1-3 過去

~十三年前・オルニス王国周辺海域~


 遥か遠くの水平線。


 空と海との間にピシリときれいな線を引いたように、輝く一本のラインが見える。


 水平線の先に大地はなく、そこを超えれば、世界の果てへ、永遠に続く真っ黒な虚無へと向かう滝が流れている。

 流れている――はずだった。


 今、そこには別の水平線が接続していた。


 突如国全体を襲った巨大地震のおり、水平線の彼方に他世界が現われた。

 この国の周りには海が広がり、西側には複数の島や別の大陸もある。


 それが、この『平面世界』にある国々だ。


 残った部分はすべて海である。


 西の大陸において反乱がおこり、新たな王朝ができるなどということは数十年、早ければ十年単位で起こりえる恒例行事だった。

 地震が起きた時に新しい島が海の上に顔を出すこともあるが、それも何百年に一回の珍事だろう。普通に生きていれば、そんな現象に遭遇できるのは一握りの者たちだけだ。


 だが、今回起きたことは、それとはまた違う。完全なまでの、異常だった。

 地震があったのは確かだ。国全体を揺るがすような大きな横揺れのあと、上下に激しく揺さぶられて立っていられるものなど国中どころか、この世界のどこを探してもいなかっただろう。


 それだけの揺れであるはずなのに、建物の倒壊は一切なく、まして動物たちは静かだった。地震が起こる前に暴れだしたり逃げ出したりするはずの彼らが、嫌に静かにこの揺れを受け止めた。

 そしてこの瞬間を待ちわびたかのように、一斉のその咆哮を空へと打ち上げた。


 幾万の獣たちが鳴らす大音声とともにこの事象は受け入れられたのだ。

 水平線の向こう側から現れた異なる海、異なる大地との邂逅を彼らは歓迎した。


「ラタ、どうして教会はこの現象について誰にも知らせなかったんだろうな」

「誰も信じてなかったからじゃない?」


 この世界は、ある大樹の枝の上に存在しているのだという。

 大樹に意志があるのかないのかわからないが、時折こうして枝の上の世界と世界をぶつけ合う。何かいいことがあるのか、ないのか、そんなことはわからないが、宗教上の伝承として残っていた。そして今は国中が事実起きることだと知っている。


 問題の当事者たちからすれば突然隣人との接触だ。隣の空き家に隣村から新婚夫婦が引っ越してきたなんていうレベルの話ではない。

 他の世界との接触とはつまり、大地と大地の衝突であった。困惑しているのはお互い様であり、恐る恐るといった様子で両国は船を漕ぎだした。


 その船の一つに、まだ幼いころのラタとアエトスも同乗していた。


「だいぶ近づいたね。出来立ての新大陸」

「ああ、取りえず名前は付けたらしい。教会がな」


 彼らは隣国への特使の付き添いということで船に乗っていた。これが、オルニス王国とプラネトス共和国が邂逅した瞬間であった。


 当時まだ五歳だったラタは、こちらは七歳であったアエトスに付いて両世界衝突時に形成された新大陸――名をかつて存在したという大地『レムリア』と呼ばれるようになる陸地に訪れた。

 建物など何一つない、だだっ広い岩と取り残された海水のみが存在する巨大な土地だ。もし今世界と世界が引き剥がされたらこの大地はどちらの土地に残るだろうか。それとも真っ二つにきれいに割れてくれるだろうか。

 世界と世界の衝突は、思った以上に不思議な現象を起こすのだろう。この大陸の向こう側にあるプラネトス共和国とは、一体どんなところなのだろうか。


 ラタはふとそんなことを想いながら、レムリアに降り立った。

 この場所に立つことそれ自体危険な行為なのだが、それは両国とも同じ条件だ。

 約束の取り決めには、お互いの国教の司祭が仲介役として名乗り出た。彼らが設けた会談は、全権大使もしくはトップが直接会談することが決まったのだ。


 ラタの国からは現国王、つまりアエトスの父と数名の大臣、さらに次男である王子アエトスとお付きのラタにそれらの護衛が、この地に向かったのだ。


 両国にとって、言葉を直接交わしたことはもちろん、顔を合わせたこともない相手だ。未知の存在との出会いに、なんとも無謀というか、王自ら乗り出したときは誰しもが反対したものだ。

 それでも強烈な好奇心に押されたのか、それとも純粋に他人には任せられないという使命感からだったのかは判別できないが、国王は自ら帯剣して船に乗った。国王はマントのようにファーコートをはおり、王冠の代わりに戦に使う兜をかぶっていた。


