第55話 更科課長は見た! リターン

 十二月に入った最初の週末、わたしたちは会社近くのオイスターバーで駆けつけ一杯を煽っていた。


「かんぱーいっ」


 ジョッキにつがれたビールをごくごく喉に流し込む。

 うんまぁ~。ああ幸せ。この瞬間のために仕事をしているといっても過言ではない。


「くぅぅぅ」


 ジョッキの半分ほどを飲み干すと、小湊さんが「課長、いい飲みっぷりですねえ」とはやし立ててきた。


「だって金曜日じゃない。明日は土曜日。いくらでも寝ていられる。ああ幸せ」

「ですねぇ~」


 週末の解放感からか、全員明るい顔をしている。

 今日は女子会。総勢五人。日ごろは上司と部下だけれども、アフターファイブにそんなことはナンセンス。


 適当に頼んだ料理を摘まみ、場も温まったところで。


「では、本日主賓の真野さん。どうぞ惚気ちゃってください!」


 小湊さんはハイボール三杯目にしてすでにテンションマックス。


 まあでも、その気持ち分からなくもない。


 だって、今日の主役は真野さんだからね。

 そう、あの真野さん。


 四葉不動産のエリート物件を一本釣りした真野さん。あの、イケメン男とこのたび婚約をした真野さんだ。


「ええと、惚気と言われましても……」

「ちょっと、やる気ないよ。婚約指輪までつけておいて!」


 小湊さんは退勤前に「今日はわたしが切り込み隊長しますんで!」と言っていただけあって、目つきがギラギラしている。


 普段、あんまり恋バナに乗って来ない真野さんの慶事にテンションがおかしいことになってしまったみたい。わかるよ。わかる。


 一方の真野さんはぎらつく小湊さんに引き気味だ。

 うん。それもわかる。小湊さん、こういうときは容赦ないからね。


「これは、ええと。まあ、色々とあって」

「その色々が聞きたいわけよ。真野さんガード硬すぎ! もっと、こう! きらっきらの恋バナしたいでしょ。全部聞くから話して」


 えへ、と小湊さんが可愛らしく微笑んだ。


「そうそう。今日は婚約祝いだからね。いっぱい飲んで食べよう」

「あ、焼き牡蛎の盛り合わせはいくつ頼む?」


 他のメンバーたちも温まってきたみたい。


 今日のメンバーは全員真野さんと親しくしている女性社員ばかりだ。彼女の同期もいる。東京オフィスはなんだかんだでアットホームなのよね。大所帯だけれど。


 真野さんはハイボールを時々口に含ませつつ、他の女性社員からの質問に答え始めた。


 わたしはそれを聞きながら、感慨にふけっていた。


 なにしろ、忽那さんのじれったい片思いを観察し隊を続けていたんだから。そりゃあもう、思い入れも深いというか。


 夏の交流会という名の真野さんロックオン飲み会の後の展開が早すぎて、お姉さん付いていくのに必死だったよ。


 一時破局説流れたし。いや、忽那さん二股説か。実はあれ、忽那さんの弟さん絡みだったらしい。

 なんて思い出している間にも真野さんは女子一同から質問攻めにされていた。


「それで、プロポーズの言葉は?」


 小湊さん、芸能レポーターみたいに、スプーンをマイクに見立てて真野さんの口元によせている。


「……月並みですよ? 結婚してほしい的な……?」

「きゃぁぁぁぁ」

「え、それで真野ちゃんは、はいって答えたんだよね?」

「……う、うん」


 同期の追撃に真野さんが顔を赤くしながらこくりと頷いた。


 ああ可愛い。奥ゆかしい真野さんが真価を発揮するのはこういうときだ。

 照れている顔も表情も、初々しくて今すぐに抱き着きたくなる。


 一応、言っておくけれど、心の中の声だから。実際にはしないからね。お酒飲んでいても、そのへんのことはちゃんと分かっていますとも!


