3-3 二人は立つ


 機皇軍の基地へと二人はゆっくり近づいていく。そして、近づけば近づくほど、彼らの駆動音は大きくなる。


「あいつら、いったい何をしているんだ」

「森を伐採しているのさ。原生林を切り開き、あの鋼色の液体を浸透させていく。他の世界でも、同じことをしていた。砂漠の時は、サボテンくらいしか遮るものがないから直接流していたけどね」


「それは、何の目的で?」

「わからない。ただあれはただの液体じゃなくて金属だということはわかっているんだ。大地全部を流体金属で埋め尽くして、自分たちの仲間を量産する工場でも作る気なのかもね。この街みたいに」


 エアリアは、この第二十四番世界に至るまでの間に、いくつかの世界を見てきた。


 この積層世界と呼ばれる世界は、大樹の枝先に世界が存在し、落下することで上から下に世界を移動できる。むろん飛ぶ方向を考えなければ虚無へと落ちていくのだが、エアリアは自分にその心配はないと豪語する。


「ボクは第一番世界、世界樹の枝先では一番高い世界の出身でね。カエルム教会の発祥の地なんだ。だから、世界が複数あることも知っていたのさ」

「まさか、オルニスにもプラネトスにもカエルム教会があるのって、《界遇》現象に対応するため第一番世界から送り込まれた勢力だってことか?」


 怪訝な顔をするラタに、エアリアは躊躇なく、もちろん、と答える。


「正確には一番から三番までの世界が合同で作り上げた教会を、各世界に派遣したって話。ほとんどの世界だと世界が複数あるっていう話は、意図的に伏せられているから、《界遇》が実際に起こるまでは、枢密卿クラスの人じゃなくちゃ、何も知らない」


 そうやって、カエルム教会は世界同士の融合という非常事態に対処してきたというのだ。むろん、世界によってはカエルム教会の影響力が小さい時もある。


 そういった場合、彼女ら一番から三番世界のカエルム教会が、仲裁者として名乗り出ることある。そのための、接続していない世界間の移動手段も、用意されている。


「それだけわかっていて、なんでカエルム教会は二十四世界のことを秘密にしているんだ」

「そうしないとさ、時々自分の世界全部平定しちゃう人とか一人二人いるでしょ。それが他世界も侵略するって言いださないために伏せているの」


 戦争の仲裁をするための組織が戦争を引き起こす要因になるわけにはいかないということだろう。おそらく、過去にそういった事例があったのだ。


「けど残念なことに、ボクらの移動方法はじゃあ、下から上への移動は自由が効かなくてね。ほら、高いところからボールを投げるといろんなところに飛ばせるけど、低いところから高いところにピンポイントで投げようとすると、難しいでしょ」


 つまり、世界の移動もそれと同じなのだ、ということ。ラタはエアリアの言うことに若干の納得しがたさを感じているのだが、否定するための根拠はない。

 とにかく元世界に戻るのには、彼女の協力が必要であるのは変わらない。


「まあ、ボクに頼りたくないのなら、機皇軍の基地に乗り込んで、彼らの移動手段を使うくらいかな」


 少なくとも、この世界から下に落ちて辿り着ける場所はない。


「そうか。機皇軍なら世界を移動する手段を持っているはずだ。それを利用できれば」


 だが口にするほど簡単なことではない。むしろその方が難しい。


「機人たちの言語、ボクも何度か聞きなおしてようやくわかるくらいだから、彼らの使う機械の操作とか、ほとんどできないんだよね」

「確かに、数世代は技術格差があるからな……」


 傷だらけの体を包む服をくしゃっ、と握ると、絞り出すように結論を告げる。


「結局、君に頼らなければ俺は帰郷できないってことだな」

「そういうこと!」


 妙に弾んだ口調に、ため息をつくしかなかった。


 そんな彼の両腕は、小さく震えていた。再生の法術により、かなりラタの傷も体力も回復していっている。現に今こうしてエアリアとともに森を軽快に歩けているのがその証拠でもある。


