1-2 式中


 アエトスの警護を仲間に任せ、式場にやってきたラタは、関係者席の最前列に向かう。アエトスやその家族からの好意で、最前列での参加を許されたのだ。


 そこから、会場全体を見る。


「国中の貴族たちが大集合だが、さすがにこんな日に不穏な動きをする者はいないな」


 じっと参列者たちの格好や持ち物を見ていたラタは、よしと頷く。参列者というより、護衛官と言った方が正しい動きをするのは、もう職業病と言っても過言ではない。


 その隣に、男性が一人立つ。


「ラタ、君には手間をかけさせたな」


 ラタは、かけられた声に振り替える。そこにいた人物に向けて一礼すると、いいえ、とかぶりを振る。


「陛下、私は主足る殿下のためなら、海千山千いくらでも超えてみせましょう」


 ラタから陛下と呼ばれた男性はその言葉に目を細めて笑みを浮かべる。初老の顔は皺が浮かび、白髪交じりの黒髪も今までの苦労を感じさせる。だがそこに厳つさはなかった。


 陛下――つまりアエトスの父君である。


「その通りだね。君は文字通りそれを超えて、あいつらを繋げたんだ」


 国王の後ろから、別の若い男性が顔を出す。父譲りなのだろう国王と同じ黒髪に、人受けの良さそうな甘い笑みを浮かべていた。


「殿下、しかしそれは新郎の、弟君の努力があってこそです」


 その青年は陛下と呼ばれたものの息子――つまり王子であり、アエトスの兄でもある。彼は笑いながらラタの肩を叩く。君はよくやったよ、という言葉を付け加える。


「はっはっはっ、その通りだな。奴はよくできた奴だが、女と話すことだけは出来ないヘタレだったからな。君がいなかったら、この結婚もなかったことだろう」


 国王も同意の笑い声をあげた。


「まったくだよ。まさか私より先に弟が結婚するとは思わなかった。ラタ、済まないが早速いくつか同じような仕事を頼みたいと思っているんだがあとでいいかな」

「いらぬだろう。お前なら手紙など書かなくてもすぐに口説き落とすからな」

「うーん、そんな俺が弟に出遅れたから第一王子だったはずなのに王位継承権は持っていかれたんだけどね」


 今回の結婚式の主役は、ラタにとって主であり、この城の王にとっては第二子に当たる人物だ。それも兄王子を押し退けて、王位継承権を与えられている。

 兄王子はまるで弟に嫉妬しているような物言いだが、きちんと家族の晴れ姿を祝っている。何せ、継承権の移譲を申し出たのは兄王子のほうだったとラタは知っている。


「私は、ただ彼らが抱える想いを届けただけです。お互いに超えられない立場があることを理解していらっしゃったから、それを超えられるものが身勝手に超えただけなのです」


 アエトスもカヒナも、立場上、国の行く末に大きな影響力を持つ者だった。国の方針に従えば強力な味方になるが、反発すれば派閥を造り対立する。お互い、相手に気持ちを伝えるだけでも多くの危険があった。


 ラタは、その垣根を飛び越えて、二人の想いを届かせた。アエトスがカヒナを、カヒナがアエトスを好きだということを知っていたから、その懸け橋になったのだ。


「殿下と猊下が幸せになれるのなら、これ以上嬉しいことはありませんから」


 そのためならどんなことでもできると、ラタは豪語して見せる。


「君の存在が、二人を結ぶ絆になった。伸ばしても届かなかった二人の手を、君が引っ張り触れ合わせたんだ」

「それも同じ国でもなければ世界でもない。お前は、よくやってくれた」

「恐縮にございます」


 国王からの言葉に、ラタは小さく頭を下げる。本来なら片膝をつくべきだが、今はその状況ではない。


 彼らが住むこのオルニス王国は、つい先年まで戦争状態にあった。互いの国土にまで被害は及ばなかったが、きっかけが少し不思議なものであったため、収集の付け所がわからず、泥沼化しようとしていたものだった。


 オルニス王国より東に、国はない。水平線の向こう側にあって見えないとか、誰も到達していないから国があるかどうかわからないという話ではない。

 この国より東の水平線の向こう側は、存在しない。


 海の水は端より虚無の中へと流れ、その先は誰も何があるのか知らない。この虚無へ落ちて戻ってきたものはいないし、戻る方法だってわからない。


 ここは平面世界の東端、オルニス王国。

 それよりさらに東に出現した他世界の『プラネトス共和国』

 今より十三年前、突如として水平線の向こう側に現れた他世界との接触は、新しい大陸生み出すだけではなかった。各地に通常では考えられない自然災害を生み出し、同時に何も知らずに接触した人々の間に諍いの種を撒き散らした。


