52「クリーさんは大変です」





 ギュンターが攫われながらも割と平和な日々を過ごしていた頃、スカイ王国では。


「ギュンター様ぁあああああああああああああああああああ!?」


 イグナーツ公爵家で、クリー・イグナーツが荒ぶっていた。

 それもそのはず、彼女は夫ギュンターに深い愛情を抱いているのだ。

 大陸中でギュンターを一番愛しているのは誰か、と問われたら、誰もが口を揃えてクリーの名を挙げるだろう。

 そんなクリーが最愛の夫が拐われてしまったこと、なによりもギュンターと触れ合えないことを我慢できるはずがなかった。


「若奥様が発作です!」

「またか!」

「お身体に触る、早くしろ!」


 目を血走らせてギュンターの名を叫んだクリーに、メイドや使用人が慌てて駆け寄る。

 その手には、ギュンターの私物があった。

 シャツから下着、靴下まで、一度洗ったものではあるが、ベッドにいるクリーにざばーっと被せる。


「すーっ、はー、すぅー、はー」


 クリーならば、洗濯済みであろうとギュンターの残り香を嗅ぎ取り、落ち着きを取り戻すだろうと、思われたのだが、


「きえぇえええええええええええええええ! 臭いが足りませんわぁああああああああああああ! もっと、もっと濃厚なギュンター様をぉおおおおおおおおおおおおおおお!」


 全然落ち着かなかった。

 むしろ、よりいっそう荒ぶっている気がする。

 メイドたちは心配する。

 クリーのギュンターへの愛情の深さを知っているのだ。最愛の人が遠く離れてしまった。しかも、意図せず、拐われてしまうなど、身を引き裂かれる思いだろうと涙する。


「お着きになりました!」


 甲冑を着込んだ騎士が小走りに現れ、部屋の入り口から数歩離れた場所で膝をつく。

 仮にも未来の公爵夫人の寝室に、イグナーツ公爵家に忠誠を誓っていたとしても男性の騎士が近づくことはよしとしない。とくに現在のようなギュンター不在ではなおさらだ。

 もっともギュンターはまるで気にしていないが。


「お早く!」


 メイドが大きな声を出すと、他の騎士がひとりの老女に手を貸し、伴ってきた。


「……これは……クリー様、おいたわしや」

「ばあ、や?」


 老女は、故郷でクリーの世話をしてきた女性だった。


「ばあやが来たからにはご安心くだされ。今、楽にして差し上げますぞ」


 しゅっ、とばあやがふところからオカリナを取り出すと、ぷぺぺ、ぷぴーと音色を奏でる。

 ぷぺー、ぽぉーと美しい戦慄がしばらくの間、公爵家に木霊した。

 しばらくして、すうすう、とクリーが寝息を立てたのを確認すると、老女は大きく息を吐いた。


「しばらくはクリー様も落ち着くでしょう」

「感謝します」

「いえいえ、かわいいクリー様のためです。クリー様は、もともと愛情深いお方です。また同時に、やんちゃな方でもあります。どうか見守っていただけたら、と」

「もちろんです。クリー様のことはギュンター様の奥方であることを抜きにしても、心からお仕えしたい方ですので」


 公爵家に嫁いできた幼い少女は、使用人たちに対しても礼儀正しく愛らしかった。

 無礼だと分かっていても、メイドたちはクリーを妹のように可愛がってしまう。

 ギュンターや、公爵たちもそれを良しとしているが、別の家の帰属ではまずありえないことだった。

 公爵家に嫁ぎ、気を大きくして態度が悪い女性もいるが、クリーは根っからいい子だったので、たくさんのひとに好かれている。


「……早く、若様が戻ってくださるといいのですが」


 なんだかんだとイグナーツ公爵家に使える面々だ。

 とりあえずギュンターが戻ってくることだけは疑っていなかった。







 〜〜あとがき〜〜

 次回はサムサイドです。

 時空列がごっちゃになってしまいますが、サムサイドは現在、ギュンターサイドは数日前です。

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