 だが、法術による無理なブーストと、機皇が用いた攻撃は彼の体の芯にダメージを残していた。本調子に戻るまで、しばらく時間がかかるのは間違いない。


「よかったら、これを食べなよ。意外とおいしいからさ」


 エアリアが放り投げてきたのは、緑色で拳より小さいくらいの果実だった。初めて見るものに、ラタは眉を顰める。


「ルクマって言うんだって。クリみたいな触感でおいしいよ」

「……甘くてうまいけど、水分が欲しくなるな」


 提供してもらったものに文句を言いたくなかったが、疲れ切った体には少々辛い。それを察したのか、エアリアはペピーノという白っぽいものを投げ渡す。


「もぎりたてだから実を割って中の果汁を吸いなよ。ここ数日、これで過ごしたんだ」


 カエルム教会の人間だというが、案外旅慣れているらしい。彼女が勧めてきた果実はどれも味がよく、ラタの胃にすとんと収まった。


 それで落ち着いたのだろう。少し、手の震えも収まった。


「それで、これからどうするんだ。奴らの基地の隣にまで来て終わりじゃないだろう」

「もちろん。この基地にボクの探し物があるはずなんだ。さて、どうやって探そうか」

「やっぱりそれは考えていなかったんだな」


 地上の基地はともかく、雲の高さと同じくらいの位置にも基地はある。地上の前線基地から移動できればいいのだが、それもわからない。

 とにかく、探してみなければ話は動かない。ラタは背中にあるソード・ボウを手に取ると、数回振るって調子を確かめる。体が壊れたのに対して、こちらは一切の故障はない。


「そういえば、具体的に何を探しているのか、聞いていなかった」

「それもそうだった。ええっと、名前は『ミクトランカデナ』って言って、こう、鎖を固めたボール、みたいなものなんだ。ミートボール的なもの?」


 彼女はそう言って指でリンゴほどの大きさの円を作る。


「疑問符で言われても困るんだが」


 エアリアの説明にラタは肩を落とす。苦笑いを浮かべられれば、ため息を返す他ない。


「ともかく見ればこれだってわかるさ」


 傾きつつある太陽を眺めながら、エアリアは呟く。


「十分休息を取ったら、この世界を救って、他の世界も救いにいこうよ」


 それが、さも当然のことであるというように、彼女は言い放つ。


「君は、この世界の人間じゃないだろう。どうしてそれが、他の世界のことまで」


 星と月の明かりが照らす夜。ラタの問いかけが、無音の森に流れる。


「深い理由があるわけじゃないよ」


 くすりと笑った顔は、やはりどこか空虚に見えた。


「君は最初に、自分を救世主だと言った。だけど、機皇に負けた。そうだったな」


 エアリアは少し唇を歪め、苦々しく肯定する。


「そうだよね。負けたくせに、自称救世主なんて、おかしな話だよね」


 抱え込んだ膝に顔をうずめ、力ない言葉で答えた。心なしか、黄昏色の髪も色を失ったように思える。触れるべきではなかったかと想いはしたが、ラタはそのまま続ける。


「どうして、救世主なんて名乗っていたんだ」

「世界を救いたい、そう思って実行したら、それは救世主だろう」


 妙に論理が飛躍した気がするが、救世主という役割としては、確かにその通りだ。納得しがたい気もしたが、ラタは頷く。


「ずっと昔から、星征樹の声が聴こえていた。誰か助けて、って」


 カエルムの聖女とは、そもそも星征樹の声を聞き届けることのできるものを指す。今では高い法力適性を持っているものから選ばれることが多い。なので、エアリアは真の意味での、カエルムの聖女であるのだ。


「何から助けてほしいのか、どうやって助ければいいのか、そこは教えてくれないくせに、助けて、って言葉だけはずっと響き続けていたんだ」

「それで、カエルムの聖女になったのか」

「他の世界で起こっていることを言い当ててみろ、なんていう試験を通過してね」


 真なる聖女としての力を示して、それから修行を続ける毎日だった。各世界の情勢や文化を知ることはもちろん、法術師として人並み以上の力を付けることも求められた。誰と戦っても負けない、どんな状況でも生きられる、そんな理想の塊として完成することを、彼女は求められた。


「ボクは救世主になるために生まれてきた。なら世界を救うのは当然でしょ」

「救世主になるために、生まれてきた……か」


 肉付きの良いカヒナに比べて、エアリアはずいぶんと華奢だ。水に落ちたラタを一人で引っ張り上げられるのだから、見た目以上に法力で強化されている点はあるだろう。

 だが、同い年くらいの女の子一人で、世界のためにいくつもの土地を渡ってきた。ラタもアエトスとカヒナ専用の郵便屋さんとして二国間を飛び回ったが、きっと彼女はラタ以上に過酷な旅になっていたことだろう。


「そんなにも、救わなきゃいけないものなのか。世界って」


 半分以上無意識で零れた言葉は、彼女の耳にしっかり届いていた。


「ボクには荷が重すぎるってことかな?」

「あ、いや……そういうわけじゃないんだ。ただ、君一人だけが、世界のために、って戦っているのかなと思ったら」


 一人の少女に世界の行く末を託す。そんな簡単に託されていいものなのか。彼女が救世主の資格を、真の聖女であるからという理由だけで、押し付けているように思えたのだ。


「ラタは、勇者とか英雄には憧れないの?」

「君が生まれながらの救世主なら、俺は生まれながらの侍従だ。主に仕え、そのために命を使う。世界にかまっている暇なんてないんだ」


 ラタの断言に、なるほどねとエアリアは頷く。


「ボクも戦って英雄になりたいわけじゃないんだ。救世主とは、なんか違うからさ」


 もし本当に今機皇に襲われた多くの世界を救えば、後々まで語り継がれる存在になることは間違いない。その時に世界を救った聖女は、救世主と呼ばれていることになるだろう。


「星征樹からも、どの世界に行けばいいとか、何をすればいいのか、漠然と教えてくれるようにもなった。法術だって人並み以上に使えるし、平面世界の知識も持った。あとはもう、世界を救うために旅立つだけだった」

「なら機皇の侵略は、ある意味待ちに待った機会だったって、わけか」

「不謹慎ながらね」


 結果的に、その双肩に世界の運命を任せられた。


「ようやく、世界を救える時が来たんだから、やり遂げてみせる」


 それが、エアリアにとって世界を救う理由。


「何より、もったいないじゃないか。これだけ、いろんな世界があるんだから」


 それもまた、理由の一つなのだろう。


「わかった」


 ふいに聞こえてくる声に、彼女は視線を動かす。少し離れた場所にいたラタが、手の届くくらい近くにやってくる。その場所から、真っ直ぐにエアリアを見る。


「俺は、優先事項を変えることはできない」

「ご主人様のことだよね。大切な人のために戦うのが、ラタの生き方なんでしょう」

「そうだ。アエトスとカヒナの未来を、取り戻せるのなら――」


 彼は右手を、エアリアのほうへと向ける。


「君が救世主になるために、力を貸させてくれ」

「決まりだね!」


 嬉しそうに答えたエアリアは、彼の右手に自らの右手を重ねた。



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