Chapter.3『積層世界の救世主』

3-1 キミと出会い


「これが終わったらさ、ラタは何かしたいこととか、あるか?」

「したいこと?」


 この言葉を聞いたのは、確か結婚式の前夜だったはずだ。


 突然の親友の言葉に、ラタはオウム返しをしてしまう。いきなりそんなことを言われても困るのだ。なにせ、彼にとって一つしか返すことが見つからないからだ。


「そうだ。お前は俺とカヒナを繋げるために、何度も二つの国の間を走り続けた」

「それこそ、ドングリを探し回るリスみたいにな」


 ラタの妙な自己評価に、アエトスは小さな笑みを浮かべる。


「この世界が本当に星征樹とやらの枝先にあるのなら、似たような動きだったかもな」


 きっとこの世界の外周を一周するよりも長い距離を走ったはずだ。戦争の始まりから十年間、本当に心休まる日なんて、いったい幾日あったか。


「長期休暇でも出そうって話か?」

「欲しいなら出すぞ?」


 休暇、などしばらく覚えがない。侍従としてアエトスの護衛を担う立場であるし、必要となればプラネトス共和国にまで潜入する立場だった。酪農家たちが毎日動物たちとともに過ごすのと同じく、ラタにとってはアエトスを守りカヒナに手紙を届けることは、日常であったのだ。


 その日常の内、後者はこれからカヒナを守るという日常にとって代わられることだろうが、それはラタも望んだこと。まして、長期休暇など出されてその間にアエトスたちに何かあったりしたら、責任がどうとかの話ではない。自己嫌悪で自殺しかねない。


「この十年、お前の時間のほとんどを使わせてしまったからな。何かやりたいことがあるのなら、少し遅いかもしれないが、自由な時間と十分な支援をするぞ」

「厄介払いとかじゃないよな」

「そんなわけないだろうが。父上から、お前に頼りすぎてきたんじゃないかって、言われていてな。これからは、俺が国を支える立場になるから」


 助けられていた王子としての立場から、助ける王としての立場に変わる。


「だからって、俺がお前を守ることに何も変わりないだろう。王にだって限界があるから大臣とか貴族とかが存在しているんだ。気にするなよ」


 むしろ、ラタとしては頼ってくれない方が寂しいというか、自分の力が未熟であると突き付けられているようで悔しいのだ。


「それでも何かないのか? 例えば……恋人探しとか」


 それは、確かに一男児としては重要なことかもしれない。だが――

「お前たちの幸せを守る――これ以上に重要なことなんて、俺にはないさ」

 嘘偽りない、心からの言葉だった。


「そうか。お前はそうだったな」

「わかっていたのならなんで聞いたんだ?」


 そんな疑問を投げかければ、何でもないさ、と笑う主を見つめる。すでに彼の意識は先ほどの質問にはなく、これから始まるものに向けられている。


「改めて誓うよ。カヒナや陛下にも、お前たちを守り続けていくことを」


 披露宴で口にしようとした言葉は、結果的に鋼の侵略者たちによって、遮られることとなった。



   ◆◆◆



~第二十四番世界~


 真っ暗な世界を漂う意識が、誰かに力ずくで引っ張り上げられる気がした。

 呼吸をやめていた肺に、空気が飛び込んでくる。止まっていたはずの血流が全身を駆け抜け、痺れるような痛みが走る。無理やりにでも動けと命じられた体は悶えきしんだ。


「ぐっ! ごほっ! がはっ、はっ……」


 喉の奥に溜まった水を吐き出す勢いが、意識を完全に覚醒させる。


 胸が苦しく、全身の筋肉が悲鳴を上げる。強制的に胸が上下するたびに、体が悲鳴を上げていた。額に張り付く髪と、体にのしかかる服の重みは、つい先ほどまで自分が水の中にいたことを理解させてくれた。

 かろうじて目を開けた時、そこにあったのは紫の瞳だった。その上には、透き通った黄昏の色に似た長い髪があった。薄く華奢な体をした誰かが、そこにいる。


「キミ、生きてる?」


 目覚めた場所、そこは雄大な自然に包まれた、原生林と思しき大地だった。


 ヒトが抱えることのできないほど巨大な木々が乱立し、動物たちの鳴き声が響いている。そこにある木々に吊り下げられた布が屋根と壁を作っていた。今自分は、そこに仰向けになって眠っていたのだ。


 明らかに人工的な避難所が、熱帯雨林の中で照り付ける太陽の熱から守っている。引き千切れ血を流していたはずの手足も、折れたはずの左腕も手当てがなされ、なぜか負った傷の大きさに対して痛みは弱い。

 この避難所を作った誰かが、この包帯を巻き、治療してくれたのか。


 ――俺は、生きているのか?


