十八、 花びら、舞う
・
目を覚ましたビルカにヴァールは尋ねた。
「苦しかったか。悲しかったか」
と。彼はそれしか聞けなかった。
ヴァールの思い描いた石読みの本来の能力で、ヴァールがよく知る追憶
しかしビルカは笑った。
「『私』にもキラキラあったぞ」
そう言って、ビルカは何を見たか教えてくれた。
もともと状況説明などうまくできないことに加え、本来のやり方で石を見たという興奮で何を言っているかわからない部分が多かった。その都度、こちらで推理し、答え合わせをし、それで次へ進むという方法をとったのだが、全てを聞き終えた時にはくたくたになっていた。
ビルカが見たものは、かつてのビルカ――アマルティアという少女を、あの下卑た笑いの客人から解放した者の記憶だった。
ビルカは言う。
自分のせいで男がひどい目にあった。しかし悲しんではいけないと、男の記憶が言っている。だから泣いてはいけないのだと。そう言って、歯を食いしばり、瞳いっぱいに涙をためてこらえているのだ。
誰かが見た彼女。という形ではあるが、ビルカは自分の正体を知った。どれだけ辛い思いを抱えこの山にたどり着いたかを。
それでも言うのだ。
自分にはキラキラがあったのだと。
自分を想ってくれる人がいた。優しくしてくれた。『ワタシ』に希望を託し消えていった『私』は、最後はきっと希望に満ちあふれていた。
みんな悲しくて苦しくて、だけどキラキラしていたのだと言う。
「ヴァールが言うのとはちがったぞ」
ビルカは得意げに言った。
「本当に、忘れなくていいのか」
どんなに、ビルカの言うところの『キラキラ』であったとしても、目をそむけたくなるようなこともたくさんあったはずだ。それなのに。
「なぜだ? なぜ忘れる必要がある?」
湖で、ヴァールの言葉を否定したい一心で発した言葉とは違った。自信を持ってビルカは言った。
「ヴァール、わくわくするな! ごはんを食べたらウマいと思って、カムラやザーイムたちと遊んだら楽しい。おとといの雨は冷たかったぞ。人の石はときどき悲しかったけど、ヤサシイ気持ちにもなった! たくさん見て、たくさん感じたら、
ビルカには色とりどりの花びらしか見えていないのだと思っていた。鈍い色、汚い色の花びらはには目が向かないのだと思っていた。
しかし違ったのだ。
ビルカは知っていたのだ。
黒の側にある赤の美しさを。
赤の側にある黒の存在の強さを。
すべての花びらを受け入れた上で、それでも世界は美しいのだと信じているのだ。
ヴァールは点々とあるくすんだ色の花びらばかりに目がいって、他に何色があったかなんて思い出そうとしていなかった。
思い出せ。
黒の側にはどんな色があって、自分のまわりにはどれだけの色があって――
しかし答えが出る前に、現実へと引き戻された。
「ヴァール! あいつらだ!」
辺りを見張っていた青年が声を上げると、間もなくして坂道を駆け下りてくる男たちの姿が目に入った。
数を半分ほどに減らした黒マントの男たちと、村で奪ったのか、荷揚げ用の馬にまたがった悪党の親玉がヴァールたちを追ってきたようだった。
「ザーイムたちはやられたのか!?」
青年が興奮気味に言う。
「そんなことより、体を隠せ!」
ヴァールの声に青年が従うより早く、彼の足もとに届いた何発かの銃弾が石ころを弾き飛ばした。
岩の陰に逃げ込む青年。追撃が迫るが、弾は岩の表面をを跳ねるだけだった。
怒りに我を忘れたものがもう一人。
「あいつ! 悪いやつだ!」
石の記憶の登場人物と一致したようだが、
「こら、立ち上がるな!」
身を乗り出したせいで、こちらの岩に潜んでいるものがあることも知らせてしまった。
「ヴァール! あいつをやっつけるのだ!」
ビルカは簡単に言う。
「そうだ。ザーイムから銃を渡されただろ」
道を挟んで向こう側の岩陰からも同じ調子の言葉が飛んできた。
「さっきも言ったろ。俺は使いものにならないと」
「銃が使えないってことだったのか?!」
「総合的にだ。それから、『使えない』んじゃなくて『使えなくなった』だ」
