第四話 解答編
それから何分かして、右手から幾人かの人が出てきたことで俺は「ああ」と、納得した。白髪頭でお腹はでっぷりと太った冴えないメガネ。政治家のご入場だったからだ。
再び携帯が振動する。またかよ、と再び電話を取る。やはり相手は母からだ。
「ツムギ! 聞いて聞いて! これから元号が発表されるみたい! これって歴史が起こる一大イベントだよ! ――あ、そろそろ始まりそう……じゃあね!」
――と、俺に言うだけ言っといてブツ切りされた。母の自己中さ加減に
ようやく状況を理解した。すかさずサツキに状況を話し、情報を共有する。
「へえ、今から発表されるんだ。何かドキドキするね」
「みたいだな」
「ツムギ。次の元号、何になると思う?」
「……さてな」
「なんだよ、面白くねえな」
「じゃあ、サツキは何だと予想するんだ」
俺がそう尋ねると、自信ありげにはにかんだ笑顔になった。
「ふふん、俺の予想だと『平和』。平か和のどちらかの漢字が入ってると思うな」
「――何で?」
「だって……何時までも平和でいたいじゃん」
「……なんて安直な」
そんな感じで元号が決まるわけがないだろう。熟語じゃないんだし……と、もう一度テレビ画面に目線を戻した。
丁度良く、先程入ってきた政治家の前口上が終わったようで、今にも長方形の茶色い額縁を両手で抱きかかえるようにして、こちら側に向けようとしている。
額縁内には半紙が収められており、生乾きの墨ではっきりと文字が書かれていた。今まで時間がかかっていたのはこの為だろう。楷書体で読みやすい。
こちら側に見せた途端、大量のフラッシュがたかれる。その光景を垣間見た時になって初めて、サツキの予想が見事に的中していたことが判った。
『平成』、そう書かれていた。
さっとテレビ上の卓上カレンダーに目線をずらす。
1988年 1月7日。今日の日付だ。
この日が、64年間続いた昭和が終わる記念すべき日となったのである。
「へえ、ニアピンじゃんか。やるな、サツキ」
「ヘヘヘ、でしょ。みんな考えることは一緒だよ」
「『平』の方だとは思わなかったな。しかし『~和』の方もいい――ん?」 言葉が詰まった。
「……どうした、ツムギ?」
ふと、このようなことを思い付いた。
「さっき、俺はこう言ったよな。『現実世界では、叙述トリックは起こり得ない』って」
「うん」
「でも、こうなら起こり得るかもしれない。例えば、『ある未来人が俺たち二人を覗き見していたとすれば、それは叙述トリックになり得るかもしれない――って』」
「……うん?」
「まあ、空想だと思ってくれていいよ。例えば、だ。この元号発表が『平成』ではなく、何かしら別の……例えば『~和』だと誤認してしまったり、今が1988年より後だと勘違いしてしまったりと考えたらだよ。
この発表内容は、俺たち自身は当たり前に感じるけど、未来人にとっては驚愕に値する事実だ……みたいな感じ。なんとなく意味は解るかい?」
「なんとなく、なら。でも覗き見はよくないよ」
「じゃあ、盗み見にしよう」
「盗み見? ――はっ。ということは、何処かに盗聴器が!」
サツキがこたつを飛び出し、キョロキョロと家の中を巡回する。仮定なんだから真に受けるなよ……。
未来人が盗聴器なんて使うはずないだろ、と言い含めると、サツキはあっさり戻ってきた。
しかしこの様子じゃ、誤解を解かずに話を進めた方が面白いな。このままにしておこうっと。
「それで、その盗み見好きの未来人はどんなことに興味があるんだ?」
「それはな、俺たちだよ」
「俺たち? 俺たちは普通の学生だろ、なあツムギ」
「ああ、そうさ。その言葉に嘘はない。でもな、それでも気になると思うぜ」
「……なんで?」
「それはな、俺たちに何かあると勝手に思い込んでいるのさ。例えば、どちらが女なのかとか、はたまた恋人同士かもしれないとか、な」
そう言うと、サツキは大声で笑い、自分の前髪をかき上げた。
「おいおい、俺たちが恋人だって? 女だって? 未来人は面白い冗談を言うな。だって俺たちは『男同士』だぜ。何をどう見ればそうなるんだろうな?」
