第30話 下調べ、鉢合わせ

 和也は、予定より十五分程遅れて八番線ホームに降り立った。表示板を見上げ、次の新快速の時間を確認する。今日は列車の遅れも無く、後五分後に発車する列車があった。

 空いていそうな最後尾車両を選んで列に並ぶ。そこには独特の光沢を持つ濃い疵泥がこんもりと積み上がっており、大小様々な蠢穢が群がっていた。小さな蠢穢が表面を覆い尽くし、大きな蠢穢はそれらを払い除けながら、またはそれごと喰らいついていた。

 大きい蠢穢の内の一匹は、和也が見たことのない外見だった。薄汚れた蜘蛛の糸の塊のようなものを被っており、裾から無数の幼い子供のような形状の赤黒い足が覗いている。糸の隙間から見え隠れする体表は凸凹としており、どこか痛々しげだ。

 和也は気味の悪さから目を逸らしたくなったが、耐性をつけるためには日々の努力の積み重ねが大切だ! と勇気を振り絞り蝟集いしゅうする蠢穢を視界に捉え続けた。粘り気のある疵泥を咀嚼する音が耳につき、駅の喧騒すら容易く掻き消していく。


 何度も生唾を飲み込みながら特訓を続けていると、夢中になって食事に興じていた糸を纏った蠢穢がピタリと動きを止めた。和也は寒気を感じ、素早く視線を逸らす。嫌な予感というものは当たるもので、直後に射るような強い視線を感じた。今後のためにもここで逃げるのはよくないとは分かっているものの、体が言うことを聞かない。

 「早く来てくれ」と必死に念じながら、和也は列車の到着を待った。両手のひらに尋常ではない汗が滲み、自身を貫く視線の鋭さは先程よりも増している。


 限界が近づく和也の耳に、列車の接近を知らせる自動放送が届いた。

 ほっと胸を撫で下ろし、入線してきた新快速列車が起こす風を全身に受けた。緊張と夏の湿気で滲んだ汗が冷やされる。

 開いた扉から最後尾車両に乗り込む。その際、ホーム確認のために降りてきた車掌が「うげっ!」と言わんばかりに表情を歪ませたのが見えた。降り立った瞬間に蠢穢の薄気味悪い食事シーンを見せつけられることになったのだ、当然の反応だろう。きっと蠢穢の顔も見てしまったに違いない、気の毒に。

 和也は名も知らぬ若い車掌に同情しながら、転換クロスシートの進行方向左側――ホームとは反対側の座席に腰掛けた。窓から外を眺め、列車がホームを抜けるまで決して進行方向右側を見なかった。


***


 大阪京都間には十五の駅があるが、その中で新快速の停車する駅は『新大阪』『高槻』の二駅のみだ。凄まじいまでの省略具合に和也も最初は驚いた。停車駅の地価が上がるのも頷ける。

 そんな最速達列車に乗って京都へ向かう。初めての京都への一人旅はあっという間に終了した。なにせ二駅しか止まらないのだから。


 京都駅のホームでも、やはりスーツケースを持った若者や家族連れの姿が目についた。だが、大阪駅と違うのは外国人旅行客の多さだ。大阪駅も少ない訳ではないが、京都駅に勝るほどの人数は居ない。やはりサブカルチャーを全面に押し出した遊園地と言えど、京の都には敵わないようだった。


 人並みを縫うように歩きながら、コンコースへと向かう階段を目指す。体力を付けなければと思ってはいるものの、ついついエスカレータに足が向いてしまう。エスカレータ手前の案内板には『中央口』と書かれており、和也は「一先ず『中央』に行けば間違いないだろう」と上りエスカレータへ乗り込んだ。

 エスカレータを降りて案内板を頼りに中央口を目指す。南北自由通路を左に曲がり、全国的にも珍しいゼロ番線へと再びエスカレータで降りる。中央改札口はこのゼロ番線に併設されているようだ。

 このゼロ番線はホーム長が異様に長く、約五百六十メートルという日本一番長いホームである。しかし、何故こんなにも長さが必要なのかという理由を和也は知らない。


 ――この駅で勤務している例の第四世代なら知っているだろうか……。


 などと考えながら改札を抜ける。横目で有人カウンターに立つ男性駅員の姿を確認した。第四世代ではないかと期待したが、外見的な年齢は三十代後半から四十代。神使の情報によれば第四世代は二十四歳、彼でないことは確かだろう。

