51「全力を始めます」①
ふたりの攻撃は相殺することなく、お互いの肉体を傷つけた。
サムは肩から胸にかけて五筋の裂傷を負い、女は左肩と左ふとももに裂傷を負った。
「――くそっ!」
全力で攻撃できなかったことに苛立ち、サムは血の混ざった唾を吐いた。
サムは王宮から離れることで相手の攻撃を届かないようにしたのだが、女と場所を入れ替えるように空へ移動したこともあり、今度はサムの攻撃が王宮を襲う可能性があった。
そのわずかな心配が攻撃の力を緩めてしまった。
とはいえ、それでも七割ほどの力で斬り裂いたのだが、相手は想像以上に硬いらしい。
「なるほど。この程度のことはできるらしい。痛みを感じたのは久しぶりだ」
空に立つサムと同じように、女も空に静止している。
背は、サムよりも高く長身だ。おそらく百八十くらいあるだろう。
身体つきはしっかりしていて、筋肉質だとすぐにわかる。
無駄なく鍛えられた肉体は褐色だが、髪や眉、まつげまで銀色だ。
なによりも特徴的なのが、頭の上に獣耳があることだ。間違いなく獣人か、その血を引いている。
そんな女は、ホットパンツのような短いズボンと、ブラジャーに近い布を胸に当てているだけだ。
これが平時であれば、目の毒だと叫んだのかもしれないが、今のサムにはそんな余裕はなかった。
女は先ほどに比べて冷静になっているようだが、そもそもなぜ襲われたのか理解できなかった。
「あんた、魔王だな?」
「ああ」
サムの問いかけに女は頷いた。
(だと思った。この魔力量もそうだけど、魔力の質、爆発的な身体能力、すべてが規格外だ。俺が魔力量以外に勝っているものってないだろ)
遠藤友也、エヴァンジェリン、ヴィヴィアンたちとも、竜王炎樹とも違う、異質な存在だ。
これで魔王じゃないと言われたら、この世界は面白すぎる。
(――ウル。この世界って、蓋を開けてみると馬鹿みたいに強い奴だらけだよ。まあ、一部、変態もいるけど、それでもめちゃくちゃ面白いだろっ!)
「ほう、俺を前にして、笑うか」
「あれ、俺って笑っている?」
「楽しそうだ。少なくとも俺にはそう見える。だが、残念ながら、俺はまだ楽しくない!」
女が虚空を蹴った。
瞬く間に肉薄した女は、鍛えられた腕を真っ直ぐにサムに繰り出した。
拳ではなく、五指の爪でえぐりにきていた。
あまりにも早く、鋭い。
準魔王ゾーイ・ストックウェルの速さこそ、サムの知る一番だったが、この女は直線上ならそれ以上だ。
「――ぐっ、うらぁあああああああああああああああああああっ!」
迫りくる爪をくらえば身体を易々と抉られる未来が浮かんだサムは、全力で肉体に魔力を回し、魔王に至って初めて殺意を込めた全力を出した。
女の手を絡めるようにして掴むと、サムは渾身の蹴りを彼女の腹部に放った。
これで死んでくれ、と願うほど殺意と魔力を込めた一撃だ。
「――かはっ」
酸素と血を吐き出し、上空に吹っ飛んだ女に向けて、サムは――ぱんっ、と手を叩いた。
すると、女は見えない壁にぶつかり、落ちてくるが、今度は見えない地面があるかのように虚空に音を立てて落ちた。
サムが女のいる高さまで上昇すると、立ち上がり口元を腕で拭う女に向かい、手を広げた。
「――俺の世界へようこそ」
「なに?」
怪訝な顔をする女に、サムは満面の笑みを浮かべた。
「前々から不満だったんだよね。俺ってさ、ギュンターの結界がないと本気を出せない。いや、あっても出せなかったんだよ。出すまでもないって言うか、人間相手だとさ。殺したくない人と戦ったことだってあるし。で、そうやって気遣っていると遅れをとることがある。そうすると文句を言われるし、心配されるし、申し訳ないやならなにやらで」
「何を言っている?」
「で、なんとか俺が結界はれないかなーってずっと試行錯誤していたんだけど、ギュンターの奴も腐っても一流以上の術式だから盗ませてくれないんだよ。でも、クライド様の結界を見て、俺もなんとなくだけど結界っていうのがどんなものなのかわかったんだ。ということでさっそく結界を作ってみたんだが、これが難しくて難しくて」
「だから、なんのことだ!」
「魔王になったらなったで、あーこれは力を持て余すぞーって。玉兎と戦った時も全力だったけど、殺意はなかったんだ。いい奴だから殺したくなかったんだよ。結界も力も試せない、これはストレスが溜まるなーなんて、思っていたんだ。だからさ――ありがとう」
感謝の言葉に、女は間の抜けた顔をした。
「あんたがどこの誰か知らない。魔王らしいけど、名前も、交友関係も、わからない。だけど、ただひとつ、はっきりしていることがある。それはね、スカイ王国の結界をぶっ壊して、王宮ごと俺を襲いやがった。全力でぶっ殺すには十分すぎる理由だ」
「……お前の言葉はよくわからんが、俺と全力で殺し合ってくれるんだな?」
「いやいや、誤解するなって。殺し合い? そんなことはしないよ。これから始まるのは――俺の一方的な暴力だ!」
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