「やっぱり場所は高級ホテルのレストラン?」

「高層ビルの最上階のレストランとか?」

「ベタにお台場のレインボーブリッジが見える浜辺とか」


 そりゃベタだわ。


「忽那さんなら湘南の浜辺も似合いそう」

「それ言うなら、やっぱり薔薇は必須じゃない?」

「湘南に?」

「いや、高層階のレストラン」

「だね~」


 なぜだか女子一同、忽那さんのプロポーズシチュエーション大喜利になった。


 あの顔でプロポーズか。確かに、タキシードでも着せて薔薇持たせて気障な台詞でも言わせたら決まるってもんだわ。うん、逆にツッコミどころがなくてつまらないくらいだわ。


 ひとしきり盛り上がって、それぞれ理想のプロポーズについての語りが始まり。

 なぜだかわたしも言わされる羽目になって。


 え、わたしの理想? そうだなあ……、まあ月並みだけどこれからも一緒にいよう的な感じで。あ、温泉に入って冷酒を二人で飲みながらとかもありかも。


 なんて言ったら「ほっこりか!」と突っ込みが入った。

 いいじゃない。温泉。最高かよ。


 牡蛎を食べて、フライドポテトをループで摘まみ、女子たちの話は尽きない。


「あああ、いいなあ。真野さんは今が一番楽しい時じゃん」

 小湊さんはかなり出来上がっていた。


「小湊さん、わたしまだ独身相手無しなんで、あんまり結婚への夢をぶち壊さないでくださいね」


 参加女子の一人が釘を刺す。

 小湊さんは酔いが回り始めると旦那の愚痴へとモードチェンジになる。


「はいはい。小湊さん、ちょっと間にノンアル挟もうか」

「まだ飲めますぅ」

「はいはい」


「あ、そろそろパスタ食べたいかも」

「いいねえ。エビのいっとく?」

「課長はどっちがいいですか? エビトマトか、クリーム系か」


 パスタはエビトマトになった。


 真野さんは三杯目を飲んでいる。

 そういえば、真野さんて結構飲める子だったのよね。夏の飲み会で知ったわ。


「ワインいく?」


 わたしは真野さんにドリンクメニューを開いて見せた。

 飲めるのなら付き合ってほしい。わたしはまだいける。なにせ今日は金曜日。


「わたしは……お酒はたくさんは」

 真野さんはあきらかに引け腰だ。


「またまた。この間めっちゃいい飲みっぷりだったじゃない」

「まあ、そうなんですけど。一定量を飲むと記憶が飛んでしまうようでして」

「ああわかる。わたしなんてしょっちゅうよ」


 わたしはげらげらと笑った。


 おかげで前回真野さんが忽那さんとイイ感じになったところもぜーんぶ忘れちゃったんだけどね。


「一杯だけ、ね。グラスに一杯」

「そうですね」


 ここで飲む方に傾いたということは、真野さんはお酒自体は嫌いではないみたいだ。


「でも、本当に感慨深いわねえ。どら焼きで真野さんを釣ろうとしていた忽那さんといまの忽那さんが同一人物だとは思えないわ」


 わたしはしみじみと頷いた。


「えっ……?」


 一方の真野さんは固まった。

 まあ、そうよね。気づいていなかったよね。


「最初に忽那さんがどら焼き持ってきたとき、真野さんどら焼き好きですって言ったじゃない? 社交辞令で。あれ、間に受けて忽那さん毎回手土産どら焼きになったのよね」


「え、そうなんですか、課長」


 小湊さんが盛大に食い付いた。


「うん。わたし、その場にいたし。忽那さん、なんだか嬉しそうにしていたから、ピンときたんだわ。あ、これってもしかしてそういうこと? って」


「うわぁ。くーやーしーいー。わたしもその場にいたかった!」


 小湊さんが本気で悔しがっている。

 ふふふ。これはもう、わたしだけの楽しみだったんだから。草葉の陰からこっそりと応援していたわ。


 真野さんは再び顔を真っ赤にしてもじもじしている。

 あ、可愛い。

 忽那さんのものになっちゃったのか~。なんてもったいない。


「まさか……更科課長、ずっとご存じだったんですか?」


 真野さんが尋ねるからわたしは「うん」と答えておいた。

 真野さん、グラスの白ワインをぐびぐび飲んだ。


「課長~」

 どうやらとっても恥ずかしいらしい。


「いやあ、あなたロックオンされているわよって何度も教えようとしたのよ? でもね、余計なことを言うとあとで忽那さんに殺されるかと思って」

「わたしも課長と一緒に忽那さんの片思い見守りたかったぁぁぁ」


 課長だけずるいです~、と小湊さんが絡んでくる。