 中央コンコースの利用客数はホームや自由通路とは段違いだった、流石は京都駅の中心である。数え切れない人数が絶えず改札を出入りし、コンコースを歩いている。キャリケースの車輪の音や様々な言語の入り混じった話し声が和也の鼓膜を震わせた。

 和也は利用客の移動を妨げない位置にまで移動すると、その場で頭上を見上げた。


「うわぁ……」


 思わず感嘆の声が漏れる。中央コンコースは吹き抜けになっており、その高さは五十メートル。格子状に組まれた夥しい量の鉄骨と四千枚のガラスによって構成されたドーム天井が京都駅のシンボルだ。

 その天井の頂点付近には東西の柱を繋ぐ形で一本の通路が走っている。これは『空中経路』という名の京都駅の隠れた名スポットらしい。地上から四十五メートルの地点に作られており、長さは約百五十メートルという高所恐怖症には想像しただけで足がすくんでしまう通路となっている。和也は特に高いところが怖いといったことはなく、この通路を訪れることも今回の予定に含まれていた。


 取り敢えず一旦駅の外に出ようと、和也は烏丸中央口を抜けた。夏の刺すような日差しに照らされながら駅舎を振り返る。まるで要塞のような重厚な佇まいに、只々圧倒されるばかりだ。現在のこの駅舎は四代目であり、デザインに関して「古都の景観を損なう」との反対意見が多く寄せられたらしいが、和也はこのデザインを非常に格好良いと思っていた。古都の要所としての存在感に溢れており、大変な迫力を感じざるを得ない。


 再び駅舎の中へと戻る。商業施設のように強い冷房が効いているわけではないが、直接的な日差しが遮られる分、外よりかは幾分マシだ。


 ――さて、探索を始めるとしようか……。


 和也は『初めての京都駅探索』に胸を高鳴らせながら、目に付いた近くの階段を上がった。


***


 京都駅は広い。大阪駅と同じくらいかそれ以上と考えていたが、複雑さがまるで違う。同じ土俵で比べてはいけない駅だった。

 和也は、特に下調べもせずに京都駅に足を踏み入れてしまった。大阪駅とは違う物珍しさに目を奪われながら歩いているうちに、まるで京都駅に「おいでおいで」と手招きされるかのように人気のない駅の外れへと辿り着いてしまった。この先は行き止まりではなさそうだが、人気のある場所に通じているとは思えない。


 ――しまったな……。案内板はないだろうか。


 和也は来た道を戻り案内板を探すが見当たらない。どうやら、乗客が迷い込むことを想定されてないらしい。そこまでの僻地なのだ。

 事前にマップを確認しなかったことは、鉄道員に有るまじき無計画さだ。と反省しながらも、この複雑さではマップを見ていても対して効果が得られそうに無かっただろう。と自身を擁護する甘い自分も顔を覗かせる。


 ――こんなところを、もしも第四世代に見られたりしたら最悪だ。


 和也は駅を探索しながらも、時折すれ違う駅員の顔を確認するなどして第四世代を探していた。それは、どのような人物なのかを事前に知っておきたい好奇心からだったのだが、このような状況に陥ってしまっては話は別だ。『鉄道員の癖に駅で迷子になる奴』という碌でもないレッテルを張られてしまう。


 ――とにかく改札に……いや、人気のある場所なら改札でなくても構わない。急いでここを――


「どうしましたか?」


 ふと声を掛けられ、和也は振り返った。視線の先には、一人の若い男性駅員が居た。小麦色に焼けた肌に流行りのツーブロックヘア、どこか海の家に居そうな雰囲気の駅員だ。休憩中なのか制帽を被っておらず、右手にはコンビニのものと思しきビニール袋が下げられている。

 彼の身に纏っている制服は和也のものとはデザインが異なっていた。名古屋を中心に在来線を営業し、東京から新大阪までを繋ぐ高速鉄道『東海道新幹線』を運行するNRグループ『NR中日本』の制服だ。肩章のついた白色の半袖開襟シャツに濃紺の夏用スラックス。シャツには小さいが襟章も付いており、航空機のパイロットを思わせる高級感漂うデザインだ。

 京都駅は在来線をNR関西が、東海道新幹線をNR中日本がそれぞれ担当しており、一つの駅に二つのNRグループが属している。勿論、駅長も二人だ。これは新大阪駅や東京駅にも言えることだが、意識している乗客が余り多くないのが現状だ。


