2-4 虚空追放
オルニスの大地を疾走する四輪駆動の装甲車に、多少の振動や騒音など気にする余裕はない。後方から迫りくる軍勢に対し、屋根の上に立つラタは大量に詰め込まれた矢を一本取って放つ。
鋭く空気を切り裂いて飛んだ矢は、彼らの後方から迫る機人の一体の額に突き刺さった。命中した個体がもんどりをうって後ろに倒れる。それは後続の機人に倒れこみ、全力疾走していた彼らは連鎖的に転んでいく。
「海岸の基地まであと十キロだ。それまで耐えてくれ!」
運転手からの激励に、おう! と答えるラタ。ソード・ボウで矢を放つ手は、鈍い痺れを覚えていた。大量に矢を放ってきたのはもちろんだが、時折混ぜる法弾は、彼の腕に拭いきれない疲労感をもたらしていた。
すでにここに来るまでの数時間で大量の矢も放っている。指の先からも血を流し、渋面を作って痛みに耐えていた。
このデメリットがあるからこそ、未だソード・ボウやアエトスの使うショット・アックスといった法力兵装は実験段階なのだ。
「早いところグレードアップしないとな、これは」
研究所で調達した装甲車に乗り込んだラタたちは海岸線を目指し進んでいた。その過程で、護衛を務めていた車両三台のうち、すでに二台が大破している。
機人たちは、すでにオルニスだけではなく、プラネトスの方に向けても降下していたのだろう。待ち伏せが増えに増え、現在は追手まで現れる始末だ。
城への攻撃の手が緩んだのかどうかはわからないが、こちらを逃がさないと言わんばかりに機人たちは追い立てる。明らかにプラネトス側への渡航を邪魔にしにきているのは、オルニスとプラネトスが手を組むことを懸念してのことだろう。
「他の国の援軍を得るのは、奴らにとっても都合が悪いらしいな。さすがに複数の国を相手にするのは分が悪いようだ」
「問題は、現状プラネトスの回答を待たずに渡航しようとしていることだな。不法侵入で外交問題待ったなしだぞ」
苦笑いを浮かべる兵士たちだが、本当に問題になるのは逃げきってからだ。
現在レムリアのプラネトス駐屯地に、動かせるオルニスの船はない。つまり、プラネトスが受け入れを容認しない限り、あちらの世界に逃げるにはレムリアを迂回しなければならない。むろん、機人が泳げないとかいう欠陥がなければ、そんな時間はない。
「その前に、あいつらを振り切らないことには、船との合流もできないがな」
激走を続ける装甲車に機人たちは何かに乗るでもなく、自らの足で走って追いかけてきているのだ。傍から見れば先ほどから距離は変わっていないように思えるが、わずかに、少しずつ距離が詰まっている。
海岸につくまでに追いつかれるかどうか、それが問題だ。船に乗り込む以上、わずかにその場に留まる時間ができる。その間に追いつかれるわけにはいかない。
そして、問題は後方だけではない。
「前方に何かいる! ヒトみたいだが……」
敵か、味方か、誰何の声を上げている暇はない。機人たちの群れを突っ込ませることになるが、脇を通っていくしかない。
「スピードを落とすな。そいつには悪いが、かまっている暇はない!」
ラタの言葉に運転手もわかりましたとアクセルをさらに強く踏み込んで、わずかにハンドルを切る。ほんのわずかな距離で人影の横を通り過ぎ、機人たちとの距離はさほど変わらず、走り抜ける。
このまま海岸へ突き進む――はずだった。
……なんだ、こいつの気配は。
腰を大きくひねりながら弦に矢を番え引き絞る。直感的に、真横から真後ろに流れていく存在が敵だと判断する。時間がゆっくりと流れていくような感覚がする中で、その形状がはっきり見えてくる。
変形する体。人の上半身に、虫のような下半身で、被っているマントを投げ捨てる。
「虚空兵装クルムシフルール、起動」
攻撃の判断は、遅かった。
遭遇者は自らの下半身を地面に叩きつける。そこから放たれる衝撃波が、装甲車を一瞬浮かび上がらせた。同時に、彼らが今まで走っていた大地に大きな亀裂を作り出す。