 オルニス王国は、周辺国とは海を隔てて存在する島国だ。世界の東端に存在し、西側にあるもっと大きな大陸でいくつもの王朝が跳梁跋扈している間も、長い年月存在し続けた王国である。

 その国の東に現われたプラネトス共和国は、王が存在しないという、オルニス王国にとって未知の国だった。その関係性は手探りな点も多く、最良な出発とは言えなかった。


 それが結果的に多くの血と涙を流す結果にもつながった。数多の間違いと失敗を積み重ねて、幾人もの努力を重ねなければ、きっと二つの国は今も互いを恨み、銃口を向けていたことだろう。


 だが今日は、その全てを払しょくする日がやってきたのだ。

 つまり、オルニス王国人アエトスと、プラネトス共和国人カヒナによる、結婚式である。


「我が主アエトスがオルニス王国の繁栄と、プラネトス共和国との友好のために尽くすのならば、私もこの一命を賭して、支え続ける所存です」

「これからもあの子を頼むぞ。ラタ=トクソティスよ」

「御意」


 短く、だがあらゆることに対する承諾の意味を込めて、彼はそう答えた。


 これから、素晴らしい時代になる。幸せにあふれた未来が訪れる。少なくとも、この式が決定し、準備し、いざ式に臨もうとしていた時は、信じていられた。


 大切なものたちが、笑い合える世界になることを。


   ◆◆◆


~第■■■番世界~


「ついた……けど、蒸し暑い……」


 原生林の広がる密林地帯。まるでヒトの手など入っていないこの大地に、少女が一人降り立った。法衣のようなものに身を包んでいるが、袴のわりに随分と短い。代わりに靴下が長く、このような密林をある国は不釣り合いな踵の高い靴を履いている。


 どう考えても、ここで暮らしていたとは思えない格好だ。


 ついた、と呟いたことからも、この人物がどこか別のところから来たと考えるべきだろう。どうやってこの密林のど真ん中に足跡一つ残さずやってきたのかは、ともかく。


「目的地はここで間違いない。というか、ここが最終地点だから、ここでどうにかできないと本当にどうにもならない」


 首から下げた大きなペンダントがチャリッと揺れる。

 透き通った橙色の髪をなびかせながら、空を見上げた。


 そこには、鋼色の塊が浮かんでいる。

 青々とした木々が立ち並ぶ空間には不釣り合いなそれは、滝のように同じ鋼色の液体を地面に零していた。木々に水をやるのとは違う。どちらかと言えば溶けた鉄を型に流し込んでいる様子を、彼女にイメージさせた。


「ここが、最初の侵略地点。あいつらの攻撃は、ここから始まったんだね」


 鋼色の塊を睨みつける彼女の三位に、大地を踏みしめる、鉄製の軍靴の音が届く。

 苛立ちのこもった目をそちらに向ければ、彼女にとってよく見知った相手がわらわらと集まっていた。


「ちょうどいい。いろいろと教えてもらいたいことがあるんだ」


 拳を握りしめ、自らを取り囲む者たちに告げる。


「少し、手荒になるけど許してね」


 その手に、輝く光を宿しながら走り出した。


   ◆◆◆


 定刻が訪れた。この十年間、不幸な行き違いをした二つの国が、ようやく友好を取り戻す時が来たのだ。


 ラッパの音がかき鳴らされ、城外から聞こえる歓声は最大限のものとなる。礼拝堂にはさほど多くの人間が詰めかけられない。だから映像だけは外にも流れている。それを見ている民衆たちが、勝鬨のような声を上げているのだ。



「星を征する樹の下に、新郎アエトスと新婦カヒナの結婚を、ここに執り行う!」



 『星を征する樹の下で』――この国の多くの住民が信仰する『カエルム教会』式の宣誓だ。それを唱えたのは教会の枢密卿で、彼の言う通り様々な式典や祭事は基本的に国一番の大樹、もしくは大樹のレリーフやステンドグラスの下で行われるものだ。