些細なことにこだわって訂正を入れるヴァール。しかし青年はまるで聞こえていなかったかのように、その一言に気を向けない。
「困ったな。俺も使えないし」
そう言って腕組みをしたのが合図に鳴ったのか。
まったく可能性はないのに、何故かヴァールも青年もビルカに目を向けてしまった。
ビルカは元気いっぱいに勘違いをする。
「ではワタシがやってみるか!」
目を輝かせて銃に手を伸ばしたが、届く前にヴァールが回収した。
不満そうなビルカをよそに、ヴァールは手にしっかりと収まった古びた銃を見つめた。
どうあっても、やるしかないのか。
ふうっと長い息を吐く。
それにしても嫌な感触だ。銃に違いはあれども、構えようとすれば途端にあの日の景色が浮かんでくる。手のひらに吹き出した汗があまりに不愉快で、ヴァールは一度手放した。
やらなければならないのか。できるのか。できないのならどうなるのか。自問自答を繰り返す。そこで導き出される答えなど初めからわかりきっていることなのに。
震える手を押さえ、もう一度銃を持つ。
その手に、ビルカが小さな手のひらを重ねた。
じっと見つめる、大きな瞳。
心の内を見透かされているかのような感覚がある。
「……なんだ」
恐る恐る、声をかける。
ビルカは真剣な面持ちで言った。
「やはり、撃ってみたいぞ」
ふん、と鼻息荒くねだる。
「黙って座ってろ」
「いでででっ!」
ビルカの頭にゲンコツを落とし、ヴァールは重たいため息をついた。
くだらないやりとりのせいで、少しは体の強ばりが溶けたようだった。それでもまだ……まだだ。ヴァールの指は撃鉄にも引き金にもかからなかった。
迫り来る男たち。こちらの出方をうかがうように発砲する。当てる気はないようだが、ヴァールたちのすぐ目の前をかすめた銃弾もあった。
なんとかしなければやられてしまう。
だが構えたなら、忌まわしい記憶が蘇る。
ヴァールの中はそのふたつしかなかった。それらの間を行ったり来たりして、答えを出せぬままでいた。
思えば、ずっとずっとそうだったのだ。窮地に追いやられたからといって、どうにかなるわけでもあるまい。
ためしに銃を構え、引き金に手をかけてみれば、やはり赤い景色が広がる。
ここは山の中だと自分に言い聞かせても、見えるのは燃え盛る家。戦場となった町。胸一杯に息を吸い込むと、死のにおいにむせかえりそうになる。
それでも抗い、撃鉄に手をかけたとしよう。指をおき、起こし、そこから装填のためのレバーに触れるまで、何度も何度も深呼吸を繰り返す。
息を、心を乱すようにビルカがイタズラを仕掛けてくることもあってなかなか先には進まない。
その間にも敵は距離を縮め来る。
急かされるように、レバーを上下させ弾を装填させる。
できたのはそこまでだ。
なぜならば、引き金に触れようものなら、足もとに転がる彼らの幻が、手を伸ばし声を上げヴァールを罵り責めるのだ。
過去に囚われて、こんな簡単なこともできやしない。
あきらめるしかないのか。
そう思い銃を置こうとしてはたと気づいた。
何をあきらめるのだろう、と。今ここで助かる、助けることか。英雄になりクジラを目指すことか。それとも全てを忘れることか。
「そんなこともはっきりせずに、俺は悩んでいるというのか」
ヴァールは思わず笑った。
どうしたいのかと自分に問うた。
三下の悪党どもに負けるのも、軍服に身を包みながら銃を撃つことすらできないのも、何もせずに日々を過ごすことも、忘れられないと悩むことも、忘れて行く者を妬ましく見送ることも、未練たらしく英雄の座を想うことも、クジラを見ないふりすることも、彼らのことをもう怨念のようにしか思い出せないことも、決して自分は望んでいない。
望むのは……
ヴァールは目の前の少女の顔を見つめた。
「なんだ? 撃たせてくれるのか?」
戦場にあるまじき気の抜けた声を発するビルカ。ヴァールが首を横に振ると本気で悔しがった。
「悪いが、俺が撃つ」
ヴァールは銃を構えた。
体が覚えている姿勢。心地よい角度を、圧力を知っている。
