4-3 拳で救う





 防御姿勢を取ることすらできないラタ。


 最初はあれほど豪気に立ち向かえていたはずなのに、今は前に一歩を踏み出すことすらできていなかった。


「ラタ、何しているのさ!?」

『脆弱だな、下等種!』


 機皇の標的は、ラタだった。昆虫のような足のバネを使って飛び上がり、両腕の鎌はラタの首へ肉薄する。


「光よ、集まれ!」


 エアリアの右腕に光が集まり、そこに半透明な盾を形成する。瞬時に二人の間に割って入り、鎌の一撃を弾くと同時に、ラタを後ろに押し飛ばす。


 ラタの様子を見ることもなく、武器を弾かれ後退する機皇を追って足元に滑り込んだ。巨体である以上、その足元はスキが多い。


「聖・拳・罰・裁!」


 下から突き上げる噴火のような一撃が、昆虫を思わせる下半身に命中する。だが、痛みに顔を歪めたのはエアリアの方だった。


 拳に装着したペンダントには一切の罅割れなどはないが、振るった右腕の方を押さえる。痛みに顔を歪めた彼女を、関節の多い足が蹴り飛ばした。

 先ほど鎌を受け止めた光の障壁が現れるが、エアリアの両足は地面から引っこ抜かれ、床を数回跳ねながら壁へと激突した。


「エアリア!」


 ラタは急いで駆け寄りその体を起こす。彼女はぶつけた左肩を押さえながら歯を食いしばり、痛みに耐えていた。


「やってくれるね。でも、あいつくらい倒せなくちゃ、世界は救えない!」


 ラタの腕をほどきながら、彼女は立ち上がる。額に浮かぶ脂汗を拭うこともなく、痛みで上がらない腕をぶらりと垂らしたまま、右拳を構える。ペンダントトップに今一度法術の光を宿し、鋭い目で機皇を睨みつけた。


 高まる法力は拳の先に円形の文様を描く。以前ラタが作り出したものと同じ、これは法術円陣と呼ばれるもので、法力の具現化とされている。要するに、世界を変える証だ。


「君は、そこまでして、何を救いたいんだ」


 その呟きは、ラタの口から洩れたものだった。彼の手はまだ震えている。機皇の意識が移動してきた時から、ずっと止まらない。

 エアリアはそれを知ってか知らずしてか、彼の呟きに答えた。


「ボクは、世界を救いたいだけさ。ボクには、そうするために生きて――」

「それ以外に、世界を渡る理由はなかったのかよ! 世界を救うなんて、一人でやるもんじゃないだろう!」


 両肩を掴む彼の手を、今度は振りほどかなかった。


「世界を渡る理由か……。ああ、うん。もう一つあった。世界を渡りたかった理由が」


 存外するりと出てきた言葉に、一瞬ラタは呆気にとられる。


「……世界を救う以外に?」

「うん。見たいものが、あったんだ」


 肩を支えるラタの手に右手を添え、機皇の姿を真っ直ぐに捉える。

 ゆっくりと息を吐き、拳を構えなおす。


「機皇、キミは逆転大地に乗って世界を渡った時、何か思うものはあったかい?」

『世界を渡った時? これから淘汰する下等種に対して何を思う』

「そっか。キミはもう、忘れてしまったんだね。初めて世界を渡るときのあの感動を」


 エアリアの体表に法力が溢れ、一気に右腕へ集約される。


「駆け抜けろ、激情の瞬き。その一撃は、流星のごとく!」


 先ほどよりの速く、機皇の眼前へと進み出た。同時に紡がれた言霊は、彼女の次に放つ法術の威力を格段に上昇させる。


『防御レベル上昇、多重展開!』

「舞い降りるは滅びの要石!」


 機皇の装甲表面を光の防壁が何枚も覆う。先ほどのように受ければダメージは免れないと判断したのだろう。虚無の彼方から大岩が炎を纏って落ちてくるときのように、叩きつけられる拳の衝撃は尋常の生命なら滅ぼしていただろう。