「――そうだな。だから驚愕するんだろうさ」
☆
サツキの家を出た俺は、寒さを堪えながら停留所まで歩いていると、ちょうどよくバスが来たらしい。後方からタイヤチェーンを装着しているため、解りやすいのだ。
ジャリジャリと積雪を踏みしめた音を立てながら、バスは俺を追い越してただ一人の客を救うべく停車する。余裕をもって乗り込み、車内を見回すと、そこまで混んでいなかった。後部座席に座ると同時に発車し、すいすいと外の景色が後ろに流されていく。
道は空いているようで、停留所や信号に捕まることがない。固まった雪と巻き付いたチェーンで大袈裟な音を立てながら進む車。減速気味でいつもより遅くなるかと思ったが、案外、早く着くかもしれない。
このまま停まることなく終点までノンストップだろう。窓際に頬杖をついて、流れる景色をぽけーと見る。
「平成、か……」
明日から新しい元号である平成が始まるらしい。正直な話、まだ実感は湧かない。一度瞬きしてしまえば、雪の粒のようにふわふわと跳んでいってしまいそうな、そんな夢見心地だった。
人のいない車内を一目見て、再び左側の車窓に目を転ずる。――と、
「あ」
反射的に降車ボタンを押した。
視界の端から端に流れる際、「あるもの」を認めたからだ。俺の行為によって、快調に進んでいたはずのスピードがゆるゆる落ちていく。
目はいい方だと自負できる。今、さっと店が流れてきた。馴染みの本屋さんだ。
店頭には新刊コーナーがあり、とある本を紹介していたようだった。見たことのない題名の本だった。
『異邦の騎士』。そう書いてあったように思える。
著者は解らなかったが、その文字から察するに、名作の予感がする。今までそれなりに学生生活を送っていたためだろう、忙しくて本を読む時間がなかったのだった。どうせこれから地獄の毎日を過ごすのだ。息抜きに本くらい読みたくなる。
佳境だとはいえ、まだ課題は終わってないんだし。
――『課題は終わってない』――。
実をいえば、俺は少し嘘を言ったのだ。
いや、嘘というのは語弊があるのかもしれない。サツキの家でゲームをしていた時、たしかに俺は「別にいい。俺は終わったからな」と言った。
「終わった」という言葉から、終わったのは宿題だと感じかかもしれない。
だが、実際は違う。正確にはこう答えればよかったのだ。「俺は終わったのも同然だからな」
そもそも俺に冬休みの宿題なんて出されてなんかいない。
確かに俺も学生の身分だから、何かしらの課題は出されてはいる。だが、その課題が『冬休みの宿題』であるとは一言も言ってない。俺の課題は冬休み中に終わらせるものではないのだ。期限は春先まで、まだ二か月以上もある。
俺はサツキのような腑抜けた中学生じゃない。後は書き上げるだけなのだから、終わったのも同然なのだ。
やがてバスは停留所に停まり、乗降口から降りて再び冷たい外気に身震いする。向かう前に名残惜しそうにバスの行先を見た。本来降りるべき場所はここではなく終点だったのだ。
このバスは『R大学正門前』行。俺が通っている大学名がそこにでかでかと書いてある。ふう、とため息をつく。「……そろそろ、卒論終わらせないとな」
バスを見送った。踵を返して通りを歩く時にポケットからサツキの家でこっそり盗んできたみかんを取り出し、皮を剥いた。ひと房ひと房を食べながら、心の中で密かにこう呟いてみた。
――ゲームは駄目でも……推理小説一冊分を読書できる時間はあるよな?
本屋近くの公衆ゴミ入れに皮を投げる。すると、うんいいよ――というように、きれいな音をもってすっぽりと収まった。
俺の心の中を覗き見していた未来人がそうさせたのかもしれない――俺はそう思った。
≪その1 完≫
≪作者による挿入文≫
叙述トリックが一つだけ仕掛けられてるとは書いてません!
さあ、画面の向こう側のあなたはどちら側でしたか?
素直な気持ちを☆、感想、レビューに残してください。作者が次回作を早めに書き上げるかもしれません……
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