同時に、カヒナの乗る車の上にいたラタの身体が浮き上がる。伸ばされた仲間の手は虚しくも空を切り、亀裂より手前の大地にラタは落ちる。
亀裂はまるで装甲車の真下狙ったかのように出現した。
「うわぁぁぁ――」
残っていた護衛の一台が、その穴を超えられず落ちていく。叫び声さえ戻ってこない、奈落へと続く穴だった。
カヒナの乗る装甲車は辛くも亀裂の向こう側に着地した。キュリリリリッ! と激しくドリフト走行しながらなんとか安定を取り戻して停止すると、窓を開けてカヒナが身を乗り出す。その目に、体表に揺らめく光を纏ったラタを見つけた。
「ラタくん! 無事!?」
「……俺のことを気にしている場合じゃないだろ! 早く行け!」
地面に体を打ち付け、ゴロゴロと転がっていたはずのラタは、すぐさま身を起こす。
彼が叫ぶ間も機人たちは猛然と走り続けている。先ほどの衝撃で何体も転び、後続に踏みつぶされたであろうに、彼らはそれを一切気にすることなく走り続ける。
大地に刻まれた亀裂は大きなものだが、機人たちの身体能力を考えれば何体かは飛び越えてもおかしくはない。
何より、問題なのはこの大地の亀裂を作った要因の方だ。
ラタはソード・ボウをくるりと回して剣形態へ変えると、切っ先を敵対者であろう存在へ向ける。その巨体は異質な気配を強める。
後ろで、崩れ落ちる大地の悲鳴が聞こえてくる。ガラガラと岩と岩がぶつかり合う音が響いていた。ちらりと見えた先にあったのは、黒い空間だった。
「お前は、なんなんだ。何が目的だ。なんでこんなことをする!?」
『質問が多いが、まあいい。貴様らはここまで到達した。なら、少しは希望を与えてやるのが、強者の務めというものだろう』
振り返ったその存在は、上半身の見た目は普通の人間のようなシルエットをしていた。だが、脱ぎ捨てたマントの下ではヘビのような長い腕が肩から生えていた。そもそも、下半身は完全にムカデか何かを巨大化させたような形状をしている。
その下半身から漏れる白い煙は、機械の排熱だろうか。地面に突き刺さっていた尻尾のような先端部分を引っこ抜き、ゆっくりと一歩ずつ、ラタに近づいてくる。
顔は人間で言う頭蓋骨が丸出しのような状態で、筋肉にあたる部分は機人たちと同じケーブルや繊維質のものでできていた。まるで皮膚のないむき出しの筋肉を見ているようで、妙に気持ち悪く思えた。細かく動く眼球が、じっとラタたちを見つめる。
好印象を与えないその存在感が、彼の心に言いしれない不安を与えてきた。その形状は、王城において映像として現れた、敵の首魁『機皇』のものだ。機皇は右腕を横に振るい、全速力で走っていた機人たちを一斉に停止させる。
優秀な軍隊が指揮官の命令で行進と停止を繰り返すように、獣のごとき様相で自分たちを狙っていた機人が、まるでロウで固められたかのように微動だにしない。全員同じように腕の武器を立て、両足を背中から伸ばし地面に対して垂直に立つ。
驚きに顔を染め上げるラタを見て、機皇は嬉しそうに表情筋がわりの繊維を歪める。
『うむ、いい顔だ、蛮族。私の存在に恐れおののいている顔だな』
自分が強者であるという絶対の自負のもと成立する心理が、刃を向けられてなお変わることのない余裕の笑みを生み出していた。
「お前は、機皇、なんだよな……?」
『そうだ。私こそが機皇。神なる都に選ばれた世界の支配者。積層世界全てを裁くに相応しいと見出された新世界創造の立会人である!!』
叫ぶ彼の後方で、全ての機人が膝をつく。主に首を垂れるがごとく、目の前の存在に傅く異界の人々。
彼らの姿を見て、忌々し気にラタはつぶやく。
「頭どっかで打ってネジ外してきたか」
『
突如として機皇の両肩にあるヘビのような腕が伸びる。いくつもの節に分かれて伸長していき、一瞬にしてラタの体へと絡みつく。
両腕を締め上げ、それなりに筋肉もあって重いはずの彼の身体を軽々と宙づりにする。
『ううむ、なんといったかよく聞こえなかったな、蛮族。もう一度、はっきりと、大きな声で言ってみてくれるか』
