19「夢を見ました」
「――羨ましいな」
どこまでも続く真っ暗な闇の中で、サムは聞き覚えのある誰かの声を聞いた。
悲しげで、寂しげで、なによりも妬ましそうな声だった。
「僕だって、強い力があったら君みたいにうまくやれたんだ」
サムは返事をすることはもちろん、声の主を見つけることすらできない。
そもそも自分の姿さえ確認できないのだ。
ただただ暗闇の中で、幼い少年の声が続けて響く。
「本当なら、そこに居ていいのは僕だったのに」
ぎりっ、と歯を噛み締める音が響く。
「僕に君のような力があったら、醜い弟も、気持ちの悪い後妻も、必要のない父親だって斬り殺してやったのに。どうして君はしなかったの? 僕があんな目に遭わせられたっていうのに、他人事とでも思ったの?」
なるほど、とサムは理解した。
なぜ、今になって、彼の声が聞こえてくるのかわからないが、声の主は――サミュエル・ラインバッハだ。
「僕が泣いていても助けてくれない人たちも、慰めることしかできないダフネたちも、みんなみんな斬り殺してしまえばよかったのに!」
ずいぶん歪んだ考えだと嘆息したくなった。
そもそも前世を取り戻す前のサミュエルは、ダフネたちが心の支えなのに、なぜ殺せなどというのか。
(――きっとこれは夢か。前世の記憶があろうとなかろうと、俺がこんなことを言うわけがない)
「なによりも、あの母親が生きていたのが許せない! あいつさえちゃんとしていたら、あの女が後妻に入ることだってなかったのに! なにが、愛した人がいただ! だったら、愛した人との間にできた子供はどうだったんだよ!? 勝手に逃げ出して、記憶を失って、素敵な家庭を築いていましたって――じゃあ、その間、苦しんでいた僕はなんなんだよ!?」
夢であることを前提にして、考えてみた。
もし、仮に、この声がサミュエルのものだったとしたら、まあわからなくもない。
だが、記憶を失っていた人間にとやかく言っても仕方がないし、自害を試みるほど追い詰められていたのは母親も同じだ。
恨むのは筋違いだ。
「うるさい! あの女が守ってくれなかったから、僕はあんな屑に殴られて、虐められて、存在を否定されて」
残念に思うし、同情もする。
だが、サミュエルをいじめていたマニオン・ラインバッハは、母親に見捨てられて苦しんで死んだ。もう罰は受けている。
まだ存命の義母と血の繋がっていなかった父親も、過酷な労働刑を受けているため、死んだ方がましな目にあっているはずだ。
気にするだけ、時間の無駄だ。
「君はそれでいいのかもしれない! いくら魂が、肉体が同じでも、記憶しかないんだから! 実際に、責め苦を味った、僕の気持ちは絶対にわからない」
「なら、どうしろっていうんだ?」
初めてサムの声が出た。
「サミュエル……お前が大変だったのは知っている。できることなら、苦しみを変わってやりたかった。だけど、もう終わったことをどうこう言っても過去はかわらないんだ」
「過去はかわらない、それはわかっている。だけど、未来なら変わる」
「なんだって?」
どこにいるのかわからず、顔さえ見えないのに、暗闇の中で間違いなくサミュエルが嗤った確信があった。
「君のすべてを僕にちょうだいよ」
「すべてって」
「魔王としての力も、リーゼロッテも、ステラも、アリシアも、水樹も、花蓮も、フランチェスカも、他にもみんな全部ちょうだい!」
「なにを言っているんだ。俺とお前はひとつだ。渡しようがない、いや、そもそもリーゼたちは物じゃないのだから渡せない」
「もっと簡単な話だよ。僕に、その肉体の主導権をちょうだい?」
「――そんなこと、できるのか?」
「できるさ。僕が死んだみたいに、君も死ねばいいんだ」
「なにを言っているんだ、お前は!」
確信こそないが、声の主はサミュエル本人だと思った。
夢、では片付けられない、違うなにかがある。
「僕の人生を返してよ!」
「――なにを」
「ねえ、返してよ! 僕にその楽しそうな人生をちょうだい! 僕なら、もっと楽しくできるはずだから! ねえ! ねえ! ねえ!」
「ふざけんなっ!」
願いではなく、まるで恫喝のようなサミュエルの声に、サムは怒声を返した。
「お前は俺だ。俺はお前だ。お前だからうまくいくとか、俺だから駄目だとかじゃないだろ! お前が俺を羨むなよ! 俺たちは同じだろ!」
サムの知るサミュエルという少年は「こう」じゃない。
なぜこんなにも変貌を遂げたのか理解できない。
「――そうやって、自分だけ楽しい思いをするんだね」
「悲しいことも、痛いこともたくさんあった。俺が送ってきた五年間が、楽しいだけに見えたのなら、お前は大馬鹿だ!」
サムは、もう付き合いきれないと叫んだ。
「こんなのは茶番だ! 誰がどんな目的でこんなことをしているのか知らねえけど、ふざけんな! 斬り裂け!」
自身の腕もなにも見えない中、サムは斬ることだけを考え、そして叶えた。
怒声が暗闇に響いた刹那。
闇が一文字に斬り裂かれ、サムの意識は遠のくのだった。
「――おのれ」
深い深い結界の中で「それ」は嗤っていた。
最上の器を逃してしまったが、まだ運が向いている。
本来なら取るに足りなかった人間が、短期間で大きく成長し、自分を受け入れるだけの器を手に入れたのだ。
「おのれ……幻では、誘惑しきれぬか」
おのれ、おのれ、おのれ。
怨嗟を吐き出しながら、「それ」は次の手を考えるため、目を閉じるのだった。
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