Chapter.1『彼の大切なもの』

1-1 式前

~第六番・十五番接合世界~


「あとニ十分で式開始だからな。今は手短に済ませろよ」

「わかっている。えっと、ここだな」


 花々に彩られた式場。純白の絨毯が大勢の客人を左右に割っていた。参列者は皆、礼服やドレスに身を包んでいる。その贅を尽くした装飾や肩の紋章などから、彼らが貴族や王族であることを示していた。


 緩やかな丘の上に築かれた街。その中心には、巨大な樹に沿って作られた城がある。ここは『オルニス王国』、世界の東端に存在する島国だ。


 この王城の最奥にある式場で、今回の行事は執り行われようとしていた。多くのものが待ち望み、歓声は城外からも鳴り響く。


 真っ白な扉を、緊張した面持ちの白い礼装の男性が数度ノックする。


「カヒナ、俺だ。ラタもいる」

「どうぞー」


 ほわんとした優しげな声に招かれて、男性は扉を開ける。


「アエトス様、ラタくんもようこそ。どうですかこのドレス、似合っていますか?」


 複数人の侍女たちに髪型、化粧、ドレスの形状を直されながら振り向いた女性――カヒナは、純白のドレスに身を包んでいた。その豊かな胸を強調するような大胆さを持ちながら、清楚さを失わないドレス職人の腕が光る逸品だ。その胸には、きらりと黄金のペンダントが輝いている。透き通るような水色の髪は美しく結わえられ、半透明のヴェールが優しく包み込んでいた。


 彼女こそが、この式の主役たる新婦、カヒナである。


 白い礼装に身を包んだ男性――この国の第二王子であるアエトスも、花嫁に負けず劣らず洗礼された衣装を身に纏っている。黒水晶のような艶やかな髪と、軍人顔負けの立派な体躯は、見事なまでに男らしさを表現していると言っていい。


 新婦新郎ともに美男美女、非常に絵になると彼らの後ろから見ていた侍従が一人で無言のまま感心する。


 カヒナからラタくん、と親しげに呼ばれた栗色の髪の少年は、式典用らしい軍服に身を包んで立つ。二人の会話の邪魔にならないように、一歩引いたところから見守っていた。


 まだ少し幼さの残る顔立ちだが、年齢以上の逞しさを感じさせるものがある。

 彼は新郎のアエトス王子の侍従であり、自他ともに認める親友であった。


「アエトス様、どうされました?」


 尋ねられた新郎は目を見開くだけで新婦の質問に何も返事がない。ラタはばれないようにため息をついた後、立てた指で脇腹を小突く。

 衝撃に我を取り戻したアエトスは、泣きそうな顔になりながら口を開いた。


「すごく、きれいだよ……ああ、だめだ、何にもいい言葉が浮かばないどうしようラタ」

「俺に振るな」


 アエトスは手をワキワキと震わせせっかく整えてもらった髪をかきむしりそうになる。その手を止めるラタを見るカヒナは、口元に微笑を浮かべる。


「ふふ、無理に着飾らなくてもいいんですよ。アエトス様がきれいだと言ってくれれば、それだけでわたしは嬉しいですから」


 歓喜に打ち震える新郎が新婦を抱きしめに行かないように襟首を掴んだラタも、彼女の美しさには賞賛の言葉以外浮かばない。


「すごく似合っているよ、カヒナ。アエトスが待ちきれなくなるくらい」

「えへへ、アエトス様、もう少し待っていてくださいね」


 飢えた野獣がいるのだとしたら、きっとこんな感じなのだろうと手の中の振動を感じながら思う。


 本来ならば、王子と侍従という関係上、こんな砕けた会話は行えない。その妻となるカヒナともかなり砕けた様子だったが、誰もそれを咎めない。それは主と従者という関係を超えた位置に立つから、三人は特有の気安さを持って語り合うことができるのだ。むろん、多くの者たちの暗黙の了解があってこそ。


「ドレスの丈と位置を合わせてもらっていたんです。ちょっと、胸のあたりがきつくて」


 そう言って体を捻って見せると、アエトスは一歩、また一歩とカヒナに近づこうとする。


「そうやってこのオオカミを煽ることはやめた方がいい。すでに限界間近だ」

「えー、わたしアエトス様になら今襲われても文句は――」

「花嫁がドレス姿でそんなこと言わない。ほら、アエトス行くぞ」

「え、ラタ、まだ時間あるだろうから、せめてもう少しカヒナの姿を眺めて……」

「最終確認があるから、いくぞ」


 渋る王子を部屋から引っ張り出すと、礼拝堂の控室へと連れていく。その姿は、どこか駄々をこねる子どもを引っ張る親のようでもある。年齢的には、ラタのほうが二つ年下なのだが。


