十九、 力の理由
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「よくも邪魔をしてくれましたね」
男は無抵抗のヴァールを蹴り飛ばし、銃を頭部に突きつけた。
ようやく目を開けたビルカがそれを目撃して声を上げる。
「やめろ! ヴァールにまでひどいことをするつもりか!」
ビルカが声を荒げたが、男は怯むどころか嬉しそうに笑った。
「良かった。記憶を飲み込む力は失われていないようですね。それで、どうでしたか。お前のために命を落とした男の記憶は、どんな味がしましたか」
「いのちを」
ビルカはその一言を飲み込んだ。そしてその意味を理解する。
「お前! 許さないぞ!!」
体を震わせ、拳を振り上げた。
「おっと。勝手に動かないで下さい。これが見えないのですか、アマルティア。」
そう言って、男はコツコツとヴァールの頭に銃を打ちつけた。身につけているものと同じく飾りばかりが目に入る拳銃だった。
「悪いが死んでもらいますよ。軍人はあとあと面倒なことになりかねないですから」
そう言ってにたっと笑う。
「そうですねえ。それとも、私のもとで働きますか?」
「なんだと」
ヴァールは顎の辺りについた土を拭った。
「今回の一件で、だいぶ手駒が減ってしまいましたからねえ。銃の腕もあるようですし。さあ、ここで死ぬか、私のものになるか選びなさい」
「ヴァールは悪いやつのところでは働かんぞ!!」
本人を差し置いてビルカが怒りをぶつける。両腕をプロペラのように回し男に向かうが、
「誰に対してそんな口をきいているのですか、アマルティア!」
激高した男はビルカを組み敷き、首をつかんだ。
しかし、すかさず動いたヴァールに銃を向けるのも忘れない。
「すっかり行儀が悪くなってしまいましたね、アマルティア。まあ良いでしょう。ふたたび湖に突き落として今のお前を消してやればいいのですから」
「ワタシを消すだと!」
「だあ、かあ、らァ! 自分の立場をわきまえなさいと言っているでしょう!! アマルティア、お前にそんな力がなければ今すぐにでも始末しているところですよ!」
男は手加減なしにビルカを蹴った。ビルカはうめき声を上げその場にうずくまる。その様子を満足そうな顔で見下ろしてから、ヴァールの方に視線を向けた。
「さあ、答えを聞かせてもらいましょうか」
男はビルカを踏みつけ、そしてヴァールの額に銃を当てた。
じりじりと、ビルカの体に乗せた足に力を入れつつ、ヴァールに答えよとにじり寄る。
「どちらも魅力的じゃないな」
ヴァールは言いながら、思ったよりも自分が冷静であることに気がついた。男がどんな顔で怒りを表したか、その眉間に深く刻まれた皺の数まで確認できるほどに。
その感覚はよく知っていた。かつて空の上で味わった感覚だ。だから、やはり自分の勝ちは揺るぎないのだと思った。
「それは残念ですね。ではせめて最後に名前を聞いてやりましょう。名前を叫びながら頭を打ち抜くというのが、たまらなく好きでしてね」
本当に下卑た笑い方をする男だ。
その顔で、今一度ヴァールに問う。
「名を名乗りなさい。死にゆくものよ」
笑う男に対し、ヴァールも口の端を上げた。
「教えてやる」
強気の口調に男が眉をひそめる。気にせずにヴァールは言った。
「聞いたことはないか、悪党よ。俺はヴァール=ハイムヴェーだ」
男は予想通り怒りをあらわにしたが、すぐに表情を曇らせた。
「ヴァール…………ハイムヴェーだと?」
彼の記憶の中にある、その名を持つ者の地位や名声を思い浮かべたのだろう。困惑と恐怖の色が見てとれた。
そしてそこに隙が生まれた。
「ビルカ! 逃げろ!」
「何!?」
ヴァールが大声を上げたのに続き、男の足もとで耐えていたビルカが動いた。
「うおおおおおおおお!」
男の足をはね上げようと力を込めた。男はわずかに体勢を崩しただけだったが、それで充分だった。ビルカを抑えていた足の裏に意識が集中したようで、銃口がヴァールからわずかにそれた。
男の指が引き金へと急ぐ。
その前にヴァールは男を押し倒した。
間に合わなかった銃弾は、ヴァールもビルカもとらえずに、暗闇に吸い込まれていった。
「ビルカ逃げろ」
身構えた男の手を払い、銃を弾き飛ばす。男は銃を取り戻そうと必死に暴れた。
別に助けたくて言ったのではない。男と戦う上で邪魔になると思ったからだ。だがビルカは善意だととったようで、すぐには走り出さなかった。
「ビルカ!」
うながすようにもう一度呼ぶ。
「誰か呼んでくるからな! ヴァール、大丈夫だからな!」
そう励ましビルカが走り出したのを見届けて、ヴァールは男に目を向けた。
「アマルティア! アマルティア!!」
男はビルカを止めようと、届くはずのない腕を必死に伸ばす。
それが叶わないと知ると、全ての怒りをヴァールにぶつけた。
「お前のせいで……お前のせいで!! 私のアマルティアが逃げてしまったではないですか!!」
男の指先が銃に触れた。
これで終わりだと、手を伸ばし指を伸ばし銃をつかむ。
しかし男は撃てなかった。
標的を見ることはせず、構えることもできず、ただ自分に向けて伸びたヴァールの腕を視線でたどるだけだった。
「軍人が、何の武器も持たないと思ったか」
ヴァールは男の首筋にナイフの刃を当ててそう言った。
「……私を悪党だと言いましたね、ヴァール=ハイムヴェー。何を悪事だと言うのです。アマルティアを利用したことですか?」
「命乞いのつもりで話しているなら無駄だ。しかし、死ぬ前に言い残したいことがあるというのなら、聞いてやる」
ヴァールはナイフに力を加えつつも、軍人としての情けをかけてやった。
男は引きつった顔で、それでもヴァールを不快にさせる笑みを見せた。
「何が悪事か。わざわざ神が与え給うた力を使わない方が罪ではありませんか! アマルティアはあの力を使うために生まれてきた。私は彼女に生きるべき道を示してやったまでです!」
「……言いたいことはそれだけか」
「もう一つ」
動こうとしていたヴァールを、男の一言が止める。しかし次の一言が何であれ、ヴァールは最後にしようと決めていた。
「英雄が…………落ちぶれましたね」
最後の瞬間、男は笑った。
ヴァールは言い終えるや否や反射的にナイフを引いた。が、彼の言葉を証明するように視界の端で何かがキラリと動いたのを見つけて、しまったと思った。
そして男の言葉は正しかったのだと認めるしかなかった。
撃たれるまで、黒マントの残党が間際まで迫っていることに気がつかなかった。
体の中、弾丸の通り道が焼け付くような痛みとなってヴァールを襲う。追撃はない。黒マントの男自身も傷が深かったようで、それが最後の攻撃になったようだ。
ヴァールはその場に崩れ落ちた。
意識が遠のく中、男の言葉が耳から離れない。
力を使うために生まれてきたと言ったか。
それならば、決して忘れられぬという重荷を背負った自分にも、何か意味があるというのだろうか。この忌まわしい境遇にも、何か意味があるというのか。
ヴァールは問い続けながらまぶたを閉じた。
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