 そんな駅員らしくない駅員の足元には、この場には不釣り合いな姿が寄り添っていた。

 真っ赤な鶏冠を持つ鶏。尾が一般的な鶏に比べて長く『尾長鶏』と思われた。羽の色は尾の先まで真っ白で、鶏冠の赤色がより際立って見える。

 和也は、この鶏が神使だと一目見て確信した。駅員が鶏を連れているというシチュエーションが不自然な上、NR中日本のICカード乗車券『RAPIDOラピド』のマスコットキャラクターは鶏の『カケルくん』だ。青い蝶ネクタイを締めた白色の雄鶏の姿でファンも多いが、鹿ちゃんや志麻さんと違いグッズ展開は非常に少ない。


「道、迷っちゃいました?」


 この駅員はかなり距離が近い。しかし嫌な馴れ馴れしさは感じさせず、かなりコミュニケーション能力に長けた人物であることが分かった。そんな駅員の左胸元に付いている名札に、自然と和也の視線が向く。NR中日本の名札は、役職や苗字が刻印された透明なプラスチック板をマジックテープで留めるという、他社では見ない特徴的なタイプだ。

 その名札に刻印されていた苗字は『鉄輪』。


 ――この人が第四世代……。


 まさか本人と出逢ってしまうとは思わなかった。出来るだけ平常心を保ち、鉄道員ではない一般客を装う。そうすれば彼の記憶にも残りにくいはずだ。


 改めて、第四世代鉄道員『鉄輪将臣』の顔を見た。かなり整った顔立ちをしている。とは言え椿と同種の顔立ちという訳ではなく、椿をイケメンとするならば鉄輪はハンサムだ。流行り廃りのない顔というのだろうか……とにかく彼はモテそうだ。開襟シャツの袖から伸びる腕は筋肉質だし、身長も一七三センチの和也と大して変わらないにも関わらずスタイルが抜群に良い。女性誌のグラビアを飾っていても全く違和感の無い外見だ。


「どこに行きたいですか? ホーム? それとも、何かお土産でも買います?」


「えっと……取り敢えず、どこかの改札に」


 鉄輪から「お土産」というワードが出たことに、和也はホッとした。どうやら、完全に一般観光客だと思われているらしい。


「どこでもいいから改札……ね。ルートが色々あるんで、どの道にしようか」


 鉄輪は呟きながら顎に手をやり、綺麗に整えられた眉の下の双眼で空中を見る。


「出来るだけ楽なルートを教えてあげなさい。見たところ体力が無さそうです」


「失礼ですね! 体力くらいありま――」


 和也は言葉を止めた。「しまった!」と焦りの感情が一気に溢れ、冷や汗として分泌される。今の声は鉄輪のものでは無かった。聞いたことのない、落ち着いた雰囲気を持つ妙齢の男性の声。その声が誰のものかなど簡単に想像がつく。この場に居るのは自身と鉄輪。そして――


「お主……!」


 鉄輪に寄り添う神使が目を剝いて和也を見ていた。黄色の嘴が半開きになっている。鉄輪も唖然とした表情で口は半開き。一人と一柱でお揃いの表情だが、それを笑っている場合ではない。


 ――やばい……! やってしまった!


 素早く踵を返し、その場から全速力で逃走した。「おい! 迷子になっちまうぞ!」と鉄輪の引き止める声が聞こえたが振り向かずに走り続ける。目に付いた階段を駆け降りることを複数回繰り返し、気がつくと京都駅の名物『大階段』へと辿り着いていた。

 階段に腰掛け、和也は乱れた息をを整える。一体どれだけの距離を走ったのかは定かでないが、酸欠に陥りかけているようで軽く目眩がした。

 まさか本人と遭遇するとは予想外だった……。しかも、神使の言葉に反論してしまうという痛恨のミス。あれでは「私は鉄道員です」と自己紹介しているようなものだ。

 肺の奥まで息を吸い込み、ゆっくりと全てを吐き切る。漸く呼吸が整い、半分パニックに陥っていた脳内も冷静さを取り戻した。心理状態が落ち着いたことで、和也は自身の盛大なやらかしに気付くことになった。


 ――あれ……? もしかして、逃げたことで余計に記憶に残ってしまったのでは?


 全身から汗が吹き出した。落ち着きを取り戻していた心臓が急速に鼓動を早める。「やばい、やばい」と脳が焦りの感情で支配されて、立ち上がるという簡単な命令すら受け付けてくれない。軽い頭痛がし、口内に異様な渇きを感じた。

 突然のことに驚き、思わず逃げ出してしまった。間違いなく第一印象は最悪と言ってだろう。


「やっちまった……」


 和也は小さく呟き、大階段で一人頭を抱えた。

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