第11話 もう一晩だけ

 モヤモヤした感情を抱きながら、俺はお風呂から上がった。

 いくらか冷静になり、感情を整理する。


 俺はリリアンネと出会って、まだ一日しか経っていない。リリアンネは俺を好いてくれているが、肝心の俺はまだはっきりとした感情を持っていなかった。

 リリーと似ているだの突然押しかけられるだのといった、てんてこ舞いになる出来事で動揺した心はいまだ落ち着きを取り戻していなかったのだ。


 吊り橋効果みたいなものかもしれない。動揺した感情を恋心と誤認している、だけなのかもしれない。


 けど、だとしても、リリアンネの笑顔は眩しいものだった。

 恋心かどうか関係なしに、いつでもあの笑顔を見てみたいと思った。


 だというのに。今彼女を見たら、恥ずかしい気持ちに支配されてしまいそうだ。顔から火が出そうだ。何をするかも、俺自身ですら分からない。


 いったい、どうすれば――


「ゆーた?」

「ひゃいっ!?」


 リリアンネに呼びかけられ、猫が驚いたときみたく垂直に飛び跳ねてしまった。


「すっごい顔赤いよ? だいじょーぶ?」

「あ、ああ、そうだな……ちょっと冷やすか」


 しどろもどろな返事だ。

 それほどまでに、ドキドキしてしまっている。


 俺は冷凍庫に入れてある氷のうを取り出すと、顔に当てた。

 刺すような冷たさが、いくらか思考に冷静さをくれる。


「大丈夫だ……落ち着いたぞ」

「そーお? よかった」


 安心してくれたようだ。

 やはり俺は、リリアンネに何かしら思うところがある。今のように焦らせることを望まないのも、その証拠だろう。


「それでね、ゆーた。ちょっとお願いがあるの」

「……何だ?」


 急にかしこまられると、また戸惑ってしまう。返事もぎこちないものしか出せなかった。


「ゆーた。ずうずうしいのはわかってるけど……もう一晩だけ、泊めてくれない?」

「いいぞ?」


 答えが思わず口をついた。

 とはいえ、撤回するつもりはない。リリアンネが泊ってくれるのは構わない。


 ただ、気になることもある。


「もちろんいいさ。ただ……聞きたいことがある」

「うん。いいよ」

「どうして、わざわざ俺の隣の部屋を確保したんだ? 俺の部屋に押しかければ、そんな手間とかしなくて済んだはずなのに……」


 純粋な疑問だった。

 わざわざ引っ越しの手伝いをしてまで俺の隣の部屋を手に入れたのは、何の意味があるんだろうか?


 と、答えはすぐに、リリアンネの口から出た。


「決まってるよ。私の荷物がゆーたの部屋を圧迫するから」


 そういうこと、だったのか。

 ベッドだけでもなかなかの大きさだったが、たぶんまだまだ用意する荷物があるんだろう。それも、一部屋をまるごと借りる必要があるくらいには。


 俺の疑問はあっさりと、解決してしまった。


「そっか……俺のこと、考えてくれたんだな」

「もちろんだよ。大好きな人だからね、なおさら好かれるようにしたいの」


 そこまで考えてくれていたのか。

 俺は嬉しさのあまり、目に涙が――


「ふえっ!? ゆーた、だいじょーぶなの!?」

「あ、ああ、気にするな……」


 泣いてしまった。泣くことなんて小学生のとき以来だったのだが、我慢できなかった。

 思わず、リリアンネの胸にすがりつく。


「きゃっ」

「すまん……」

「ん……よしよし、ゆーた。いいよ。落ち着くまで、こうしてて」

「ありがとう」


 結局俺は、しばし落ち着きを取り戻すまでの間、リリアンネの胸を借りていた。


     ~~~


 それから30分ほど経っただろうか。

 ごく自然にというか当たり前というか、俺はリリアンネと一緒に横になっていた。


「ふふっ……ゆーたと一緒に寝ると、あったかい」

「俺もだ」




 そんな風にたわいもないことを話しているうち、俺たちはいつの間にか眠っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る