60「母の愛です」②
オクタビアの口から、弱々しい声で、しかしはっきりと告げられた言葉にギュンターだけではなくヴァルザードが驚きを隠せなかった。
「ママ?」
「オクタビアくん?」
「あなたを逃してあげる。代わりに、ヴァルザードを一緒にスカイ王国に連れていって。お願い」
「もしや、君、正気に」
戻ったのか、と聞こうとして、ギュンターは言葉を止めた。
見る限り、残念なことではあるが、洗脳は解けていない。
彼女は頭痛を覚えているのか、顔をしかめて額を抑えながら、必死で言葉を紡いでいく。
「私自身、なぜこんなことをしているのかわからないのよ。でもね、私はあなたを解放しなければならないし、ヴァルザードだけでも、あの人の影響下にない、唯一の息子だけでも助けなければならないと思ってしまうの」
「ならば君たちも共に」
ギュンターの提案に、オクタビアは首を横に振った。
「無理よ。できない、できないわ。お願い、ギュンター・イグナーツ」
「……オクタビアくん」
「ヴァルザードを、お願い。争いとは無縁な世界に、好きな子と出会い、友達を作り、素敵な家庭を持ち、子宝に恵まれる。そんな当たり前の日常を送らせてあげて」
「――ヴァルザードくんの幸せには、君たちも必要だ。僕がなんとかすると約束する。だから、一緒に」
度重なるギュンターの訴えに、オクタビアは頷かなかった。
ギュンター自身もわかっている。
今のオクタビアはもちろん、ジーニアスたち兄弟は教皇の影響下にあるため、ここから出ていこうとまず思わない。
外出や遊びにいこうと誘ったのなら別かも知れないが、ここから逃げて一緒に暮らそうとはできないだろう。
「無理なのよ。今にも、夫を害そうとしたあなたを殺したいもの。あの人に褒めてもらいたい。愛してもらいたい。あの人が全てなの。同時に、おかしいとも思っているの。だって、私は――愛している夫の名前さえ知らないのよ!」
「……オクタビアくん。君は」
教皇に愛されたい、尽くしたいと思いながら、オクタビアは違和感を覚えていた。
夫の名前を知らないことを異常だとわかっていながら、それでもなお夫の喜ぶことをしたいと願っている。
歪で、おかしい。
それでも、オクタビアの本質は母なのだろう。
唯一、家族の中で教皇の影響下にないヴァルザードだけでも、この場から逃してあげたいと思っているのだ。
ここから逃げ出した方が、子供のためになると無意識かで理解しているのだ。
「……お願い、お願いよ、ギュンター・イグナーツ。私が、私でいられる間に、逃げてちょうだい。今ならあの人はいないから! そして、愛しい息子をお願い!」
「ママ!」
母に抱きつこうとしたヴァルザードをギュンターは制した。
彼女の思いを十分すぎるほど理解した以上、ギュンターのすべきことはただひとつだけだ。
「――承知した。オクタビア・サリナスくん、君の母性を心から称賛する」
「ありがとう。ヴァルザード、幸せになりなさい。いいわね」
「ママ、ママ!」
ギュンターはヴァルザードを抱き抱えると、オクタビアの手筈で、隠れ家から脱出することに成功した。
ヴァルザードは、初めこそ逃げ出すことを拒もうとしていたが、ギュンターが「オクタビアくんの気持ちを無駄にしてはいけない」と言うと、おとなしくなった。
抱きかかえているギュンターにはヴァルザードの顔は見えない。しかし、彼が啜り泣いていることだけはわかった。
オクタビアに託された最愛の息子を、約束通り守り、健やかな生活を送らせるとギュンターは誓ったのだった。
そして、翌日。
ヴァルザードと、ギュンターの存在をまるで覚えていないオクタビアと子供たちは、いつもと変わらない平和で幸せな生活を続けるのだった。
〜〜あとがき〜〜
ヴァルザードくん、スカイ王国入り決定です。彼の今後に幸あれ。
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