3.

「村のみんなが……本当にすみません」

 カムラが野菜を種類ごとに分けながら声をかけてきた。

「別に。お前が悪いわけじゃない」

 自分に責任がなくても謝らずにいられないのがカムラの性分だとわかっているのだから、気が晴れる言葉を投げてやればいいのに。いつも口にしてから、いっそう落ち込むカムラの顔を見て少しだけ後悔する。

「だいたい、悪いのはあいつをワアダから出した奴で、あの力についてベラベラ口外した奴だろ」

 ヴァールは犯人の顔を思い浮かべながら言った。

「みんなに言ったのは俺じゃねえよ」

 思い浮かべた顔が窓からこちらをのぞいていた。

「っていうか、どういうことだ? 用を済ませてカナズにたどり着いてみたらみんなの輪の中にカムラはいなくて、部屋の中でお前と二人きりだっていうじゃないか」

 まだ容疑者であるにも関わらず、ふてぶてしい態度で人様の家に侵入する。ヴァールとカムラの間に割り入るように立って二人の顔を眺め、鍋をのぞき込んでふんと鼻を鳴らした。

 その様子を見て、何かが起きたわけでもないのにカムラはもう取り乱している。

 一触即発の二人――否。起爆装置は互いの手にあるが、爆薬はどうやら片方にしか仕込まれていない模様。明らかな温度差で会話が進む。

「ワアダから連れ出したのは認めるんだな」

「それは、あいつがどうしてもって言うから! カナズに来るくらい問題ないだろ。むしろ山の奥に入って、ふもとから来るかもしれない外敵から遠ざかってるんだから。それよりお前たちが二人きりで何してたのかの方が」

「ビルカの力について触れまわったのもお前なんじゃないのか?」

「だから! 違うって言ってんだろ。っていうか、こっちの話も聞けよ。二人で何して――」

「じゃあ誰が」

「……市場に来てた奴らだよ」

 そこで一端、真面目な話をしようとザーイムが姿勢を正した。

 奇妙な発光現象を目にしたものはあまりに多く、市場はすぐに噂で持ち切りになった。現場にザーイムが居合わせたということはすぐに広まり、耳が早い者たちが『失想者の家』に詰めかけて根掘り葉掘り聞いていったのだという。

 やはりお前じゃないかとヴァールは言う。ザーイムは、失想者の家に出入りしている俺以外の人間だ、とあくまで否定した。

 とにかく、と前置きしてザーイムは言う。

「中には行商の奴らもいた。次の集落には向かわず下山を始めた奴もいるだろう。そいつらが大きな街に入ろうものなら、一気に広まるだろうな」

「大きな街。一番近いところで一晩くらいか。あっという間だな」

 猶予の少なさに深刻な顔を見せるかと思ったが、意外にもザーイムは落ち着いた様子で続けた。

「まだかかる。今な、ワアダの下の谷に架かる橋が落ちてんだ。去年直したばっかりだってのに。だから山を下りるのにはもう一本下の橋を迂回して、街に着くのは」

「五日というところか」

「山の民なら三日と半だ」

 そういうところは決してゆずらない。

「そこから、情報を仕入れた奴が山を登り始めて、カナズにたどり着くとなると……山の民じゃないなら十日以上かかるだろうな。だからしばらくは安全だ。カナズに来たくらいでガタガタ騒ぐなよ」

 昨日騒ぎ立てたのはどこのどいつかと言ったら、ザーイムは顔を真っ赤にして反論してきた。

 そもそも少女をカナズに連れてきたことに不満を抱いているのは、安全性の問題ではなく、心の平穏を破壊されたことなのだ。それをザーイムは理解していない。

 噛み合うはずのない論争を傍で聞いていたカムラにいたっては「安全」という言葉だけを拾って、安堵の表情を浮かべていた。

「だが、それならお前が頼りにしているお偉いさんとやらも影響を受けるだろ」

 ヴァールは思いだし言う。

「まあ、伝令役はうちのもんだから被害は小さいけど、もし引き取りに来てもらうとなると、ちょっと時間がかかるだろうな」

 それでも、何とかなるだろう、何とかしてみせるとザーイムは胸を張る。それよりもビルカのカナズ滞在が長くなることで里心がつかないかと、『カナズで安全に楽しく過ごすこと』の弊害ばかりを気にしていた。しかしこれといった対策が見つかるわけでもなく、最後は結局、「まあ何とかしてやるか」の一言で片付けた。