ヴァールはくっと奥歯を噛んだ。額を流れる汗は気にもとめず、指先に全神経を集中させる。引き金の軽い遊びの幅を指先で感じる。感覚は鮮明だ。
人を撃つ。仲間を撃つ。その瞬間の感覚が宿っても、ヴァールはそれを受け入れた。
それが薄汚れた色の花びらだとしても、そのまわりにきっと華やかな花弁が舞っている、そう信じてヴァールは指に力を入れた。
「望むのはひとつ」
遊びのぎりぎりまで指を引いた。
「俺は、ヴァール=ハイムヴェーだ」
呼吸も整えず、狙いも定めず、ヴァールは思い切り引き金を引いた。発砲の衝撃で、抱えていた記憶がいっぺんにあふれた。
戦場の記憶。日々の記憶。夢を語った記憶。深い傷を残した記憶。
全ての記憶が無数の腕となりヴァールを羽交い締めにして動きを止めようとするが、ヴァールはもがき苦しみながらも銃を構えた。
岩陰からわずかに這い出て、次は狙う。
「弾は七発。……標的五つ」
軍の装備と比べてあまりに粗末な銃だが、使えないことはない。それよりも枷となるのはこの暗闇か。せめてもの救いは今夜の月が、珍しく明々と山道を照らしていることだ。
敵は、容易に撃たれぬようにと、バラバラに動いているが、一人だけ馬鹿正直に山道に沿って下っている男がいる。
しばらくは直線だ。
「目を閉じろ! 耳をふさげ!」
ヴァールはビルカと青年に言ってから引き金に指をかけた。
「いつまでこうしていればいいのだ!」
耳をふさいだままでビルカが尋ねる。
「すぐに終わらせてやる」
どうせ聞こえていないだろう、とヴァールは小さな声で呟いた。
すーっと息を吐き、止める。
まず一つ目を撃つ。命中。
排莢、装填を繰り返し、二人目、三人目。
「腕が鈍ってやがる」
どれも急所ははずれ、銃弾は足留めをするにとどまった。
それでも明らかに兵力は削がれている。
残り二つ。
続けて的中したことに敵も警戒を強める。でたらめに撃つのではなく、大岩で身を守りながらの銃撃戦を挑んできた。
「いったい何発持っている」
ヴァールも岩陰に身を潜め、敵の様子をうかがった。だいぶ距離を詰めてきている。
この距離ならば、たいした訓練を受けていないやつらでも、まぐれ当たりがあるかもしれない。
慎重に、確実にと自分に言い聞かせる。
ここまで来ると、四肢に体躯にしがみついていたあらゆる記憶は、その勢いを失っていた。体にまとわりつく薄手のベールのようで、自由を奪うのが目的であるならそれはもう役目を果たしていなかった。
しかし薄くはなっても、ゼロではない。
それが何を意味するのか、ヴァールは考える間もなく次を撃った。
五発目、打ち損じ。
ひらりと舞った男のマントに穴を開けただけだった。
次をはずせば弾は足りなくなる。
そんな事情を知ってか知らずか、しびれを切らした敵軍が仕掛けてきた。
まず一発の銃弾でヴァールを岩の裏へと追い込む。と同時に黒マントと馬上の主人が、それぞれ別の方向から攻めてきた。
どちらを狙う。
先に主人に銃口を向けた。だが男は馬の首にしっかりとしがみついているせいで体の大半が隠れてしまっている。ヴァールから狙える範囲は実に狭い。馬を撃つかと考えたが、残りは二発。確実に『悪党ども』を仕留めたかった。
やむを得ず黒マントに狙いを替える。
男はヴァールが標的を替えたのに気づくには気づいたが、それからでは遅かった。立ち止まりそして散弾銃を身構える。しかし男の指が引き金にかかったところで、ヴァールが放った銃弾は男に届いた。
六発目、命中。頭部に当たり絶命させた。
すぐさま最後の標的へと照準を定める。
ぐんぐん距離を縮める敵に、ヴァールは勝利を確信した。
撃鉄を起こし、装填し、引き金を引く。自然と体が動いた。淀みなく一連の動作は終了した。
しかしその勝利は目前でするりと逃げた。
「なに?!」
まるで自分の人生を表しているようだと思った。
最後の一発は不発だった。
他の手段を思案する間もなく、ヴァールはたどり着いた悪党が向けた銃口に両手を挙げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます