プラネタリウム

きんちゃん

プラネタリウム



「悪い!遅くなったな……」

 自動ドアが開くのを待ちきれないかのように、貴志はロビーに駆け込んできた。

「全然大丈夫。18時15分からの回にちょうど良いよ」

 彼を待つのは嫌いじゃない。5分遅れたって10分遅れたって問題ない。そんなことは分かっているはずなのに、息を切らして彼は駆け込んできた。付き合って1年以上経つのに、いまだにそんな律儀なところが私は好きだ。

「はい、チケット買っておいたから」

 20分前に着いていた私は、2枚買っておいたチケットの1枚を彼に渡す。

「ああ……悪いな」

「あ、良いよ別に……それより、もう入ろうよ、始まっちゃうよ」

 財布を取り出し500円のチケット代をわざわざ私に渡そうとする彼を押しとどめ、入場を促す。

 軽くうなずくと彼も財布をポケットに戻し、入口に向かって歩き出した。

 入口までほんの10メートルに満たない距離だけれど、彼の手を握ろうか少し迷った。

 でも、そうしなかった。

 私がそうしたなら、少し戸惑いながら彼もきっと握り返してくれる。

 それが分かっていたから……それだけで十分だ。

「高校生二名ですね。どうぞ」

 受付のお姉さんが私たちを見てほんの少し微笑んだ気がした。

 どういう意味だろう?

「この二人よく来るなぁ」って覚えられているのかな?まあいつも客の少ないこの場所だ。覚えられているのは間違いない。

「あなたたちホントに星がそんなに好きなの?」っていう意地悪な意味だろうか?

 ……もちろん本当の意図は分からない。でもお姉さんの微笑みは全然嫌な意味じゃなかったと思う。表情は言葉よりも正直だ。

 貴志が振り返り私にうなずいてから席に着いた。

 私も隣に座る。

 館内はもう暗くなっていたからはっきりとは分からないけれど、ロビーに他のお客さんは見当たらなかった。多分今日も私たちの貸し切り状態だろう。


 わたしたちが席に着いたのとほぼ同時に、かすかに灯っていた照明が落ちて、館内は真っ暗になった。それから……とても長いほんの一瞬だけの間があって、ナレーションが始まった。

 低く落ち着いた女の人の声。少しハスキーで、でもまろやかで聞き取りやすい……不思議な声だった。もう10回以上この声を聞いている。聞けば聞くほど安心感を覚えるような声だ。

 プログラムの最後にナレーションをしている人の名前が表示されるから、その人のことを調べてみたことがある。

 その人は声優さんで……でも全然有名じゃないみたいだった。こんなに素敵な声でも人気の声優さんにはなれないんだ……って少しショックだった。

「あ、流れ星です!」 

 やや興奮気味のナレーションと共に、ドーム状の天球を一筋の光が駆け抜けていった。


 ここはプラネタリウム。星が満ちる場所。

 

 


 私、田崎舞美と彼、松永貴志は高校三年生。

 彼とは中学の時のクラスメイトだった。

 私はこの近くの女子校に通っていて、彼は隣の市の高校に電車で通っている。私は生徒会の仕事をしているし、彼も部活をしているから二人で会える時間はあまり多くない。

 この町は田舎だから、繁華街まで出て本格的なデートをしようと思うと休日でないと難しい。

 だから私たちはこの小さなプラネタリウムによく来る。

 この町は山間の小さな田舎町だが、かつては炭鉱の町として栄えていたそうだ。……もう数十年も昔の話だけれど。

 長い間廃墟として放置されていた工場の一棟を、町おこしの一環でプラネタリウムとして再建したのが5年ほど前。

 江戸時代には当時の偉い学者さんが、測量のために星を観測した、という記録が残っている……という言い伝えも含めての町おこしだったそうだ。

 

