26「ギュンターの婚約者です」②




「ギュンター……お前な、婚約者を強敵なんて言うなよ。真面目に相手をした俺が馬鹿みたいじゃないか!」


 サムは、強敵の出現だと気合を入れた自分が恥ずかしくなった。

 まさかギュンターに婚約者がいることも驚いたが、その相手がまだ幼い少女であることもびっくりだ。

 だが、一番サムを驚かせたのが、そんな少女からいい歳をしたギュンターが逃げ出したことだ。

 ちょっと情けないと思った。


「違う! この小娘は婚約者じゃない! 僕たちはあくまでも今日、顔合わせをするだけであって、婚約する関係ではないんだ!」

「イグナーツ公爵様が、もしギュンター様がお見合いから逃げ出すようなことをすれば、有無を言わさずわたくしと婚約させるとおっしゃっていましたわ」

「おのれ父上め!」

「さすが、おじさまね。なにもかもお見通しのようね。そもそも、お見合いをすっぽかすなんて駄目じゃないの」


 呆れていたのはサムだけではなくリーゼも同じだった。

 仮にも公爵家の跡取りが、お見合いをすっぽかすなど問題となるだろう。

 事が大きくなっていないのは、ギュンターだからであるだろうし、イグナーツ公爵が息子の行動を事前に読んでいたこともあるはずだ。


「しかしリーゼ!」

「しかし、じゃないわよ。わざわざ追いかけてくれたのだから、ちゃんとご対応なさい」


 ギュンターのほうが年上なのだが、リーゼの対応はまるで弟に対するものだった。

 長年付き合いがあるので、ウォーカー姉妹とギュンターの関係はこんな感じだ。


「ええい、リーゼでは駄目だ! さあ、サム! 僕と君の愛を邪魔する悪鬼を早く退治してくれたまえ!」

「……お前なぁ」


 なぜか人任せのギュンターにサムが嘆息する。

 どうして、こうもクリーを警戒するのかわからなかった。


「国一番の結界術師が、こんな小さな女の子から逃げ出すなよ。いい子そうじゃないか」

「サムはこの小娘の恐ろしさをしらないから、そんなことが言えるんだよ!」

「……はぁ」


 小さくてかわいらしい少女を捕まえて、どこが恐ろしいのかぜひご教授願いたい。


「ため息をつかないでくれないかな! 本当にこの小娘は厄介な力を持っているんだよ!」

「厄介な力ってなんだよ?」


 サムがリーゼを伺うように見るが、彼女も心当たりがないらしく首を振った。

 代わりに声を上げたのは、クリーだった。


「おそらく、わたくしのスキルのことをおっしゃっているのだと思いますわ」

「君のスキル?」

「クリーがどんなスキルを持っているのか聞いてもいい?」

「はい。隠すことではありません。わたくしのスキルは『透過』です。なんでもすり抜けることができますわ」


 クリーの言葉に、サムとリーゼがハッとした。

 彼女が言葉通り、なんでもすり抜けることができるというのなら――この国で一番の結界術師の結界はどうなるのだろうか。

 サムが震える声で尋ねた。


「まさか、君はギュンターの結界も通り抜けることができるのかな?」

「ええ。先ほど、お屋敷でお顔合わせしたときに確認させていただきましたが、無事通り抜ける事ができました」


 驚愕の事実だった。

 強大な魔力と強力な攻撃力を誇るサムでさえ、ギュンターの結界を破壊するには苦労した。

 だが、クリーは攻撃して結界を破壊する必要がないのだ。

 彼女が通り抜けたいと思えば、通り抜けることができるのだという。


「驚いたな……そんなスキルがあるなんて。よかったな、ギュンター。この子が婚約者で」

「なにがいいものか!」

「……もしかして、自分の結界が通用しないからって逃げてきたんじゃないよな?」

「…………」

「おい!」

「ギュンター、あなたね。こんなにかわいい子が、あなたの結界を通り抜けたからって危害を加えるわけがないでしょうに」


 サムが再び呆れる。

 リーゼが例えクリーが希有なスキルを持っていたとしても、ギュンターに危害を与えるわけではないと窘めた。

 だがギュンターは納得していないようだ。


「誤解しないでほしい、サム、リーゼ! 僕だって魔法使いの端くれだ。それなりに腕に覚えだってある。小娘が結界を通り抜けたくらいで恐れたり……しない!」

