星を征する樹の下で~あなたとわたし、世界を救いましょう~
セラー・ウィステリア
1st adventure
Prologue『世界を救うのは――』
〝……後悔するなよ、蛮族〟
〝ラタは帰ってくる。この国に手を出して後悔するのは、お前だ〟
遠くから、声が聞こえてくる。
声など、この場所では隣を移動する者の声以外、自分の高鳴る心臓の鼓動くらいしか聞こえないはずだ。
「ラタ、怖い?」
我知らず震えていた手を、握る手があった。
右を向いたとき、革手袋に包まれた手を、細い少女の指が握っていた。
「大丈夫。必ず間に合う。ボクたちは、そのためにここまで来た!」
力強い彼女の言葉が、心にかかる靄を引きはがす。
前に向き直れば、どこまでも広がる群青色の空と、虹色の道以外に見えるものは何もない。この上を、数時間かけて渡ってきた。
だが、それももうすぐ終わる。
下へ向けて曲がっていく虹の道の先には、はるか遠くまで続く大地と、それを取り囲む海、そしてその向こうにはまた別の大陸がある。
「帰ってきたんだ。俺たちの世界、オルニス王国のある世界に……」
興奮と感動が合いまった言葉に、隣の少女は――エアリアは肯く。彼女はこの光景を、もう何度見てきたのだろう。
今はそれを聞いている時間は残念ながら、ない。
ここからは俺たちの――
「さぁ、準備はいいかい? ここからはボクらの反撃と、世界の救済の時だ!」
「だが、少し問題がないか?」
「何が?」
俺の言葉にエアリアは掌に叩きつけかけた拳を止める。
「このまま移動し続けていると、オルニス王国を通り過ぎて、戦場から遠く離れた場所に落ちかねない」
「それは、ちょっとまずいね」
彼女の声は、先ほどまでの気合十分な声から困惑したものへと変わってしまう。このままでは予定が狂ってしまう。作戦も考えて来たのに、それが全部無駄になる。
「仕方ない、飛ぶよ!」
どうする? ――そう聞く前にすでに結論は出ていた。しかもとびっきり予想外な方向で。
「飛ぶ!? 飛ぶって言ったって、地上まで何万メートルあると思ってるんだ!?」
「関係ないね! どうせ最後に地上に降りなきゃ始まらない!」
俺たちの渡る虹色の道は、本当に天にかかる虹そのものだ。天空の架け橋を渡って、今俺は故郷の国へと帰ってきた。
故郷を踏み荒らす者たちから、大切なもの、大切な人、全てを取り戻すために。
「さぁ行くよ! ラタ!!」
「これもまた、星を征する樹の導きか……」
逡巡している暇ない。彼女とともに、はるか下の大地へ向けて飛び降りた。
全身で風を受け止め、頬を切り裂くような冷たさに耐え忍びながら地上を目指す。俺たちの目に、その大地を踏み砕く巨体が見つかる。
「エアリア、あれは!?」
「……状況はあまりよろしくない。どうやら、反撃の前に人質救出が先みたいだ!」
音ではない何かで状況を把握したエアリアの言葉に、どうすればいいと問う。
彼女は瞬きの間に作戦を考えたのか、空中で俺の方に身を寄せる。そしてこちらの体を掴むと、落下位置を微妙に変更していく。
「大丈夫、ボクに任せて。鎖に囚われ、巨大な怪物の餌となる未来を変える者!」
不可能などない、そう豪語する彼女は、地上を闊歩する巨体へ指を突きつける。
「狙って、ラタのその弓で、あいつの野望を打ち破るんだ!」
彼女の指先に光が集まる。
俺は彼女の言う通り、背中に担いだ弓を手に取り、矢を番える。自由落下の状態でありながら体は安定し、矢はぶれない。
「いいね、ラタ! チャンスは一回。キミの矢で運んでボクが破る!」
「君を信じる!
頭を下に向けながら、俺とエアリアは力を開放する。輝きを放つ二つの光が、風を纏って飛んでいく。
邪悪な鋼の力が、俺たちの世界を滅びへと導こうとしていた。城は崩れ、王は囚われ、大地さえも破壊されるその時。
救世主は、虹を超えて現れた。
この『星を征する樹の下』で、俺は救世主と巡り合ったのだ。そして、問われた。
――キミとボクとで、世界を救いに行かないか。
それは、これから誘われる、世界救済の物語の始まりの言葉だった。
◆◆◆
~第■■番世界~
「また、何もできなかった……」
ボソリと、誰にも聞かれることのない呟きを発したのは、一人の少女だった。天空を渡る船の上、そこから眼下の世界を見下ろしていた。
そこにある石造りの神殿の並ぶ荘厳な聖域が、鋼色の液体に飲み込まれていく。赤い砂の広がっていたはずの大地から色が奪われていく。熱く燃える砂も、点々と見えた緑色の命も、風に巻き上げられ朱色に染まる風も、いなくなった。
神殿上空に上下逆転した大地が浮かび、そこにある巨大な鋼の塊から、滝のように鋼色の液体は落ちていた。
「あのきれいな砂漠が、冷たく硬い一枚板に、なっちゃったね」
地の果てまで見渡せば、そこにはまだ太陽に焼かれた赤い砂漠が残っている。だが、それもどんどん小さくなる。鋼色の液体が、大地の上を駆け抜ける。まるで騎馬の集団が平原を疾駆するように、鋼の色が大地を埋めていくのだ。
砂ではない場所が広がれば広がるほど、世界を支配していた熱が消えていく。全身から溢れ出していた汗も、ほとんど引っ込み始めた。代わりに背中のあたりから、嫌に冷たい汗が流れる。