 しかもそう思ったのはアエトスの父王だけではなく、相手国のトップも同じだった。


 相手国のトップ――向こうでは国王ではなく大統領――が王冠も兜もマントもなく、黒の礼服にサーベルを帯剣していた。

 お互い厳つい視線を送り合い、鞘に手をかけるようなことはない。


 細い糸の上で行う綱渡りのように、一歩間違えれば奈落の底へと落ちていく危険性を持った出会いである。そんな会合が、ラタのいる場所から歩いて数秒先で起こっていた。


「両国首脳がそろいましたので、これよりここレムリアにおける両国首脳会議を開始したいと思います。進行に関しては、わたくし、オルニス王国カエルム教会枢密卿カルディナが務めさせていただきます」

「また、進行に対し公平さを求めるため、プラネトス共和国カエルム教会大司教エピスも参加させていただきます」


 カエルム教会――七芒星の装飾の付いた杖を持つ二人の僧が両者の中間に立っている。不思議な話があったものだと、両国の人々は思う。


 世界が違うというのに、同じ宗教が存在するのだ。

 しかも、それが両世界において国家間を超えた信仰集団を作り出している。敬虔な信徒たちにいたっては、この出会いはカエルム教会の信仰の試練だという者もいる。

 他の世界で同じ志を持つ者たちが手を取り合い、これから起こる災厄に立ち向かうときが来ただの、古に分かれてしまった世界を統合するときが来ただの、言いたい放題な輩も多い。何しろ、彼らの教義では『星征樹』と言う巨大な樹木が存在し、その木があることで世界は存在できるのだという。


 文字通り枝分かれした先の世界同士の接触、というのがその人たちの主張だ。だが、この教会のおかげで、二国間で首脳会議が開けるようになったのだから、恩恵も大きい。

 だだっ広い土ばかりの荒野のど真ん中に掲げられた屋根だけの天幕。きれいな長方形の机が載せられ、それぞれ両端に立ち、持参した椅子に座る。

 両陣営の同行者用の天蓋の下で、その様子をラタはアエトスと一緒に見守っていた。


「ひとまずは不可侵条約でも結んで、交易だとか人の行き来については、後日また協議を重ねることになるだろう。とりあえずお互いに敵対の意志無しということを確認できれば、今日はそれでいい」


 アエトスは年に似合わないしっかり過ぎる物言いをする。ラタには半分くらい何を言いたいのか理解できなかった。侍従と言っても教養ありきで採用されたわけではない。


 ラタの父は、現国王の近衛騎士隊長を務めていた。その縁で侍従となった程度の五歳児に、いきなり教養を求めるは無理な話だ。


 ただ、ここで歴史の証人の一人となったことは、彼の後の人生に大きな影響を与えたのは確かだ。それは、決してこの会談を間近で見ていたからというわけではない。


 会談は、数刻に及んだ。初めての顔合わせだというのによくもまあそこまで話し込めるものだとラタは思う。すでに会談が半分も過ぎる前から眠気が襲い、椅子の背もたれにもたれかかって半分以上眠りに落ちていた。

 対して隣のアエトスは律義に起きていたようで、会話の状況をずっと見守っていたらしい。音声のみだが中継もされており、熱心に聞き入っていたように思う。


 その最中、アエトスがふと気づいたのだ。


「向こうの天蓋に、女の子がいないか?」

「え? どこ?」


 突然の主の言葉にラタは跳ね起きた。


 そしてアエトスの指差すほうを見つめると、確かにそこに女の子がいる。同年代くらいだろうか、長い法衣に身を包んだ子どもが、つまらなそうに高い椅子に座って足をぶらぶらと揺らしている。服の種類から見て、女の子らしい。

 格好からしてあちらのカエルム教会関係者なのだろう。今回の会談の生き証人となるべく、連れられてきたものと考えられる。


「俺たちの世界の聖女様とは、随分と違うなあ」

「ああ、あのおばあちゃん」


 もしこれをカエルム教会関係者に聞かれれば、咳払い程度では済まないだろう。幸いここにそのことを問いただす人間はいないので、視線を会談する国王に戻す。


「陛下に言われていたけど、アエトスがあんまり貴族の女の子たちと仲良くできていないので助けてやってほしいって」

「……父上はおせっかいが過ぎる。俺は仲良くできないわけじゃない。緊張してしまうだけだ。慣れれば問題ない! ていうか、今言うことか!?」

「いや、だってアエトスが女の子に興味を持つなんて珍しいから。兄王子殿下は、友達いっぱいいるけど、アエトスには俺以外いないでしょ」


 ぐぅ、とアエトスは苦悶を漏らす。


「それってつまり、将来のお嫁さん候補、見つけづらいってことなんだろう?」


 王族である以上、子を残すことは重要だ。王都には国王にとっての親戚たちも多数住んでおり、もし王家に何かあった場合は、彼らの中から新しい王家が誕生することだろう。


 ただし、現在の国王には社交的な長男と友達作りの苦手な次男がいるので、新しい王家の誕生を見ることができるのは、随分と先の話だろう。


「兄上は、確かに社交的な方だ。貴族の子弟の中でも中心事物であるし、大臣たちとともに国に貢献されている。貴族のご令嬢の中には、将来兄上の婚約者候補もいるだろう。だからと言って、俺までそうやって見つけるわけではない」


