第50話 更科課長は見た! 2
忽那さんの気持ちが真野さんにあることを知っているのはどうやらわたしだけらしい。
結構わかりやすいと思うんだけれど、やっぱり男ってだめだ。
まったく分かっていない。
とある日のミーティング明け。会議参加者たちが立ち上がり、一人目が扉を開いて外に出て少ししたところで真野さんが遠慮がちに入ってきた。
「お疲れ様です。課長、会議中に電話がありましたよ」
真野さんは近寄ってきて伝言メモを手渡した。いくつか電話がかかってきたようで、わたしはメモを見下ろして優先順位を即座につけていく。
「真野さん。今日の資料も分かりやすかったよ。いつもありがとう」
「いえ。そんなことありません」
ミーティングルームのテーブルの上に置きっぱなしになっているコップを片す真野さんと彼女を手伝おうとする四葉不動産のエリートの忽那さん。
ちょっとでも真野さんと話をしたい忽那さんはこうやって地味な努力をしている。
「忽那さん、片づけはわたしがするので大丈夫です」
「あ、俺もしますよ」
しかし不動産勤めの役職持ちがコーヒーカップを率先して片すものだからうちの男性陣が恐縮をして手伝い始める。
片付けと称して二人きりで話したかっただろうに、空気読んでやれよ、と言ってやりたくなる。現に忽那さんちょっぴり寂しそうにしているし。
しかしここでめげる忽那さんではない。
「コップ俺が捨てるよ。貸して」
「いいえ。そんな。お客様にさせることではありませんので」
真野さん。空気読んであげて。
単にこの人、真野さんと触れ合いたいだけだから。コップの受け渡しに乗じて手と手が触れたらとかいう古典的なチャンスを狙っているだけだから。
あれ、これもセクハラになるのかしら?
一度真野さんにそれとなく忠告したほうがいいのかな。
しかし、生真面目な真野さんは管理職の忽那さんに雑用を任せる子でもないわけで。
「忽那さんのお気遣いは嬉しいのですが、これもわたしの仕事なので」
困り顔をしつつ、お客様向けの微笑みを浮かべ忽那さんを見つめる真野さん。それに見惚れる忽那さん。
忽那さんは「ごめんね。余計に気を使わせちゃったね」と負けを認めた。
はーい。今日も忽那さんの負け。
彼は名残惜しそうにオフィスを去っていった。
自席に戻るとどら焼きが机の上に置いてあった。
「忽那さんもマメね~」
しかもこれ、京橋の有名店のじゃない。朝から並ばないと絶対に買えない老舗の和菓子店のどら焼き。あの人並んだのかしら。真野さんのために。あり得る。
「ですよね~」
どら焼きをじっと見つめていたら、小湊さんが相槌を打ってきた。
「にしても毎回どら焼き……」
疑問を呟く小湊さんはまだ忽那さんの気持ちには気が付いていないらしい。
ふふふ。
この、誰も知らない忽那さんの片思いを知っているという優越感。
言いたい。
けどまだ内緒にしておきたい。
小湊さんに言ったら絶対に真野さんの耳にも入っちゃうし。社内のうわさ話って即日主だった社員には共有されてしまう。
ああ怖。
忽那さんのじれったい片思いを観察し隊(現在メンバーはわたしただ一人)としては、やはりじっくりひっそりと草葉の陰から応援したい。いや、応援というかそう簡単にうちの真野さんは渡さないわよ、という心なのだけれど。
わたしは個包装のどら焼きの透明フィルムをぱりぱりとめくってぱくりと一口。
粒あん、うまー。
どら焼きって食べ応えあるよね。忽那さんの珍妙などら焼き作戦が始まってから、都内の主だった有名店のどら焼きを食べさせてもらった。
あいにくと利きどら焼きできるほど繊細な舌を持ち合わせてはいないため、どの有名店のどら焼きも一律に美味しいという感想だけれど。
「真野さん、どら焼き美味しいわね」
「そうですね」
真野さんは普通のテンションで返事を返した。
ああ言いたい。
忽那さんがしつこいくらいにどら焼きを持参するのは、あなたが一度「どら焼き美味しかったです」と言ったからなのよ。
社交辞令を真に受けて、忽那さんたら毎回どら焼きを買ってくるようになったんだから。
ちなみに真野さんもまったく忽那さんの好意には気が付いていない。
あれからかれこれ数か月経過をしているんだけど。
真野さんってほんっとうに鈍いからなぁ。
いつだったか、イベント課(通称)の男が自分の担当した某ビルのクリスマスイルミネーションを見に行こうとそれとなく誘ったときも「アンケート調査も兼ねているのでしたら、うちの課がいつも使っているリサーチ会社の連絡先を教えますよ」とか返事しちゃうし。
彼、めちゃくちゃがっかりしていたんだからね!
まあ、その彼ももっと直球で誘えばよかったんだけどね。
にぶい真野さんと彼女が大好きな忽那さん。
いったいどんなきっかけがあれば距離が縮まるのかしら。やっぱり飲み会?
ま、もうちょっとこの状況を楽しみますか。
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