 だがそれは機皇の防壁の表面をなぞり、代わりに床や天井を破壊する。秘積物を収めたケースにも機皇の防壁と同じものが展開され、激しい衝撃に壊れかけていた。


『わからないな。なぜそこまでこの世界にこだわる。第一番世界は、剪定対象にはなっていないというのに』


「救いたいから」


『は?』


 随分と間抜けな声が漏れたが、きっと多くの者も、同じ答えをしただろう。彼女は、一切迷いなく、言い切ったから。


「救世主になれる。みんなからそう言われて、そう育って、そう願って、生きてきた。だから、世界を救いたい。……それだけかと、思っていた」


 使命感、というのは少し違うだろう。英雄願望に似ているかもしれないが、何かずれている。けれど、その奥にはもっと強い思いがある。


「誰かが困っているのを見捨てるのも気分が悪いし、できることをやらないで後悔なんてまっぴらだ。ボクには力がある。ならそれを、すごいことに使いたいと思っただけさ」


 だから、彼女は救世主と名乗るのだ。他人から見れば変かもしれないが、それでも彼女は間違いなく、誰かのために、何かをしたいという想いを持っている。

 そこには、確かな善意があった。


「何より、世界を移動するって楽しいじゃないか!」


 それこそが、彼女が世界を救おうとする原点。世界を巡る旅が、楽しいと思えばこそエアリアは戦える。


 追撃の蹴りに、受け止めた鋼の腕が軋む。機皇は障壁を多重に作り出して押し返す。反動で弾かれたエアリアが、床を削りながらラタのそばにまで戻ってくる。


「ところでラタ。キミは世界のことはともかく、キミはキミの友達を、救いたいとは思わないのかい?」


 その問いかけを終えた直後、彼女はまた機皇に向けて走り出す。


「ボクは、守りたいものがいくつもある。だから、全部を守りたいと思ったら、世界を救うくらいのことをしなくちゃ守れない! あの景色は、支配の先にはないんだ!」


 機皇はヘビのような腕を二人に向けて伸ばすが、エアリアの鋭い蹴りがはじき返す。


「キミも、守りたいもののためなら、ついでに世界くらい救って見せろよ!」


 反撃に突き出した左手から、部屋全体を呑み込むような炎が溢れ出す。機皇も秘積物のケースも燃やされないようにと防壁を張り続けるが、そのうち何枚かはすでに砕けていた。


「あれだけの法術で、まだ機皇の防壁は破れないのか……」


 これほどの差があるのかと、歯噛みする。エアリアは聖女に抜擢されるほどなのだから、法術を用いた戦闘能力は自分より段違いに高いはずだ。


 それが、ここまで苦戦する。同じ聖女のカヒナと比べても、彼女の実力は上をいく。

 彼女の自称も加味していうなれば、救世主メサイア級とでも言ったところか。


 世界を救いたいと豪語するならば、それ相応の力を持つ必要がある。エアリアはただ憧れや願望だけで、それを口にしているわけではない。


 自分なら世界を救える。そう確信しているからこそ、救世主を名乗り、救世主として世界を救おうとしているのだろう。

 目の前の敵が、どれほど硬く立ちはだかろうと。


「封印さえどうにかすれば、あんな奴――」

「倒せるんだな!?」


 問いかけは、すぐそばからだった。


 同時にエアリアの視界を、少し大きな体が遮る。

 眼前に迫っていた鎌を下から振り上げた刃が迎え撃つ。


『何!?』

「ラタ!?」


 激しい衝突音とともに刃を弾かれた機皇は数歩後退し、エアリアの前に立つ者は、痺れた左腕を力なく降ろす。


「……ラタ?」


 再度の呼びかけに、ラタはエアリアの方へ視線を向けた。


「君の封印された力を開放すれば、あいつは何とかできるんだよな」

「……やってみせるよ。ただ封印をどう解除するかが問題なんだけど」


「君の力を遮っている何かを、止めればいいはずだ」

「だけど、ミクトランカデナは――鎖の塊はここにはないよ」


 エアリアの苦々しい言葉に、ラタは言葉を返さず目を閉じる。

 その目を開いた時、怖れに染まった目の奥に、わずかな輝きがあった。


「部屋の一番奥に君の腕と繋がる何かがある。それが多分、封印の秘積物だと思う」

「……いったい何が見えたのさ」

「さあ、昔から、よくわからないものだけはよく見えているんだ」


 ここに突入する前にも、同じような会話をした。けれどあの時は、エアリアはラタの力に疑問を持っていた。けれど、今は違う。


「任せるね、ラタ!」

「ああ、だから、君のするべきことをしてくれ!」


 彼女なら、世界を救える。ラタはそう、確信できていた。そしてエアリアも、ラタならこの封印を解除できると信じていた。


「俺は、アエトスとカヒナの未来を取り戻す、そのために――」

『させると思うか!』


 口調が荒々しくなった機皇は、四本の腕を振り上げて二人に襲い掛かる。


「ついでに世界を救ってやる!」


 ラタはソード・ボウのトリガーを引くと、体表に法力の揺らめきが生まれる。身体強化を施し、エアリアとともに駈け出した。


 二人をいっぺんに斬り捨てようという魂胆なのか、機皇は左右の鎌を横薙ぎに振るう。ラタが前に走り、エアリアは鎌に向けて一歩を踏み出す。

 エアリアの拳と蹴りが、左右の鎌をはじき返す。その間にラタは機皇の巨体の下をくぐって、部屋の奥へと走り出す。機皇の相手を任されたエアリアは、離れていくラタの背中を見守っていた。


「これでいいんだよね。星を征する樹よ」


 誰にも届かぬ独り言を呟きながら構えを取る。先ほどまでは痛みで上がらなかった左腕も上げて、その手で挑発して見せる。


「救世主を、舐めないでよ!」

『下等種どもめ……!』


 怒りに赤い両目を明滅させる機皇に対し、エアリアは不敵な笑みを返して見せた。

 世界を救うために、意地を張る時が来たのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る