 真野さんがもう一杯グラスワインを追加した。やはり飲める子だ。


「まあでも。二人が無事にくっついてくれてよかったというか。おめでとう。真野さん」

「課長……」


 ちょっと、寂しいけどね。真野さんが幸せそうだから。わたしは嬉しいわけなのですよ。


 にしても、新年早々両家に挨拶に行って、春には入籍ってずいぶん早いなとは思うけど。


 真野さん、囲い込まれている。

 忽那さんの本気度がすごいわ……。


「真野さん、次何飲む?」


 最初の遠慮はどこへやら。真野さんが再びグラスを開けたため、わたしはすかさずドリンクメニューを開いたら……するりと持ち上げられた。


「更科さん。あんまり美咲に飲ませないでください」

「忽那さん!」


 一同が一斉に口を開いた。


 ていうか、いつの間に。

 なんと、忽那さん本人が爽やかに登場した。


「航平さん。わたし、まだ飲めますよ」


 真野さんが小首をかしげた。ふわりと、微笑むその顔はとっても愛らしい。


「うん。飲んでるよね。あきらかに……飲んだよね」

 対する忽那さんはほんの少しだけ困り顔だ。


「いいえ?」

 真野さんはスツールチェアから降りて、忽那さんの胸元にぴたりと寄り添った。


「忽那さんお迎えですか?」


 あの真野さんが……甘えている。

 その様子に女子一同目を丸くしているのを、さくっとスルーしてわたしは尋ねた。


「ええ。今日は美咲がお世話になりました。美咲が心配だったので迎えに来ました」


 爽やか笑顔でさりげなく彼女の上着を回収する忽那さん。


 いや、たしかにそろそろ良い時間だけどね。うん、十時過ぎてるわ。

 いや、まだ十時過ぎじゃないか。


「やあだ、忽那さん。真野さんのこと大好きなんですね」


 ここで切り込める小湊さん最高よ。

 きゃっきゃと高い声を出す小湊さんに、忽那さんがよい笑顔を作った。


「もちろん」


 言い切ったよ、この人!


 わたしはぽかんとしてしまったけれど、その他が顔を赤くしていった。

 こうも正面切って惚気られると、もう何も言えなくなる。


 現に小湊さんも二の句を継げないでいる。

 とりあえず、一度締めようということになって勘定をすることに。


 お会計をする間、真野さんは忽那さんに甘い顔を作ってばっかりだった。ろれつが回っていないとか、足元がふらつくとかそういうことはないのに、色気が半端なかった。


 忽那さんにだけ、真野さんはめちゃくちゃ色気駄々洩れ。


 え、ちょっと待って。

 さっきまでの照れはどこに? ってくらい、忽那さんにくっつきまくっている。


 わたしが呆然としていると、忽那さんが苦笑して「美咲は酔うとこうなるんです」とまったく困ってなさそうに彼女の頭をぽんぽんと撫でた。


 いや、惚気だろ、それ!


「だから、あんまり飲ませないでくださいね。今日は女性だけの場だからいいですけど。忘年会では、十分に注意願います」


 わたしはうっかり頷いてしまった。

 だって、忽那さんの背後に冷気が! 完璧笑顔がめちゃ恐いんですけど。


「わたし、酔ってませんし、まだ飲めますよ」


 真野さん、まぜっかえさないで。


「じゃあこのあとは二人でどこか行く?」

「まだ課長たちと一緒がいいです」

「ほんとう? じゃあ次カラオケにでも行く?」


 小湊さんが陽気に手を挙げた。


「行きます~」


 真野さん、やっぱり酔ってるわ。

 あなた普段、万歳しながら「行きます」なんて言わないでしょ。


 その後カラオケにはちゃっかり忽那さんも付いてきて。

 なぜだかわたしと真野さんがデュエットして(小湊さんが勝手に入れた)。


 わたしは忽那さんにめっちゃ睨まれた。

 ああ、わたしも明日記憶飛ばしたいわ~。


 ある意味平和な金曜日も……そろそろ終わる。


☆☆☆あとがき☆☆☆

近況ノートでもお知らせをしましたが、このたび、わた処女がカクヨムコン6にて特別賞とComic Walker漫画賞を受賞しました


なんとなんと! 美咲ちゃんたちが漫画になります!!!!!


これもすべては応援してくださった読者の皆様のおかげです。


感謝を込めて番外編を更新しました。

今後の進捗は近況ノートもしくはTwitterのアカウントにてお知らせします。


皆さま、応援ありがとうございました。

たくさんの感謝を込めて



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る