 オルニス王国最大の大樹は王城そのもの。この城は巨大な樹に沿って骨組みを造り、石を並べて建てられた。その中心にある礼拝堂で、冠婚葬祭の儀式は行われる。


 むろん、そこでアエトスとカヒナの結婚式は執り行われることになっている。


 時計の長針に見えるようなものが突き刺さる祭壇が、歴代王太子が婚儀を執り行った場所だった。


 宣誓と同時に開け放たれた扉から花婿アエトスが現れた。隣には国王が立ち、アエトスをそっと壇上へ向けて押し出した。そして次に花嫁カヒナが左右をカエルム教会の女性司祭に挟まれて現われる。彼女らによってヴェールを降ろされる。

 そして一歩ずつ白い絨毯を進むカヒナを緊張しきったアエトスが迎え入れる。彼のもとに辿り着くまでのほんの数分もかからない。その間でアエトスはいったい何度意識を失いそうになっただろうか。


 彼女が辿り着いた時、アエトスは大きく深呼吸していた。


「ようやく言える。君は最高の花嫁だ、カヒナ」

「アエトス様も、とてもかっこいいですよ」


 微笑み合う二人の前に立つ枢密卿は、顔のしわが深い老齢の男性であるが、それでも緊張するのか顔は少し強張っていた。


 終戦記念の式典でもあるのだ、緊張しないほうが無理というものだ。並び立つ二人は、枢機卿の前で宣誓を行う。



「我、アエトス・ボリヴァス=オルニスは、星を征する樹の下に、カヒナ=ヒメイヤを妻とすることを誓います」


「わたし、カヒナ=ヒメイヤは、星を征する樹の下に、アエトス・ボリヴァス=オルニスを夫とすることを誓います」



 そして、アエトスは国王から、カヒナは司祭から指輪を渡される。壇上の上には二人だけが立ち、お互いの指に指輪をはめる。


「ここにいるすべてのものが、二人の誓いの証人となります。異議なくば拍手を持って祝福ください!」


 礼拝堂に響き渡る言葉に参列者すべてが拍手を送る。

 和平条約調印だけではない、この二人の結婚をもって、真の平和に到達するのだ。


「ああ、ようやくだ。十年、密書ラブレターの伝書鳩を務めた甲斐があった」


 漏れである涙を拭いながら、ラタは思い出す。


 アエトスの国はもちろんオルニス王国だ。だが、カヒナの出身地は、この国の東に出現したプラネトス共和国である。彼女はプラネトス共和国のカエルム教会の人間であった。


 非常に不思議な話だが、このカエルム教会はオルニス王国のある世界特有の宗教ではなかった。プラネトス共和国のある世界にも、同じ宗教があった。


 むろん、互いの国が出会ったことなど、今までに一度もない。そのことを少なからず怪しむ声もあったのだが、同じ宗教を持つということは同じ人間性を持つということ。最初は、二つの国は友好的であった。


 だが、それはいつしか拗れ始め、最終的には互いの国民感情の爆発を招き、大きな戦いへと発展した。


 その中で、アエトスは必死に和平交渉の道を探った。か細い糸を手繰り寄せるような戦いに、ラタは自らのできることをやり続けた。

 それは、アエトスとカヒナ専用の郵便屋だった。郵便屋と言っても、それはラタにとって貴重で苛烈な経験であった。手紙を運ぶだけと言っても、もちろんプラネトス側からすれば密入国者に間違いないので、命懸けの潜入工作だったからだ。


 その過程で運んだのは二人の恋文だけではなく、時には相手の国の反戦派に送る密書だってあったのだ。


 今こうして平和な結婚式を執り行えるのは、ラタとその主が尽力した結果である。だからこそ、式の前にアエトスや国王は、ラタに感謝を示していた。


 ただ、そんな賞賛はラタには不要だった。

 大切な人たちが今笑っている、それが何より重要だ。今二人が交換している指輪のサイズだって、計測して報告したのもラタなのだ。間違っていたらどうしようなどという、緊張するとかそういう次元の心境ではなかった。


 二人の愛があったからこそ、この平和は築かれた。

 だからこそ、ラタはそれを守っていく。たとえ、どんなことが起きようとも。


「それでは、誓いのキスを」


 暗くなる礼拝堂でアエトスとカヒナだけが光に照らされる。その唇が重なった時、世界が震えんばかりの大歓声が、王国を満たした。けれどラタには、大勢の来賓がいるはずのこの空間に、たった二人しかいないもののように思えた


 彼らを見守るラタの胸中には、二人が初めて出会ったころの思い出が、走馬灯のように脳裏を走り抜けていた。


   ◆◆◆

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