「じゃあ、どうして逃げてきたんだよ」

「この小娘の言動が恐ろしいんだ!」

「んん?」


 サムは、ギュンターの言葉を理解しかねた。

 クリー・ドイクの言動に恐ろしいところなどなにひとつない。

 むしろ、年齢の割には大人びているようだし、ギュンターに好意を抱いているようにも見える。

 なぜギュンターがこうも逃げ回るのかわからなかった。


「ギュンター様、あまりサム様とリーゼ様を困らせてはいけませんわ。さ、帰りましょう」

「嫌だ」

「あまり困らせないでくださいませ。帰って楽しいお見合いを続けましょう」

「嫌だ!」

「わたくしがギュンター様を連れ戻さないとイグナーツ公爵が兵を連れてきてしまいますよ」

「そっちのほうがマシだ!」


 いつものギュンターらしくない、まるで子供のように「嫌だ、嫌だ」と続ける。

 挙げ句の果てには、近づくなとばかりに結界を張ってしまった。

 これではサムやリーゼは近づけない。

 しかし、クリーはギュンターの結界を前に小さく微笑む。


「ふふふ、意味がないとわかっておられるのに、かわいい方ですわ」

「ひぃ」


 笑みを浮かべたクリーは、ちょんとドレスの端を指先でつまむと歩き出す。

 そして、するり、とギュンターの張った強固な結界をすり抜けてしまった。


「――へぇ」

「あら、本当なのね。この目で見ても驚きだわ」


 強力な攻撃魔法を容易く防いでしまうギュンターの結界を、まるでないものとして通過してしまうクリーにサムが感心する。


「ひぃぃぃっ、た、助けてくれ」

「駄目ですわ。ギュンター様はこれからお屋敷に戻って、わたくしと明るいご家庭を築く計画を立てなければならないのですから、ご観念くださいませ」

「い、嫌だ、サム、リーゼ、助けてくれ!」


 今にも泣きそうな顔で助けを求めてくるギュンターだが、サムとリーゼは苦笑するだけで手を差し伸べるつもりはない。

 よく考えれば、イグナーツ公爵もよく考えたものだと感心する。

 結界術師のギュンターと弱点のなりうるクリーを妻として迎えようとしているのだ。

 これでふたりが結ばれれば、ギュンターを脅かす脅威がなくなるのだ。


「さあ、いきますわよ、ギュンター様。――っ」


 ギュンターの腕を掴んだクリーの体がよろめいた。


「お、おい!」

「大丈夫?」


 サムとリーゼが思わず声をかけるも、クリーは問題ないとばかりに笑顔を浮かべる。


「ご心配なさらずとも平気ですわ。少々スキルを使ってせいですわ。まだスキルを使いこなしているわけではありませんので。申し訳ございませんが、この場で薬をいただいても構いませんか?」

「え、ああ、はい、もちろん」

「ありがとうございます。それでは失礼しますわ」


 そう言ったクリーが手にしていたポシェットから取り出したのは、無駄に透けているおそらく男性用に下着だった。

 布の面積があまりにも少ないため、本当に下着かどうか不安になるが、きっと間違ってはいないはずだ。

 クリーはそんな卑猥な下着を手に取ると、


「あ、なんかどこかで見たことあるかもしれない」

「――では」


 うっとりとした表情で顔に押し付けた。


「――くんかんくんかくんかくんかっ、すぅううううううううはぁああああああああ、ああっ、甘露、甘露ですわぁあああああああ、ギュンター様の濃厚な香りで、わたくしっ、わたくしぃぃいいいいいいい!」


 とても既視感ある光景だった。

 サムもリーゼも言葉を失う。

 ギュンターに至っては、顔色を真っ青にしていた。


「み、見てくれ、サム! リーゼ! この小娘は人の下着の匂いを嗅ぐような変態なんだ!」

「あ、うん、そうだね」

「すぅうううううううううっ、はぁああああああああああああっ、すぅうううううううう!」

「やめろおおおおおおおおっ、この変態めぇええええええ!」


 目の前で自分の下着の匂いを嗅がれて絶叫するギュンターに、サムは我慢できずに言った。


「えっと、なんていうかね――とりあえず、お前が言うなっ!」



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