 傷だらけだったはずのラタは、自分の生存をようやく認識した。


「どこか痛むところある?」


 快活に跳ね回るウサギのような元気さを持った声が、数歩隣から聞こえてくる。

 目を向ければ、先ほど見えた人物がこちらを見ていた。どうやらこの人物が、自分の傷に包帯を巻いてくれた人物らしい。


 全身にのしかかる倦怠感を押しのけて、ラタは上体を起こす。両手両足、ぐるぐる巻きにされた包帯が痛々しい。

 上半身、腹部はともかく胸部のあたりは頑丈に包帯が覆っていた。心臓のあたりに感じる痛みは、無茶な強化の代償だった。


「起きられるくらいには回復したかな?」


 内臓にまで負担をかけながら、機皇の拳に傷一つつけることができなかった。


 ――俺は、何もできなかった。


 体のダメージはもちろんだが、なによりも悔しさに胸が痛くなる。ただ、歯噛みしたくても、アゴすらまともに動かないが。


「おーい、聞こえてる?」


 先ほどから何度も問いかけてきた声に今更になって反応し、問いかけに何とか頷く。すると声の主は嬉しそうにほほ笑んだ。


「よかった、生きているなら上々。世界を救うには生きていないとできないからさ」

「なん……なしだ……がっ!」


 何の話だ、問い返そうとした時、喉の奥に溜まっていた水がせりあがってせき込む。それを知ってか知らずしてか、おそらく命の恩人なのだろう相手は、一人話を進めていく。


「あの啓示は間違ってなかったね。ああ、キミは何が起こっているのか理解できていないかもしれないけど、今は、それは置いておこう」

「待て……勝手に、話、を……」


 体を動かそうとしても、手足は言うことを聞かず、相手の声を止める言葉も出ない。

 もう少し体を起こそうとしたが、わずかに体を横に向けた瞬間地面に吸い込まれるように顔から落ちる。額と鼻を硬い地面に埋もれさせ、ただ唸ることしかできない。


「まだ無理しない方がいいよ。結構たっぷり水を飲んじゃったみたいだから。怪我もひどいしね。しばらく休むことを推奨するよ」


 すぐそばに腰を下ろした人物の目が、脂汗を垂らすラタの背をさすり、顔を見る。首を上げてみた先には、紫水晶アメジストのような瞳が傷だらけの姿をそこに映す。


 透き通った橙色の髪を揺らす人物は、上半身は修行僧のような法衣を着ていた。しかし下は街にいる少年少女たちのような丈の短い快活な服装だった。上下に妙な隔たりがあるのだが、それを違和感とは思わせない、堂々としたたたずまいがあった。


 どこかカヒナのようなカエルム教会の身分の高いものが祝祭などの折に着ている服に、普段着を組み合わせたような恰好だと、ラタには思えた。


「少し横になっていなよ。誰もキミを襲ったりしないから。今のうちは」

「君が、助けてくれたんだ、よな」


 この状況だ、それ以外に正解はない。


「まあ、そうかな。結構大変だったんだよ、男一人を水から引き上げるのも」


 ここにいるのが目の前の人物だけで、わずかに川の音が聞こえることから、一人で川から引っ張り上げてくれたのだろうと、判断できる。


「すまない。だいぶ、世話になったらしい」


 ラタは半ば寝転がった体勢でも深く頭を下げる。すると、どうやらこそばゆかったのか、別にいいよ、照れながら主張する。


「この世界じゃ生きている者たちはみんな助け合わないと生きていけないから。……ごめんボクはちょっと気にするからその話題はこれ以降なしで」


 口元を抑えた命の恩人は、いいね、と人差し指をビシッと向けてくる。


「あ、ああ、わかった」

「よろしい。で、何があったのかな。全身から血を吹き出しながら落ちてきたけど」

「……落ちてきた? 川に流れてきたとかじゃ、なくて?」


 もう一度体を起こしかけたラタは、相手の言葉に疑問を覚えて動きを止める。


「そうだよ。別におかしくはないだろう。人間が空から落ちてくることなんて、よくある……ことじゃないか。そっか、それもそうか」


 パン、と手を叩いて何かに納得した。


「……一人で、話を勧めないでくれるか」


 ごめんと肩をすくめながら謝ると、紫の瞳を一度閉じて、何かを黙考する。そして答えが出たのか、目を開いてこちらを見る。


「キミの状態から見て、何が起きたのかはなんとなく予想がつくよ」

「どういう意味だ……」


 ラタの問いかけに、相手はしばらく指をアゴに添えて上を見上げる。さて何をどこから話したものか、とつぶやくと、視線をラタへ戻す。


「まずは自己紹介。ボクはエアリア・スティル=ネフリティス。世界を救う救世主さ!」


 はにかんだエアリアは呆然とするラタを気にせず――


「さぁさぁキミは?」

「お、俺は……」


 自らを救世主だと名乗るなど、それを聞いた十人が十人、いや、百人が百人「こいつは何を言っているんだ」と苦言を漏らしたくなるだろう。

 自分もその例に漏れない人間なのだが、全身を駆け巡る痛みと命の恩人に対する非礼になるという理性の二つがあって、そのようなことを口走らずに済んだ。


 数秒呼吸を整える時間をもらったラタは、ゆっくりと答えた。


「ラタ=トクソティス、オルニス王国第二王子アエトス付き侍従だ」

「王子様の侍従、ってことは近衛騎士なんだ。かっこいいんだね!」


 エアリアは目をキラキラと輝かせながらいろんな方向から見てくる。


 だが、その言葉は今ではあまり褒められたようには感じられない。カヒナを何とか亡命させられたかもしれない。だが、オルニス王国に残された者たちは、今も機人たちの脅威にさらされている。


