31「聖女様は怪しんでいるようです」




「クソクソクソクソクソクソクソクソっ!」


 聖女霧島薫子の回復魔法によって全快した勇人は、荒れに荒れていた。

 砕かれた顎やへし折られた足、蹴られた腹部は綺麗に治されているはずだが、一度味わった痛みを忘れることができないのか、顎や足を摩っては呪詛のように苛立ちを隠さずサムへの呪いの言葉を吐き続けている。

 来賓のために用意された王宮の部屋を控え室にさせてもらっているにもかかわらず、椅子を蹴り壊し、水差しを壁に投げ、カーテンを引きさくなど癇癪を続ける勇人に、恋人たちもどう声をかけていいのかわからずオロオロしていた。

 勇人を自業自得だと冷たい目で見ている薫子と、王女ディーラだけが、荒ぶる勇人から離れて、彼が落ち着くのを待っていた。


「聖女様、勇者様の治療をしてくださって感謝しています」

「……あなた、こうしていると正気なのよね」

「はい?」

「あ、ううん、なんでもない」


 勇人に関わると盲目的を通り越して、おかしくなるディーラだが、こうして接すると気遣いのできる礼儀正しい少女だ。

 とてもじゃないが増長しきって天狗になった勇人に付き従う王女のときとはまるで別人である。


(――洗脳でも受けているのか、ってくらい変になるのよね。もっとも、仮に洗脳されていたとしても、私には解き方がわからないんだし、どうしようもないんだけど)


 前々から疑っていた。

 こちらの世界に召喚されたときの勇人は、少し暗い雰囲気があるが、異世界を満喫しているだけの少年だった。

 ある意味無害だった。

 だが、ディーラと結ばれてから、次々と他の女性に手を出していく。

 手を出すのはいいのだが、デートに誘って親しくすることや、前もって関わりがあったわけではなく、勇人と少し接しただけで婚約者がいようと、夫がいようと、なんの躊躇いもなく体を差し出し従順とある。

 しかも、第一王妃までも、だ。

 さすがにこれにはおかしいと、恋愛経験のない薫子でもわかった。

 無論、勇人を怪しんでいる人間は薫子だけではなく、ヴァイク国王や、王の側近、恋人や婚約者、そして妻を寝取られた男性たちが、女性たちの変わりように不気味に思い、何かあると疑っていた。

 だが、その「なにか」がまるでわからないのだ。

 それだけに、恐ろしい。

 なにかの拍子に、自分も勇人に心酔してしまうのではないかと、怖くなる。


(拘らないのが一番だと思っていたから、距離を取っていたけど、放置していい問題じゃない気がするのよね)


 純粋に、勇人に魅力があり、そんな彼に女性たちがのめり込んでいるならそれでいい。

 もう自己責任の問題だ。

 当事者同士で話し合ってくれ、と言うだけで終わる。

 しかし、もしも、勇人がなんらかの方法で女性たちをいいように扱っていたとしたら、それは大問題だ。


(でも、なにかしているように見えないのよね。それが怖いって言ったら怖いんだけど)


「おいっ、薫子!」

「ちょっと、馴れ馴れしく呼ばないでよ」

「僕たちはこれからすることがあるんだ。お前は邪魔だ、出ていけ!」

「はぁ? あることってなによ。――あー、そういうこと。お盛んですことって言ってやりたいけど、あんたね、仮にも他国の王宮でふざけたことしないでくれないかな」

「うるさい! こっちはムシャクシャしてるんだ! それともお前が相手をしてくれるとでも言うのか!?」

「嫌に決まっているでしょ、あんたみたいなクズ」


 ふんっ、と鼻を鳴らした薫子に、勇人の顔が火がついたように真っ赤になる。


「――なんだと! 僕のどこがクズだ!」

「恋人がいるのにステラ王女様に手を出そうとして、断られたからって暴力を振るおうとしたじゃない。誰がどう見ても、クズの中のクズでしょ!」

「うるさいうるさいうるさい! 僕は、主人公なんだぞ!」

「――は? なにそれ、ウケるんですけど」


(馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、こいつ、自分が物語の主人公にでもなったつもりだったのね。……異世界召喚されて、強い力があって、勇者って呼ばれて、勘違いしちゃったのかしら――可哀想に)


 ここは現実だ。

 この世界で生きている人がいて、様々な出来事がある。

 決して、勇人だけの世界ではなく、彼が主人公であるはずがない。

 この世界で生きるひとりひとりが主人公なのだ。


「――っ、もういい! 早く出て行け! ディーラ、こいつを追い出せ!」


 勇人が怒鳴ると、彼の両眼が怪しく光った。


「……ちょっと、今、あいつの目が?」

「聖女様、申し訳ございませんが、部屋から出て行ってください。勇者様のお望みです」


(嘘でしょ。あいつの目が光った瞬間に、ディーラ王女様の様子がおかしくなったんだけど)


 薫子が知る限り、ディーラ王女は常識のある人だ。

 このような場で、乱れた行いをしようなどとは思わないはずなのだが、発情したように頬を染め、息を乱している。

 それでいて、どこか人形のように淡々としていて気味が悪い。

 ディーラだけではない、第一王妃をはじめ勇人の恋人たちは衣服を脱ぎ、彼を誘うようにそれぞれ卑猥な言葉を口にしている。


「言われなくても、出ていくわよ。でもね、王女様。今ここでなにか言っても無駄かもしれないけど、正気を取り戻して」

「早く出て行きなさい」

「ちょっと、押さないでよ! 出ていくってば! 私だってこんなところにいたくないわよ!」


(こっちの話を聞こうともしないんだけど! あいつの目が光った途端、王女様だけじゃなくて、いつもあの馬鹿を取り合って喧嘩ばかりしている女たちが、静かになったのも変だわ。絶対、洗脳かなにかしてるでしょ、あれ!)


 確証はないが、もし洗脳できるのであれば、勇人の性格上やってもおかしくない。


(って言っても、証拠がないから誰かに言うこともできないし。いや、でも、怪しんでいる国王様とかなら話を聞いてくれるかも? でも、もしバレて私が洗脳されたら困るし――ああっ、もう! 異世界に召喚されたのは百歩許せるとしても、あの馬鹿と一緒だったことだけは許せないわ!)


 内心、文句を叫びながら、薫子は控室を追い出されてしまった。



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