36「メルシーが飛び立ったそうです」
サムと玉兎が対面している頃、スカイ王国王都のウォーカー伯爵家のアリシアの部屋。
「きゅるるる」
椅子に腰掛けてお腹の赤ちゃんと、子竜たちのために編み物をしているアリシアに、子竜姉妹の長女メルシーが不安そうに鳴いた。
「メルシーちゃんも、サム様が心配なのですわね」
「きゅるる」
「ですが、大丈夫ですわ。サム様なら絶対に元気なお姿で戻ってきますから」
メルシーだけでなく、不安げな顔をしているのは他の子竜たちも同じだった。
アリシアは姉妹を安心させるよう、頭を撫でてあげるも、実際はアリシア自身も不安を抱いていた。
だが、それはリーゼ、ステラ、花蓮、水樹、フラン、そしてサムに関わるすべての人間が同じだ。
自分だけ弱気になってはいけないと、編み物をすることで気を紛らせているのだ。
「きゅるぅ」
頭を撫でてもらっていたメルシーがまるでアリシアを慰めるように、顎を膝の上に乗せて気遣うように鳴いた。
「まあ、メルシーちゃんったら。わたくしは大丈夫ですわ。だって、サム様の妻ですもの」
アリシアは強くなった。
力が、ではなく、そのあり方が。
かつては、気が弱くおどおどとした少女だった。
しかし、サムと出会い、触れ合い、竜が好きだという一面を見せ、半年足らずで快活な少女へ変貌した。
アリシアの控えめなところを心配していた両親も、姉妹も、そして家人たちも、今では彼女のありように安心できていた。
とはいえ、アリシアの心の全てが強くなったわけではない。
サムのことは心配だし、夜も眠れなかった。編み物で気を紛すことをせず、そばにメルシーたちもいなければ、きっと取り乱して泣いていただろう。
「きゅる?」
「メルシーちゃん?」
子竜のメルシーが、なにかに気づいたように顔を上げた。
アリシアが名を呼んでも反応はなく、窓の外を見つめていた。
「どうかなさいましたの?」
再び問いかけてみるも、返事はない。
まるでメルシーに意識は遠くあるようだ。
「きゅるるるるるるるるるるるっ」
「メルシーちゃん?」
しばらくすると、メルシーが牙を剥いて唸り出したのでアリシアが戸惑う。
「急に、どうなさいましたの?」
だが、やはり返事はなく、メルシーは唸り続けると、急に魔力を高め始めた。
子竜とはいえ、竜だ。
その魔力量は並みの魔法使いを優に凌駕している。
魔力耐性がないアリシアが、魔力酔いを起こしそうになる。
誰かを呼ぶべきか、アリシアが悩んだその刹那、
「きゅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるぅ!」
赤い魔力を身体中から放出させ、メルシーが光に包まれた。
「メルシーちゃん!」
異常事態だと思ったアリシアがメルシーに飛びつこうとすると、なぜか他の子竜たちに阻まれてしまう。
なぜ、と問おうとして、アリシアは口を開けたまま固まった。
「くりゅりゅるー!」
「くるるうー!」
そして姉妹が、嬉しそうに、祝うように、鳴く。
「メルシー、ちゃん?」
なんとか声が出せたアリシアの先には――美しい少女がいた。
「うん。メルシーだよ。アリシアママ!」
アリシアをママと呼んだ少女は、燃えるような長い赤毛を靡かせて、にかっ、と笑った。
突然すぎるメルシーの人化に動揺を隠せないアリシアに、メルシーは告げた。
「今からクソ親父をぶっ飛ばしてくるから!」
「え? くそ親父ってどなたですの? いえ、それよりも、そんな悪い言葉を使ったらいけませんわ……いえ、そうではなく、なぜ人の姿に」
うまく言葉が見つからないアリシアにメルシーはピースサインをすると、
「ちょっと待っててね、クソ親父をぶっ飛ばしてサムパパを連れて戻ってくるから!」
そう言って、窓枠に足をかけ、少し慣れない様子でそのまま外に飛び立ってしまった。
「め、メルシーちゃん!」
止めようと手を伸ばすアリシアだったが、彼女の手はメルシーに届かなかった。
「クソ親父ぶっ飛ばす!」
意気込んだメルシーは、スカイ王国の外に向かい物凄い速さで飛んでいってしまった。
長女を見送る子竜たちを他所に、その場にペタンと崩れ落ちてしまったアリシアは、
「……理由はわかりませんが、せめてお洋服を着てほしかったですわ」
と、生まれたままの姿で飛び出したメルシーを案じるのだった。
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