴様が!?』


 それは、本来ならアエトスたちが式を挙げた祭壇に安置されていた物だった。薄く細い針のような形で、武器だと言うにはまともに掴む部分はない。おおよそ使える物とは思えないのに、いつの間にか手の中に納まり、ラタはそれを高く掲げた。


 彼の中に、この秘積物の名も、使い方も、すでに存在した。


「俺たちを導いてくれ。『果てなき旅路の道標ラティオイーター』」

 袈裟に振り抜いた『剣』が、ガラスケースを両断する。







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