石造りの神殿は古びた外見を覆い尽くされ、味気ない鋼の塊へと変わっていった。幾年月を重ねて人々が作った柱も、石像も、そこに刻まれた言葉も、全てが塗りつぶされた。
ギラギラと差し込んでいた陽光を反射し、かつてそこにあったはずの文化も文明も、全て一色に塗り替えられていった。
蹂躙――浸食と言い換えてもいいだろう。抵抗すら許されなかった惨敗に、彼女は拳を握りこむ。
「この世界から何もかもを奪って、何がしたいんだ、キミたちは!」
怒りの声を発すれば、それには答えるものがいた。
『時間はかかったが、これで、この世界は我々の剪定を受ける準備が整った』
天空に浮かぶ空飛ぶ船に並んで、鳥の頭だけを巨大化させたような三角錐が浮遊している。鋭い尖塔形状は、どこか攻撃的でその両側面にあるガラス状の物質は目のようにも見える。この三角錐から声が発生するたびにそこが赤く光っていた。
『君の反抗は無駄だったというわけだ。この星を征する木の下で、私は使命を実行する』
「そんなことを、ボクがさせると思うかい? キミの身勝手な行動も、思想も、ボクは絶対に認めない!」
『私は彼らから与えられた使命をこなしている。身勝手なのは、むしろ君だ』
この三角錐は、飛行艇、とでもいう代物なのだろうか。この三角錐はこの大地に広がる文明の技術とは合致しない構造をしている。少女の乗る空飛ぶ船は間違いなくこの世界の文明が作り出したものだが、こちらは同じ飛行物体でも違う。
この大地に、世界にはない技術の存在。つまりそれは――
「他の世界を侵略しながら何を! そもそも、誰の命令だ!?」
『この世界の制圧は完了した。対象物も無事確保し、必要サンプルも十分な量が手に入った。それではここらで次に行くとしよう。さらばだ、救世主殿』
飛行する三角錐はゆっくりと少女と船から離れていく。彼女の質問に何も答えず、言いたいことだけを言って、向きを変える。逆に挑発するような態度は、まるで攻撃して見ろと言わんばかりだ。
その様子を、少女は右拳を握りながら上に振り上げるだけで降ろしてはしない。違う、降ろせないのだ。
わかっているからだ。このまま右の拳を振り下ろしたところで、続く左の拳はない。むしろ振り下ろした拳が砕けて終わるだけだと。
ガクリと膝を折り、握っていた拳は床に打ち下ろされる。返ってくる反動で拳が痛む。けれど、それに涙を流す資格さえも、彼女にはない。
「今のボクには、何もできない……」
左手で右腕を抑え、暴れ出しそうな拳を押さえる。
「何が、救世主だ……!」
歯を食いしばりながら三角錐を睨む。今の彼女には、その視線以外に、この世界を侵略した者たちへ向けられるものはない。
『対象世界の国家を確認。何らかの儀式中と思われるが、問題はない。直ちに全軍出撃』
その視線の先で、少女と敵対していた三角錐は逆転大地とともに姿を消す。ただし、太陽の代わりとでも言うように、鋼色の塊を残していく。
消え去った大地の行方は――
「また別の世界に向かったのか。次に向かったのは……第六番世界あたりなんだね」
彼女にはわかる。無論彼女の目には、別に何も映ってはいない。しかし、目に映るものだけが、耳に聞こえるものだけが知覚できることの全てではない。
「気温が、だいぶ下がってきた」
太陽の熱を貯めこむ砂が消え、零れ落ちた水がしみ込む場所もない。急激に気温も下がり、立ち込める曇天から雨が降る。
本来なら、恵みの雨として砂の大地を潤すはずだが、今は全てが鋼の大地の上で留まりどこかへ流れていく。
いずれ、もっと多くの場所が、こうなってしまうのだろう。
「星を征する木よ。必ず、ボクが奴らを止めてみせるさ。だから少し――」
待っていて、とそこにはいない誰かに向けていた言葉を、途中で止めた。目を見開き、また閉じて、そして何か黙考するように顎に手を当てる。
数秒後、目を開けて自分の後ろを見た。そしてそのまま体の向きを変えながら立ち上がると、大きく息を吸いながら上を見上げる。そこにあるのは曇天の割れ目に見える星の瞬きだった。
「わかった。そこに行けばいいんだね」
まるで、誰かに何かを教えてもらったような口ぶり。先ほどまでの大きく悲観した様相とは一変し、晴れ晴れとした表情を浮かべていた。
その視線を今度は真っ直ぐ前に向けると、両足に力を込める。
「必ず、世界を救ってみせるからねぇぇぇぇっ!!」
船の縁を蹴って、彼女は空中へと飛び出した。同時に、周りの雲が吹き飛んでいく。
マストの天辺から注がれる陽光のような温かい光をその身に受けながら、真下に広がる海と空の間へとダイブする。
世界のすべてに宣言するかのような叫びをあげて、風を切り裂きその身を海へ。さらにその向こう側にある空間へと直進させた。
この世界の海の端、その向こう側にある虚無へ、彼女は突っ込んでいく。落ちれば二度と上がることなどできない深淵へ、彼女は迷わず向かっていく。
その顔に、一切の恐れはなく、絶望もない。
敗北の怒りを噛み締めた少女は、今確かな希望を手に入れるために、虚無の海へと落ちていく。
「今、行くよ」
この星を征する木の下で、出会うべき人と、出会うために。
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