4.
それから、少女が来ることは日課となり、ヴァールの家は村の名所になった。
「ここが石読みさんのいるところか」
「ちがう」
「あんた、石読みさんのお世話しとる人か?」
「ちがう」
「石読みさんへのお供えもんは、あんたに渡せばいいのかね?」
「だから、ちがうと言っている」
聞いているかもわからない相手に反論して、家の前から追い払うのも日課になった。
カナズの村人たちの来訪は、収穫作業の遅れの影響もあってかだいぶ落ち着いたが、それと入れ替わるように、同じ山域にあるほかの集落からの客が絶えず訪れていた。
皆、図々しくヴァールの生活圏を荒らし、悪びれる様子もなく帰っていく。
謝罪の言葉はカムラの口からしか聞かれなかった。
「だから。お前が悪いわけじゃないだろ」
そう言うと、カムラはさらに謝ろうとして慌てて口もとを押さえた。何とかとどまると、照れたように笑った。
「でも、なんだかいいですね。賑やかで」
ヴァールのことを気遣って他人の代わりに頭を下げたかと思えば、今度は逆にヴァールの心情とは相容れぬ一言を言ってのける。味方なのかそうでないのか。
ヴァールは日課を切り上げ、玄関前の日だまりにたたずむ。
「何がいいものか」
良いことなんて何かあったかと思い返す。
ビルカが来るようになって、毎日毎食のように食事を作らされ、自分なりの生活のペースは崩れるどころか消滅してしまった。おまけに家の前では騒ぎがやまず、『石読み』と名づけられた例の力を披露するたびに窓から、壁の隙間から、眩い光が差し込んだ。
予告なく起こる発光と、それに伴う歓声と、そして不定期に飛ぶ「ごはんはまだか!」の催促の声のせいで、一日中落ち着くことが出来なかった。
「でも悪いことばかりではありませんよ」
「たとえば」
「ビルカちゃんが来てから、『徐々に』ですがヴァール様の株が上がってきているんですよ」
喜びを隠しきれない様子のカムラから、予想だにしない言葉が飛び出した。
「言ってることの意味がわからないんだが」
ヴァールは怪訝な顔で返した。
だがカムラは信念を持ってこう言う。
「思えば村のみんなはヴァール様のことをよく知ろうともしないで勝手に言いたい放題でした。『あいつは集落に近寄ろうとしないし愛想も悪い。みんなで協力して畑仕事をしている時だって、手伝いましょうかの一言も出ない。挙げ句の果てに、いくら捨てたものとはいえ、人様の大事な思い出を売って金にするなんて、ありゃあ、人間の心を持っていないんだよ、きっと』なんて。それが最近はヴァール様を見る目が変わってきているんですよ」
その要因とやらを指折りながら挙げるカムラ。
実は面倒見が良いだとか、実は料理が上手いとか、実は思ったより悪い奴ではないかもしれないとか。
不思議と褒められている気がしないのは、自分がひねくれているせいだろうかと不安になる。だが何度カムラの言葉を思い返してみても、やはり褒め言葉よりも悪口の割合の方が高いようだった。
カムラは己の話にどれだけ多くのトゲが潜んでいたかなど気づかずヴァールに笑みを送っていた。
「株が、なあ」
まるで関心がないというように、ヴァールは息を吐くついでとばかりに言った。
それでもカムラは退かない。
「ビルカちゃんのおかげですね」
嬉しそうに言ったので、
「ビルカのせい、だろ」
ヴァールはわざとらしく嘆いて見せた。
言いながら、ヴァールは少女を見遣る。視線に気づいたのか、自分の名が話題にあがっているのに勘づいたのか、同じタイミングでビルカもこちらを向いた。
ばっちりと目が合った。
ビルカがにたっと笑った瞬間、何かよくない予感がヴァールの背筋を駆け上がった。
「ヴァール!!」
身構える間もなくビルカが突っ込んできた。
正面から衝突した後、ヴァールの体にしがみつきニタニタと笑う。引きはがそうと試みるも、大の大人の腕力を持ってしてもなかなか離れなかった。
「なあなあ。何を話していたのだ」
ヴァールは答えずに、とにかく離れるようにとうながす。ついでに彼女の硬い頭がどれほど危険な凶器となり得るかを、強い口調で伝えた。
きっとビルカは、ヴァールの言葉など一言残さず聞き流しているだろう。
しがみつくビルカ。押しのけようとするヴァール。押し合いが楽しくなってしまったようで、ビルカは顔や体を押される度に力いっぱい抵抗しては、ケラケラ笑い声をあげた。
「ヴァール様が人気者になるかもしれないとお話ししていたのですよ」
ヴァールを手伝い、少女の体を引きはがそうとしながらカムラが言う。
「なんだ? ヴァールは人気者じゃないのか?」
「え? ええとですね」