 ……結果は言うまでもない。賑わったのは最初の一か月くらいで、今は週末でも数えるほどしかお客さんは来ないみたいだ。閉鎖されるのも時間の問題だともっぱらの噂だ。


 でも私はこの場所が好きだった。貴志といつも会うのがこの場所だからじゃなくて、純粋にこの場所が好きだった。

 人工的に作った暗闇の中で、人工的に灯した光を見ている……そんなことは分かっているけれど、それでもこの空間の中に居ると……とても淋しくて、でも温かくて、優しくなれるような気がする。

 もちろん、貴志と会うことでもっとこの場所が好きになっていっているのだけれど。


「プロキオン、ベテルギウス、そしてシリウスを結んだ三角形を『冬の大三角』と言います」

 何度も聞いた説明だったけれど、今日も私は点滅している三つの光をしっかりと見つめた。

 貴志の横顔が目に入った。

 高い鼻筋とアゴのラインがとても綺麗。面と向かって彼の顔を見ることはいまだにちょっと恥ずかしくて、こういう機会がないと彼の顔をじっくりとは見られない。


「シリウスは太陽を除けば地球上から見える最も明るい恒星です。それはシリウス自身の光度が大きいことに加え、約8.6光年というとても近い距離にあるためです…………」

 これも復唱できるくらい聞いた説明だったけれど、毎回疑問に思う。

 8.6光年って……光の速さで8.6年かかるってことだよね。それって近いのかな?


『遠いとか近いとか、人間の尺度でしか測れないのは見識が狭いぞ!宇宙のどこかには太陽よりも大きい生物がいるかもしれないし、ミジンコよりも小さい星が存在するかもしれないんだ』

 中学の時の物理の先生の言葉を思い出した。

 だから8.6光年がとても近いのかもしれないし、手を伸ばせば触れられる貴志との距離がとても遠いのかもしれない。

 そうだ、どんなに近く思えたって距離はたしかに空いている。

 私が発した言葉が彼の耳に届くまで……0コンマ何秒かは分からないけれど、たしかに時間はかかっているのだろう。それは私たちにとっては無視できるくらい短い時間だけれど、ミジンコ星に住む宇宙人から見れば一生より長い時間なのかもしれない。


「大丈夫?寒い?」

 不意に耳元で貴志の声がした。

 低くて、くぐもっていて、聞き慣れているはずなのにいまだに何度も聞き返す時がある。

 でも今は優しいその声が嬉しかった。

「ううん、大丈夫」

 館内は確かに冷房がかなり効いていたけれど、寒いというほどではなかった。


 40分ほどでプラネタリウムの全プログラムは終了した。

 徐々に明るくなってゆく館内。一気に明るくしないのは見ている人を気遣ってのことだろう。

 照明が完全に明るくなるのを待っている間に、私は貴志に囁いた。

「ねえ、外出たら雪降ってないかな?」

「はあ?降ってるわけないだろ?何言ってんだよ……」

 呆れたような顔でこっちを見られた。

 季節は6月終わり。このあたりは冬でも雪が降ることはほとんどない。

 ……だからって、そんな真面目に答えてどうする!冬の夜空のプラネタリウムをずっと見てたんだからさ、ちょっとくらい浸っても良いじゃん。バカか、アンタは。

 



「あっつ……」

 冷房の効いた館内との気温差があることは分かっていたけれど、外は予想以上の暑さだった。

 おまけにだいぶ暗くなっていた。時刻はもうすぐ19時。

 ここから私の家までは歩いて10分。貴志の家までは15分。

 プラネタリウムでの静寂を引きずるような帰り道になることもあったし、挽回するように饒舌になることもあった。

 外に出てからまだ数分も経っていないはずだけれど、夜の闇がどんどん濃くなっていっているのが分かった。

「あ、流れ星だ!」

 貴志が珍しく大きな声を出したのに驚いて私も夜空を見上げた。

 ……残念ながら流れ星はもうなかった。

 でも、そのまま顔を上げて夜空を見上げる。

 プラネタリウムの満点の星空とは比べるべくもないけれど……何個か星は見えた。

 シリウスは夏は昼間の青空の中にあって見えないそうだ。じゃあ今見えている星はなんだろう?

 貴志に聞いてみようとしたところで、彼が口を開いた。


「ねえ……手、つないで良い?」






 (了)

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