締め付けるのは体だけではなく、ヘビで言えば口にあたる部分から生えた細く伸びた舌のようなワイヤーが気道を抑え込み、ラタの体から酸素を奪う。いくら暴れても振りほどけない強力な機械の膂力がラタを逃がさない。
対岸からそれを見るカヒナは、自らの手を機皇へ向ける。
「あなたが機皇なんですね。あの空に浮かぶ逆転世界からやってきて、どうしてこんなことをするんですか!?」
『ん? 愚者に教鞭をとるのは知恵ある者の務めだ。蛮族を征し文明を享受させることこそ新世界創造への第一歩。当然のことだ』
「……なるほど。皇を名乗るだけはありますね。ただし、アエトス様やおじさまとは違い、根っからの暗君のようですが!」
彼女の掲げた掌に、ラタが出現させた文様と同じものが浮かび上がる。
真っ直ぐ放たれた氷の塊は、機皇の額に吸い込まれるように命中した。頭を打たれた衝撃で機皇の力が緩み、首を押さえつけられていたラタは地面に落ちるが解放された。
激しくせき込みながら、落としていたソード・ボウを手に取ると、杖代わりにして立ち上がる。
「早く行け! こいつが敵の大将だろうと、ここに来たならそれなりの準備をしているはずだ。ここで戦うこと自体が、奴の罠なんだ! カヒナを守れ!」
ラタは停車する車に叫んだ。彼らは困惑と不安の表情を見せるが、いち早くここから立ち去ることこそが最優先事項だと理解する。
結婚式をぶち壊されたカヒナにも、その仕返しとこの短い時間で生まれた数多くの兵士や国民の仇がある。それを成し遂げたい気持ちは、誰もがわかることだ。
だからこそ、焦ってはいけない。焦れば本当のチャンスの到来を待つことなく敗北する。
「必ずたどり着いてくださいね、絶対に!」
「もちろんだ」
ゆえにラタは対岸に残る。走り去る装甲車に背中を向け、倒れたままの機皇に意識を集中する。
「さっさと立てよ。カヒナの一撃だって、痛くもかゆくもなかったんだろう」
ラタには見えていた。カヒナの放った氷塊が命中する瞬間、それと機皇の間に薄い半透明な膜があった。法力に似た光の壁が機皇の体を守っていた。
車から落ちた自分が無事なのも、同じ理屈だったからこそわかる。
むくり、と起き上がった機皇の額には、パラパラと崩れていく氷の塊があった。
『全く、ひどいものだ。いきなりこれだ。これだから蛮族どもは戦争をいつまでたってもやめられない。誰かが止めてやらないといけないってわかれよ、クズ共が……おっと』
「戦争を仕掛けてきておいて何をいう……!」
いい加減、ラタはこの機皇という存在に苛立ちを募らせる。
純度百パーセントの傲慢を人の形にして喋らせているような悪意の塊だ。存在自体に嫌悪感を覚えざるを得ない邪悪な皇に、ラタは両手に構えた剣を向ける。
『……あ、あ、んん! 全く、野蛮で下賤なる人類は、手に負えん。私直々に止めてやらねばならないな』
それを、機皇は一瞥することさえない。実力差があることは、あの腕の動きに反応できなかった時点で分かっている。一瞬で首を抑えられた。まともに切りかかっても、カウンターに沈むのが落ちだ。
だから、彼は引き金を引く。放出された法力が刃を包み、一回り大きな光の刃を作り出す。この状態なら機人たちの装甲も斬り捨てることが可能なのはわかっている。
機皇の鎧が通常の機人たちより強固だとしても、まったく傷つけられないというわけではないだろう。この刃を作り出す際に残った分の法力は体に貯め込む。体全体を強化し、機皇の攻撃に反応できるように強化を施した。
「仕留められないまでも、足止めは出来る……!」
『そういうのを、無駄な足掻きというのだろう』
昆虫のような多脚は、驚異的な跳躍力を持っていた。機皇はラタとの距離を一気に詰めて、その腕に装備された鎌を横なぎに振るう。
ラタは同時に二発目の法弾を開放、全身に法力を満たした。
横回転しながら飛んだラタは、鎌の上を転がるように移動する。強化に上乗せされた強化が、反応できなかった機皇の動きへの対処を可能としたのだ。
着地のタイムロスを極限まで少なくするために足をついたその瞬間には体を前に押し出す。実体の刃より少し長い光の刃によって、ほんのわずかだがラタの間合いは長くなる。
鍛え抜かれ、強化された脚力によって機皇の間合いの内側へと体をねじ込んだラタは、全力で刃を振り下ろす。
『学んだらどうだ、下等種。私の体表に、何が施されているか』
バリバリバリッ! と雷が鳴った時のような音を放ちながら、ラタの刃は機皇の体を包み込む光に阻まれる。カヒナの放った攻撃を止めたように、ラタの攻撃も止めた。
――
要するに、機皇の体は、ラタたちには実現できていないより高度な法力兵装だということだろう。彼が自分たちを蛮族だの下等種だのとのたまう理由が、ラタにはなんとなく理解できた。技術力では、数世代先を言っていると考えて問題ない。
「だからなんだっていうんだ。お前が国を、アエトスたちを傷つけたことが、技術力の差なんかで正当化されると思うな!」
『されるのだ。貴様らは、私たちによって剪定されるのだから!』
弾かれる勢いで機皇から距離を取る。
機人たちは今も跪いたまま、二人を囲むような半円を作っている。逃げることは叶わない。ラタとしても逃げるつもりはなく、せめてその腕一本でも奪い去る覚悟だった。
法力による強化が解除されるまでさほど時間はない。ソード・ボウに法力弾を三発装填。その全てを連続してトリガーを引くことで一斉開放する。
溢れ出した法力は腕を伝わってラタの体にまで流れ込み、無理やり彼の体を強化する。
本来なら薄めて使うような濃い強壮剤を、原液で体の中にぶち込んだような感覚が駆け巡る。血は沸騰したように熱く血管を激走し、心臓はそれに合わせて爆発するように激しく打つ。力に満ちた筋肉と骨がぎちぎちと音を立てるのがわかる。
先ほどの強化とは大違い。本来なら脳が閉めているはずの体の制御まで放棄させて、彼は走り出す。それを機皇は難なく受け止める。
『貴様ら下等種が、今生きているだけでも世界にとって損失だということを理解しろ。文明は未熟、文化は低俗、それを正してやろうという神都の慈悲を受け入れぬものなど、存在する価値すらない』
冷たい腕が叩きつけられる。一切の容赦なく、鋼色の肌を持つ巨体は冷酷な言葉とともに斬撃を浴びせてくる。受け止めきれない攻撃は、彼の体を傷つける。切り裂かれた皮膚から、赤い鮮血が地面に飛び散っていた。
「下等種? 神都? 言っている意味が、まるで分からない」
歯を食いしばり、両手で握った剣を使って受け止めなければ、人の体も泥人形のようにぐしゃりと潰してしまいそうなほど苛烈な一撃だ。だからと言って意識も戦意も手放すわけにはいかない。
「お前が、何を、言おうと……お前になにもさせはしない!」
――必死の抵抗。
見下すその顔を殴り倒してやろうという気概はあるのだが、力が違いすぎる。猫が獅子に膂力でもって勝負を挑むようなものだ。
なら、別の手段を取ればいい。トリガーを再度引くと、刃に溜まっていた法力から強烈な光が放たれ、視界を埋め尽くす。
機皇がたたらを踏んで数歩下がると距離が離れ、ようやく吐き出された息の代わりに燃えた油臭い空気が肺の中を満たす。呼吸を整える暇などない。全身に酸素が行き渡るより早く、左手の輝きを放つソード・ボウが振るわれる。
そんなものでは意味がないとあざ笑うかのように、鋼色の皮膚の表面に同じ輝きが浮かび上がる。身を守る光の盾と、怒りを乗せて振るわれた光の刃。
軍配は、再度盾に上げられた。
『脆弱な技術、そんなもので勝てるとおごるな、蛮族!』
光の圧力が体を弾き飛ばし、わずかに体が空を舞う。まだ刃は消えていない。着地し、もう一度斬りかかる。
「ようやく、ようやくあいつが幸せになることができるんだ!」
人生のほとんどをともに過ごし、支え続けてきた主アエトス。彼の幸せこそがラタにとって、王族に使えてきた近衛侍従として――否、新郎新婦の親友としての最上の幸福だ。
「邪魔はさせない。失わせはしない。もう、あいつは幸せになっていいんだ!」
たとえ命を投げ出してでも、機皇を止める。そのためにソード・ボウからさらに自身へ法力を過剰供給する。
『馬鹿らしい。貴様ら下等種がいかに持続を図ろうと、これ以上の勝手な繁殖は許可できない。我らの管理こそ、至上の幸福への第一歩だ』
ラタの生き様を、機皇は美しいなどとは思わない。誰かのために死ぬ姿など、愚かで醜いものとしか映らない。ましてそれが、下等種を増やす結果に繋がるならなおさらだ。
「わからないなら議論する気はないさ。ただ、これだけは確かだ」
ラタも、知らない奴からの評価など彼は必要としていない。大切な親友が幸せになれるのならば、彼らがありがとうと言ってくれるなら、それだけでいい。
「アエトスたちの未来に、お前は邪魔だ」
『私たちの理想に、貴様は不要だ』
最初はまともに反応できず、二撃目はさらなる強化を施すことで躱すことができた。体を強化し受け止めることもできた。
今度は真っ直ぐ突っ込んでくるラタに対する反撃だ。だが、ラタの体には先ほどまでとは比較にならない強化がかかっている。
機皇がラタを掴んだと思った手は空を切る。先ほどまでそこに見えていたはずのラタの姿は残像だった。四本の機皇の腕を掻い潜った彼の姿はすでに上空にあった。
落下しながらさらにトリガーを一回引く。法力を放った時の圧が体を押し出し、両者の距離が一気に詰まる。
「届けっ!!」
振り抜く光の刃。その刃に対し、機皇は下半身の尻尾に当たる部分をラタの武器へ向けて叩きつけた。
「クルムシフルール、解放」
刃に対し突き立てられた巨大な棘は、ラタの斬撃を真っ向から押し留めた。逆に急激な制動と、先ほどの巨大な穴を作り出した力がラタの体に異常な衝撃となって襲い掛かる。
――未知なる波動。
ソード・ボウを握る左腕から破砕音が聞こえた。
全身の筋線維がぶちぶちとちぎれていく音もする。口の中に広がる強烈な酸味は、腹の奥からこみ上げるものの味だろうか。鉄の味も一緒に感じ、口の端から歯の間を通ってわずかに漏れ出した。
ただ単に受け止められただけなら、左腕が痺れる程度で済むはずだ。だが、尻尾の先端から放たれた力はラタの体内に侵入し、左腕以外の部分までも破壊する。通常空間を伝うただの振動ではない。この大地に虚無に続く穴をあけた力は、人体にも影響を及ぼす。
『だから、言っただろう。貴様は、不要だと』
地面へ向けて落ちていくラタの体を、ヘビのように伸びる腕が捕らえる。冷めきった目で見る機皇は、そのまま腕を穴の上にまで伸ばす。興が削がれた、とつぶやいた彼はカヒナたちを追いかけることはない。
『知っているか? 各世界の下には虚無の海が広がっている。お前の体を破壊したのは、その空間を開くための衝撃と同等のものだ』
「…………なんだ」
だからなんだ、とでも言おうとしたのか。しかし、機皇の耳に届いた言葉はほとんどない。彼は、ラタを掴んだ腕をゆっくり緩めていく。
『もう貴様がこの国に戻ってくることはない。虚無で彷徨い、大樹の中に帰るといい』
そういわれながら、ラタは抵抗の意思を示すように、右手で機皇の腕を掴む。しかし、力が入っておらず軽く振るだけで外れた。
『目的の物も回収できた。あとは、サンプル用の王族を捕らえれば終わりだ』
ラタから完全に腕を外し、彼の身を虚無へ通じる穴へと落とす。
『さらばだ。脆弱な者よ』
踵を返し、オルニス王国の王城があるほうへと進んでいく。その道を機人たちは少しずつ開けていく。平和になろうとしていた世界に、鋼鉄の足音が響き渡る。
落ち行くラタを、その目に収めることもなかった。
「アエトス、カヒナ……」
呼びかけた名前に応える者はなく、虚無の彼方へと意識が奪われる。
「ごめん……」
漆黒の深淵へと、彼は呑み込まれた。
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