きっと、出会ったその瞬間からホワイトフラッグ~Quality of Life~

陽夏忠勝

第1話、めでたしめでたしで終わるために、彼女は語りだす



そこは幻想の世界、ユーライジア。

現実の映し絵である夢の世界。



ある一軒家の寝室。

一人の老人がベッドに腰掛けるようにして、柔らかな陽射し降り注ぐ外の景色を見ていた。


老人の身体には、包帯が巻かれている。

見るからに痛々しいそれは、長年生きてついた古傷が開いたものだった。

もう長くはないだろう。

それは彼自身が一番よく分かっていた。



(ようやく、か……)


老人は言葉をその飲み込み、深い深い息を吐いた。

国を、家族を守るために受けた、名誉の傷。

その事に対しての後悔は彼にはなかった。

むしろ……ずっと求めてきたことだと、そう思っていた。


ノヴァキ・マインとして生き続けなければならなかった人生。

それは決して辛いことばかりではなかったけれど。

愛する人たちに先立たれて、だけど追うことなど許されなくて。

心と身体を削りながら、結局今の今まで生きてしまったのだから。



「これで……」


ようやく答えが出せる。

ずっとずっと導き出せなかったその答えを知ることができる。

この、苦しみから解放される。

そう思うと、じわじわと迫り来る死の感触もそれほど悪いものではない、

なんて長く生きたものの達観した感情が彼を包んでいたが。



老人には、心残りが一つだけあった。

死の淵に立った彼を、たった一つ引き止めるもの、と言ってもいいのかもしれない。



「じぃちゃん?入るよ~?」


弾むノックの音。

高く甘く、幼く。

老人にとって唯一の心残りそのものである、孫娘だった。


儚さすら憶える絶対的な美貌。

赤、金、黒、三種の輝きちりばめし長い髪。

その奥に何人たりとも穢すことのかなわぬ炎を宿した、意志の強い瞳。


一度目にすれば千差万別の感情を持って、誰もがその心に留め置くだろう、

世界のためにその身を捧げることを運命づけられた、重き使命を負う少女。

世界にとって何にも変えがたき宝である少女。


だが、周りのものがどう思おうとも、老人にとって彼女が、男勝りで泣き虫で、それでいて優しい、目を離せない……目に入れても痛くない、そんな孫娘であえることに変わりはない。

彼女が、その宿命に流されることなく、愛する人と結ばれて幸せな笑顔を浮かべる様を見届け、見続けることができないことが、老人の最後の叶うことのない未練だった。



「あのさ。オレ、ちょっと分からないことがあって……聞いてもいい?」


そんな彼女が珍しく、何かを言い澱んでいる。


「何だいそれは? 話してごらん」


ずっと見守り続けることができないのならせめて、憂いなく終わりを迎えたいと彼は思う。

彼に残された日々と付き合うことを決めてくれた、彼女の思いに報いるためにも。

彼には聞くことと話すことしかできなかったから。

話しやすいように微笑みを浮かべ、穏やかにそう訊いた。

すると彼女は一つ頷いて、



「あのさ……じいちゃんって一体誰なの?」


一見するとわけが分からないだろう言葉を紡ぐ。


「……ふふふっ」


老人は、そんな孫娘がおかしくて、声をあげて笑ってしまう。


「笑わないでよ、本当にそう思ったんだもん」


それに、拗ねたように頬を膨らませる少女。

真面目にそう思って聞いているらしい。

老人には、その言葉の先にあるものに心当たりがあったから。

笑顔のままに言葉を続ける。



「随分と興味深い事を聞くのだな。して、その心は?」

「あ、うん。あのさ、普段は周りのみんなにカムラル老って呼ばれてるでしょ、じぃちゃんって。オレにとってじいちゃんはじいちゃんだからさ、今まではあんまり気にしてなかったんだけど。じいちゃんのほんとの名前、聞いたことなかったな、って」


すると少女は、考え考え言葉を選ぶようにして、そんな事を言った。


「そうだったか? いやはや、すまない。お初にお目にかかる。私の名はノヴァキ・マインじゃ。もっとも、カムラル家に婿入りしたから、今はカムラルの性を名乗っているがね」


冗談めいた口調。

自分に言い聞かせるようにして刻みつけていた名は、既に完全に彼のものとして落ち着いていた。



「……嘘。じいちゃんのほんとの名前って、カリス・カムラルでしょう?」

「……」


少女の、自分の言葉にゆるぎない自信を持った強い言葉。

それは、老人が今の今までほとんどのものに知られることなく秘密にしていた真実そのものだった。


それを知られてしまったというのに。

老人の心中には喜びの感情が溢れている。

それはきっと、誰かに気付いて欲しかったからなのかもしれなくて。



「……驚いたな。どこでその名を聞いた?」


もう、嘘が嘘でなくなってしまうくらい長い間それに気付いたものなどいなかったのに。

老人は、昂ぶる感情を抑えられぬままにそう問いかける。



「えっと……その。鏡の向こうの世界で、じぃちゃん本人に聞いたんだけど」


随分と頼りなさそうな、少女らしい夢見がちな言葉。

頼りないのは、そんな話、信じられるわけないと言った本人が思っているからなのだろう。

老人は、それにちょっと意地悪そうな笑みを見せ、



「ああ、お前がライジアパークの展示室から勝手に持ち出した『夏夢の鏡』のことか。……なるほど。それなら知りえてもおかしくはないな」

「じぃちゃん知ってたんだ、その事」

「あいにく眠りは浅いほうでな。夜な夜な家を出て行くお前を見て、昔の私を思い出したよ」


気まずそうな、叱られたような顔をする少女に、今度は老人は楽しげな笑みを浮かべていて。


「して、鏡の向こうの私と会ったのならば、何故私がカリスではなくノヴァキと名乗るようになったか、その理由も知っているのかな?」


少女の一番聞きたかっただろう本題へ移るためにと、老人はそう問いかける。

顔を上げた少女は、それにぶんぶんと首を振った。


「ううん。さすがにそこまでは。なんでじぃちゃんには二つの名前があるんだろって思っただけだから」


そんなわけで、初めの誰、と言う問いかけに繋がるのだろう。


「理由、知りたいかね?」

「うん。じぃちゃんの事なら何でも知っておきたいから」


それは少女の、覚悟の言葉なのだろう。

間もなく訪れるだろう、老人の死に対しての。

ならば、それに応えなければならないと、彼は強く思った。


「長い話になるが……構わないかな?」

「じぃちゃんの身体に障らないなら」

「結構。では、語ろうか」


彼女のためなら、近付く死もそれくらいは遠慮してくれるだろう。

老人は、少女に向けていた視線を外し、窓の向こうへ視線を向け……

静かに語り始めたのだった。


生命の価値を問う……その物語を。




             (第2話につづく)






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