 カヒナもプラネトス側に送り出したとは言え、まだ無事だと確定したわけでもない。

 侍従としての役目なら全うできたかもしれない。それが及第点の行動だったかと問われれば、首を横に振ることになるだろう。


「キミ、なんかかっこいい武器持ってたよね。あれ魔怪晶を装填するタイプのように見えたけど、キミのオリジナルかい? ボクこういうのは結構――」

「それより、落ちてきたってどういうことなんだ、ここはどこだ?」

「ああ、そうだったね。そのこと」


 興味深げに傍らのソード・ボウを眺めていたエアリアは、それを一端地面に置く。ナイフを一本手に取ると、砂の上に簡単な絵を描き始めた。


「まず前提として、ここはキミのいた世界じゃない。この世界を含め、現在確認されているだけで世界は二十四ある。キミのいた世界から、この世界にやってきたんだ」


 エアリアが書いたのは、一本の木――大樹だった。


「二十四!? そんなにも、世界はいくつも存在しているのか……」

「その驚きよう、やっぱりこの積層世界についてはほとんど知らない口だね」


 左右に伸びる枝の先に存在する皿のようなものが、一つの世界であり、それが二十四もある。エアリアの描いた絵は、この世界を外側から見ることができたのなら、このような姿であるということ。

 木の枝の上に存在する世界、それが数多の世界のいる場所なのだ。


「普通の人はほとんど知らないだろうから、恥じることはないよ。積層世界は、何十年か何百年に一回くらいの頻度でしか、世界同士の接触は確認されていないらしいから」

「らしいって、誰かが記録を?」

「うん、ボクらの世界のヒトたちは、他の世界とは違って二十四ある世界をきちんと認識して生きてきたらしいから。干渉はしてこなかったけど、記録はし続けてきたらしい」


 その記録によれば、二十四の世界は星征樹によって移動し、巨大な地震とともに融合することがあるのだという。


 この十三年、オルニス王国のある世界と、プラネトス共和国のある世界が融合し続けたことも、把握しているという。世界と世界が融合している時間はまちまちであるらしく、記録上は千年もの間融合し続けた例もあるらしい。


 この現象を、伝説ではなく、記録上では《界遇》と呼んでいた。


「不可解なこともあるもんだよねぇ。大陸と大陸がぶつかり合ったら反発してすぐに離れそうなものなのにさ」


 聞いている側としてはエアリアの世界の人間が一体何年の間記録をし続けてきたのかの方が不可解だが、とりあえず気にしている場合ではない。


「それで、俺が落ちてきたというのは?」

「そうそう。その世界、ぶつかり合うってことは、同じ高さに位置していると思うでしょ」


 エアリアはそう言って両手を同じ高さに上げる。その手の上に世界があると想定しているのだろう。手を左右に動かすと、エアリアの言うこともわかる。


「けどそうじゃない。世界と世界はほとんど違う高さにあって、融合するときだけ同じ位置に来る。真横からぶつかっているように見える時もあるけど、いろいろ違うみたい」

「確かに、真横からぶつかったというのに、オルニス王国にはいくつもプラネトス共和国の土地が飛び地のように存在した。あれは、上下から接続したときに土地がずれたということなのか」


 そうした飛び地は戦時中占領下にあり、柵で囲われた閉鎖区域となっていたのも、つい最近の話だ。


 違う高さにある土地が一部重複し、上下から重ね合わせた時にはじき出された土地が別の場所に移動した。結果として、それが戦争勃発の理由となったわけだ。


「それで、違う高さにある世界に、自分のいる世界より下の世界へ落ちることでたどり着けるっていうのか?」

「理解が早くていいね。世界の存在する場所は常に変わり続けるようだけど、高い場所から低い場所に落ちる。それは世界というレベルでも当然みたいなのよね」

「じゃあ、今いるここは?」


 本来いた世界から別の世界に落ちる。それはつまり、世界の端、最果てにある滝から落ちた結果、より下に世界に辿り着くということだろう。だがラタは機皇によって生じた穴から落とされた。ならば、ここはオルニス王国のある世界より下層、二十四ある世界のどこかのはずだ。それで一体どこに辿り着いたのか。


「キミの出身地がオルニス王国で、そこは第六番目の世界だ。プラネトス共和国があるのは第十五番世界。それに対してここは星征樹の最下層」


 芝居がかった調子で、エアリアは両手を広げて見せる。


「ようこそ、第二十四番世界へ」


 その上空に、この世界に不釣り合いな鋼色の巨体が浮遊していた。


   ◆◆◆


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