「そういうわけで」

 ザーイムは鍋に顔を近づけて、肺いっぱいに旨そうな匂いを吸い込んだ。

 うっとりするような表情を浮かべたのも束の間。

 ばっと体を起こしヴァールを睨みつけた。旨そうだが、ヴァールが作ったと思うと……というところか。ばつの悪そうな顔をするので、鼻で笑ってやった。

 ザーイムは地団駄踏んで悔しがったが、カムラの手前、感情を爆発させることなく何か呟きながら怒りを静める。

 そして深呼吸で完全にスイッチを切り替えた。

「よし。お前の腕前を試してやろうじゃないか。メシだ! メシ食うぞ!!」

 ザーイムは鍋の前で雄叫びを上げた。

 聞きつけて、ビルカも家の外で雄叫びを上げたようだ。まるで獣の会話だ。

「お前の分などない」

「これだけあれば大丈夫だ。カナズの民は助け合いの民。みんなでうまく分け合って食べるさ」

 ザーイムはどこからか、何家族分もありそうな数の椀を取り出してよそい始めた。

「やっぱり多めに作っておいて正解でしたね」

 隣りでカムラが笑う。

 カムラが「ビルカちゃんが美味しそうに食べているのを見たら、きっと村のみんなも味見したいって言い出しますよ。それを見越して作らないと、二度作る羽目になりますよ」としつこく言うので、多めに作りはしたが。

 開け放たれたドアの前。行列が生まれ、器によそう者、配る者。自分の家の前が街の教会前さながらに、配給所になりつつあった。

 ビルカは列など気にせずに先頭に躍り出て、

「ワタシにもくれ!」

 と両手を差し出す。

 念願のヴァールの手料理を手に入れると、笑顔のまま家の中に戻ろうとした。

「言ったろ。何かするなら外で、だ」

「えー。食べるのも外なのか?」

 遮るヴァールの手をくぐり抜けようとしながらビルカが言う。

「当然だ。ビルカだけじゃない。全員だ。よそうのも配るのも、外でやれ。鍋ごと持って行け。食べ終わったらさっさと立ち去れ。」

 そう言ってヴァールは害獣に対するように、集まった人々を両手で追い払った。

 立ち止まろうとするビルカには、腕ずくで対処する。肩を押し、背中を押しして家の外へと向かわせた。

 うわっと小さな悲鳴をあげて、前のめりに倒れそうになるビルカ。一歩二歩と踏み込んでなんとか持ちこたえた。食べ物も無事だった。ほっと息をつきそして振り返る。

 予想外に、怒りでも悲しみでもない表情を向けていた。目を丸くして、少し多めに瞬きをして、ゆっくり首を傾ける。

「どうしてさっきからヴァールはべつなのだ? 一緒に食わんのか?」

 その眼差しを直視できずに、ヴァールは顔をそむけた。

「食わない。俺は寝る」

「まだ寝るのか! もう昼だぞ。ごはんの時間だぞ。腹が減ってはイクサもできぬし、眠れもしないぞ」

「戦わないし、腹が減っても眠れる体質なんだ」

 ヴァールはそう言う。言い終える頃にはビルカの体は完全に屋外へと追い出されていた。

 最後にカムラにも外に出るよううながし、全てをやり終えて扉を閉める。今度は誰も侵入出来ぬようにと掛けがねまで掛けた。

 その音が外の集団にも届いたようで、あちこちでため息やら陰口が生まれているようだった。

 そんな状況下にあっても、あきらめずに扉の向こうから声を投げる者がいる。

「ヴァールも一緒に食えばいいのに。みんなで食べたら、絶対ウマイぞ。そうしたらワタシも嬉しくなるぞ。そしたらそしたら、もっとウマくなるぞ。……スバラシイ! なあ、ヴァール! おーい、ヴァール!!」

 己の幸福のために扉を叩き訴える少女。

「ダメですよ。無理強いしてはいけません」

 ビルカは慌てながらも優しく諭し、

「そうだそうだ。あんな根暗は放っておけ」

 ザーイムは吐き捨てて、扉の前から離れていったようだ。

 声が聞こえても、ヴァールはどれにも返答する気はなかった。

 美味しくならなくて結構。罵ってくれて結構。輪に加わるよりずっといい。

 扉を閉ざし窓も布で覆ってしまい、薄暗くなった部屋の中でベッドに体を投げた。天井を仰ぐ。 この方がずっといい。

 それなのに、どうして邪魔が入るのか。

「やっぱりイヤだ! ワタシはヴァールと一緒に食べたいぞ。ヴァール、ヴァール。出てこい、ヴァール!」

 誰のものよりもよく通るビルカの声がいつまでも止まずにヴァールの名を呼ぶ。

 ヴァールは毛布をかぶり、外の喧噪を遠ざけるように目を閉じた。

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