ビルカの言葉にたじろぐカムラ。気を遣ってヴァールの方をちらちらとうかがうが、ヴァールはまったく気にしない。「その通りだろ」と言うと余計に困った顔をした。
「ヴァールのごはんはウマイのに、どうして人気がないんだ?」
「みんな気づいてなかったんですよ。でもこれからは違います。きっと人気者になりますよ」
「本当か?」
「ええ、きっと。これもすべてビルカちゃんのおかげです」
カムラが言うとビルカは目を丸くした。ヴァールへの攻撃も一時中断して、カムラの言葉に食いつく。
「ワタシのおかげか? ワタシのおかげでヴァールは人気者になるのか?」
ビルカは喜びに満ちた眼差しで問う。
それに対し、カムラはやわらかく笑み、頷いた。
本人をまったく無視して話は進み、妄想話は真実に成り代わろうとしている。ここいらで訂正を入れるべきかと口を開きかけたところで、ばっちりビルカと目が合った。
大きな瞳でヴァールの顔を見上げる。
キラキラと輝く眼差しを向けている。
思わずヴァールは顔をそむけた。そむけるだけでは気が済まず、力づくでビルカの顔を明後日の方に向かせた。
だがビルカは止まらなかった。
ヴァールの腰にまわした手にいっそう力を入れてしがみつき、高らかに決意表明をする。
「よし! ならばたくさん頑張って、たくさん人気者にするぞ!」
本当に、迷惑極まりない宣言だった。
「まずは何をすればいい? ヴァールのごはんはウマイと、もっといろんな人に言えばいいか?」
真剣な顔で、自分にできそうなことをあれやこれやと並べた。
「なあ、ヴァール。どうしたらいい? どれがいい? それとも全部か?」
ヴァールは一瞬考えた。
「お前がここに来なくなるのが一番だ」
視線を合わさずに言った。しかし反撃がないことが気味悪くて、横目でビルカの様子をうかがう。
ビルカはきょとんとしていた。
「ワタシが来ないと、ヴァールは人気者になれるのか?」
「そうだ」
罪悪感など微塵も感じずヴァールは言った。
「ワタシのおかげで人気者になれるんだから、ワタシがいないのはおかしいだろう。ヴァールはおかしなことを言うな」
そう言ってビルカは笑う。
騙されてはくれなかった。それどころか、
「わかったぞ。ワタシのおかげということは、ワタシがそばにいればいいということだ。だからもっともっと一緒にいれば、ヴァールはもっともっと人気者になるのだ。そういうわけで、これからはもっと一緒にいるぞ。朝も昼も夜も、もっと、ずっと一緒だぞ」
より苦しめられそうな提案が出された。
助けを求めてカムラを見るが、頼りの綱である彼女は、青ざめたり頬を赤く染めたりを繰り返し、深い混乱に陥っている。
「あ、朝も昼も夜も、ずっと一緒だなんて……。いくらちいさくったってビルカちゃんも女の子ですし、ヴァール様だってなんだかんだ言っても男の方ですし…………。あら。私、その男の方のお宅にこんなに頻繁に出入りしていいのでしょうか。……でもそんな心配も無用なくらいに、今まで何もありませんしでしたし。これはどういうことなのでしょう」
はっきりした口調ではあるが、誰とも視線を合わせず返事も求めずしゃべっているということは、きっと独り言なのだろう。聞こえなかったことにして、自力で解決を図ろうとした。
少女は名案を思いついたと大喜びであった。このままでは間違いなく名案とやらを実行に移すだろう。
ヴァールは苦渋の決断を強いられた。
「いや、今のままで充分だ」
百歩譲って、現状維持を選んだ。
「もっとしなくていいのか?」
ビルカは首を傾げる。
「今のままで充分だ」
ヴァールは繰り返し言った。充分すぎるくらいだ。もうまったく必要ないとおもうくらいだ。だが、そこまで言ってしまえば、ムキになった少女が暴走しかねない。だから泣く泣く選択した現状維持なのだ。
「本当か?」
「本当だ」
「うむ。そうなのか」
「そうなんだ」
つい余計なことを言ってしまわないように、ビルカの言葉を返すことだけに専念する。
するとビルカの腕による拘束が解けていった。もう一押し、と言葉を重ねる。
「だからお前はいつも通りあっちに行ってろ」
そう言ってヴァールは人々の輪を指差した。そして、お前も一緒に来るのかと問われると、
「俺は……飯の支度があるから」
と逃げる。手伝うか? という申し出には「一人の方が旨いものが作れる」という嘘で乗り切った。
結果。
「行ってくるぞ!」
信じ込んだビルカは、心からの笑顔を見せてから見物人たちのもとへと戻っていった。
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