 ため息交じりに首を横に振るアエトスの言葉を、ラタは否定も肯定もしない。そんなものを求めているわけではないことは、彼が一番よくわかっている。

 だからこそ、別の提案をする。


「会談が終わったら、向こうの教会関係者に挨拶させてもらったらいいんじゃないか? あの子の暇そうだし」

「うーん……だが首脳陣以外で接触するのはあまりよろしくないだろう」

「少しは俺以外に友達を作るのも悪くは――」


 そこまで言ったとき、ラタは何かに気づいたように足元を見る。そして遠くのほうに視線をやる。


「誰だ?」


 ラタの言葉に、彼が顔を向けている方をアエトスは見るが、何も見えない。


「何かいるのか?」

「わからない。でもなんだかもやもやしたものが近づいてきている」


 ラタは目を細める。武器は手に持っていないが、それでも拳を握りこむ。


「アエトス、下がれ!」

「衛兵、防衛陣形!」


 アエトスの言葉とともに、ラタは彼の前に立って拳を握る。それに加えて護衛の兵士たちが動く、はずなのだ。


「なぜ、誰も動かない……?」


 ラタだけが防衛陣形をとるのに、一緒に居る兵士たちは一切動く気配を見せない。それどころか気楽に会話までしている。こちらを向いているはずなのに、ラタの動きに気付いた様子もない。


「何が起きている。音が遮られているのか?」

「それだけじゃない、たぶんあっちから見えている光景も歪んでいるぞ」


「あの……」

「気をつけろ。兵士たちに気づかれず遮音結界を張るということは、相応の実力者だ」


「すいません……」

「アエトスは一歩ずつ下がれ。必ずお前は――」


「ごめんなさい!」


 二人の耳に、女の子の声が響く。びくりと肩を震わした二人は声の方向に顔を向けると、そこには法衣に身を包んだ少女がいた。キラキラとした王笏のようなものを持って、二人の隣に立っていた。ラタの眼には、その少女の周りに妙なもやもやしたものが見えていた。


「プラネトスの、聖女殿?」

「聖女じゃないんです。聖女見習いなんです」


 パサリとフードを外したその聖女見習いは、透き通るような水色の髪の少女だった。まるで髪の内側から光を放っているかのような幻想的な色に、一瞬二人とも見とれていた。


「急にごめんなさい。私、プラネトス共和国で聖女見習いをしているカヒナと言います」


 背丈はアエトスよりも大きく、左右にまとめた髪は幼さを醸し出すが、二人にはこの少女が年上だと思えた。


「プラネトスの、聖女見習い?」

「その聖女見習いが、どうやってここに……この遮音結界か!」


 カエルム教会の聖女とは、教会に属するものたちの中でも特に法術という特別な力を自由自在に扱える者だとラタもアエトスも知っていた。実際に発動した法術を目の当たりにするのは初めてだが、何が起きたのかは理解できていた。


 音を遮り、景色を歪める結界もある。おそらく目の前の少女は、自分が座っていた場所からここに来るまでの間、それを維持しながら移動したのだろう。


 国王軍の偵察部隊や狙撃兵部隊が使うような戦闘服や迷彩服とは次元の違う、完全な隠匿能力だ。やろうと思えば、今この瞬間アエトスを攻撃したとしても、周りの兵士たちはそれに気づくとことは出来ないだろう。


 警戒するラタは、カヒナと名乗った少女とアエトスの間に壁のように立ちはだかる。


「何が目的でここに来た」


 現在両国の首脳が会談中であり、その最中に問題が起きれば大変なことになるというのは、すでにラタにも理解できている。目の前の相手がそれを理解できていないのかと、内心呆れる。そして、相手の口から出てきた言葉は、もっと驚くべき言葉だった。


「えっと、本物の王子様なんですよね。そちらの――」

「アエトスだ」

「アエトス様は」


 さらりと自分の名を名乗ったアエトスにラタは肘を打ち付ける。相手は法術師、どんな些細なことも油断できないと、ラタは警告する。


「お話を聞いた時からすごく気になっていたんです。本物の王子様って初めて見ました! 今日はありがとうございました。それでは失礼します!」


 ペコリと音が付きそうなきれいなお辞儀をしたカヒナは、すぐさま踵を返して走り去る。同時にゆっくりと、ラタとアエトスの周りを覆っていた遮音結界と隠匿結界が解けていく。

 むろん、兵士たちは何も気が付かない。結界内部に居なければ、結界が解除されたことにも気づかないということは、とても高度な術だったのだろう。


「何だったんだ、あの子は?」

「……さあ?」


 アエトスの言葉に、ラタは首を傾げるしかなかった。


 こんな突拍子もない出会いから、アエトスとカヒナは結婚にまで至ったのだ。




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