「いやー、しかしカヒナ、本当にきれいだったなぁ」

「十年以上前から知っていたことだろう。アエトスが一目惚れしたくらいなんだ」


「やっぱり、わかる?」

「当然だ。こっちは生まれた日から、お前と一緒に育てられてきたんだ」


 式場の横、控室の小窓から中の様子が見える。そこには新年の晩餐会でしか見ないような顔が勢ぞろいしている。


「いっぱいいるなあ。あ、あのおっさん、前にカヒナに色目使ってた奴だよな、確か……」

「殴り倒すのはまた今度にしておけ。間抜け面が並んでいても、一応あれは客だ」


 しかし、そんな会話も緊張を紛らわすには少々足りないらしい。


 大勢の客人たちが会話に花を咲かせている間、アエトスは今まで見たことないくらい緊張に身を震わせていた。それを見守る侍従は、その隣で小さくため息をつく。歪んだ襟元を直しながら、その胸に花を添える。


「な、なあラタ、今更なんだが、俺はここまで盛大な結婚式になるとは思っていなかったんだ。国を挙げてのこんな祭りになるなんて……」

「なるに決まっている。アエトス、お前はこの国の次期国王となる王太子殿下だ。その結婚式が貧相だなんて、国権に関わる、というかカヒナに対して失礼だと思わないのか」


 強い語気で、弱気になっているアエトスを諫める。


「よく言うだろう。結婚式は自分のためじゃない。家族や友人のためだと。だが根底には新郎はともかく新婦のために存在するというのも、間違いじゃない」

「ああ、それはわかっている。わかっているが、その、緊張してきてな」


「停戦協定の討議を一か月間やり続けた時の闘志はどこにいった!? これは、お前の望んだ、最良の結果だ」

 そうだろう、という同意の視線に対し、アエトスは首を横に振る。

「――違うぞ、ラタ。俺の望んだ結果、じゃない。お前と、俺と、カヒナが望んだ、最高の結果だ」


 やんわりと、従者の言葉を主は否定し訂正した。アエトスからの言葉に照れくさそうに視線を反らして時計を見る。あと十分ほどで式が始まる。これ以上、ラタがここにいるわけにはいかない。


「カヒナだって、お前にはずっと感謝している。それは、これから先も変わらない」


 ぽんと肩に置いた手は、今まで感じたことがないほどの、温かみを持っていた。


「俺はお前を、本当に弟のように思って生きてきた。俺とカヒナにとって、ラタは親友であり、同時にもう一人の家族なんだ。だから――」

「――わかった、わかったからもっとシャキッとしろ! これが、和平条約締結のための最後の行事なんだから」


 照れ隠しの叫びが上がる。主から告げられる二人分の感謝に彼の表情筋は耐えられない。


「陛下に挨拶してくる。すぐに陛下もこちらに来られるだろう」


 感謝の言葉を述べてスッキリしたのか、ラタの言葉にアエトスは意気揚々と返事をする。


「とりあえずその緩み切った顔を直しておけよ。俺は参列者席にいるから、緊張して段取りを忘れても教えてやれないからな」

「ああ、それに関しては何度も練習したから大丈夫だ。心配するな」

「だといいけど」


 ここ一番で失敗することのない男だとは知っているが、二つ年上の幼馴染のことがラタはいつだって心配なのだ。


 空は快晴、まさしく結婚式日和と言っていい。だからこそ、失敗は許されない。

 だが大丈夫だと、この親友には断言できる。


「じゃあ、会場で見ているぞ。カヒナに赤っ恥かかせるようなことをするなよ」

「わかっているさ。お前こそ、披露宴の代表スピーチで噛むなよ」


 お互いに指を突き付け合って確認すると、その手を拳にして軽く打ち付ける。互いにがんばれ、という言外の意思を込めて、そこで別れた。


 すがすがしい気分に包まれて、ラタは会場へと向かっていった。


 この先の未来に訪れる幸福を、彼らはまだ確信できていた。


   ◆◆◆


~不明瞭域~


『到達まで、残り二時間と言ったところか』


 星のない黒い領域を、鋼色の三角錐が進んでいた。青白い光の尾を伸ばして飛ぶそれは、おおよそ自然物であるはずはない。


 小窓ほどの半透明な板の向こうには、人間とは言い難い風貌の存在が鎮座していた。彼の視線は眼前に浮かぶ投影ディスプレイに注がれており、立体的に表示された大地とそこにある王城の姿が描かれている。


 まるで大樹に沿って造られたような城の詳細図が映し出されていた。


『詳細図と言っても、地下空間や抜け道などはさすがに全て把握できないか。だがまあ、早期制圧してしまえば問題はないか』

『☆♭&∂*¥&〒μ*∀μ*μ∀∂』


 人間の言葉ではない。いくつものスピーカーを通したようなエコーのかかった、人間味のない音声である。


『よし、全軍出撃準備。到着しだい、該当世界剪定準備にかかれ』


 一切の無駄なく機敏に返答を返した者たちは、ガシャガシャと鉄と鉄のぶつかり合う音を立ててあわただしく動く。


 鋼の飛行船に乗った者たちは、次なる場所へ着々と近づいていく。

 その歩みを止められるものは、誰もいなかった。


『世界に、鋼の祝福が、あらんことを』


   ◆◆◆

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