22「縁談を白紙にされたそうです」




 両親に呼び出されたジム・ロバートは、想い人との結婚の件に進展があったときき、意気揚々に父の書斎に向かった。

 しかし、出迎えてくれた両親の表情はあまり明るくない。

 自分がアリシアと結ばれるという祝い事に相応しくないことに、少々不思議に思い首を傾げる。


「来ましたね、ジム。すでに存じていると思いますが、ウォーカー伯爵家のアリシア様との縁談に関して話が進みましたので、あなたに伝えようと思います」

「はい!」


 待ちに待った瞬間が訪れることに、ジムは胸の高鳴りを抑えることができなかった。

 両親が自分に悲しげな顔を向けているような気もするが、どうでもよくなるほど、彼は昂ってしまう。


「――残念ながら、今回の縁談は白紙になりました」

「――は? え? 今、なんとおっしゃいましたか?」

「アリシア様との縁談は白紙になった、と言ったのです」

「うむ」


 両親の言葉を、ジムはそのまま受け入れることができなかった。

 いや、それ以前の問題だ。

 ふたりがなにを言ったのか、脳が理解したくないのだ。


「ど、どういうことでしょう?」

「アリシア様は、宮廷魔法使いサミュエル・シャイト様と婚約なさいました」

「――え?」


 再び両親の言葉が理解できなかった。

 なにを言われているのかわからない。


 アリシア・ウォーカー。

 ジムの幼なじみで、想い人。

 幼い頃から好きだった、控えめな性格をした、まさに理想の令嬢だ。


 魔法学校のガサツで気の強い女たちとはまるで違う。

 ジムにとって理想の女性であり、結婚相手だった。

 そんなアリシアが、自分とではなく、他の男と婚約したなど、とてもじゃないが受け入れることができなかった。


「あ、ありえない、なにがどうしたら、そんなことに……アリシアは僕のことを好きだったはずではないのですか!?」

「あなたはそう思っていたのですよね? 私たちにもよくそう話してくれていました」

「うむ」

「は、はい。そうです、その通りです!」

「ですから、良いご縁だと思いお話を進めていたのです」

「なら、どうして!?」


 理解ができない。

 思考が追いつかない。

 まさか、アリシアが自分意外の男と結ばれるなど、一度として想像したこともない。

 彼女は自分と結ばれ、暖かい家庭を作る――そう信じていたのに。


「私たちは今まであなたの言葉を信じて聞いたことがありませんでしたが、どうしてあなたはアリシア様が好いてくれていると思っていたのですか?」

「だって! だって、アリシアはいつだって僕の話を聞いてくれたんだ! 毎月会う度に、僕の話を聞いて、笑顔で!」

「……少し尋ねますが、お見合いではいつもあなたが話をするのですか?」

「え、ええ、それはそうでしょう。アリシアは控えめな性格ですから、たとえ俺を前でも無闇に主張するようなことはしませんよ。魔法学校のガサツな女たちとは違うんです!」

「――はぁぁ」


 母が、深くため息をついた。

 父も、苦々しい顔をしている。

 ――なぜだ。


「アリシア様の好きなものはなんでしょう?」

「――え?」

「仮にも幼なじみです、アリシア様の好きなものくらいご存知でしょう? 母に教えてください」

「それは……あれ?」


 母の質問に答えられなかった。

 アリシアはいつも控えめに笑ってくれて自分の話を聞いてくれる存在だ。

 学校であった楽しかったこと、嫌だったこと、そのすべてを分かち合いたいとジムは一生懸命伝えてきた。


 ――しかし、思い返せば、アリシアから彼女のなにかを聞いたことがなかった。


「ぼ、僕は」

「あなたに伝えるのは酷だと思っていましたが、今後のためにも知っておくべきでしょう」

「な、なにをですか?」

「アリシア様は、あなたのことが苦手だったようです」

「……そ、そんなことは」

「あなたは自身のことばかりで、アリシア様の話を聞こうともしませんでした。アリシア様は、そのことが寂しく――苦痛だったそうです」

「あ、ああ、そんな」


 できることなら耳を塞ぎたかった。

 だが、そんな力もなく、その場に座り込んでしまう。


「誤解しないように、アリシア様はあなたを嫌ってはいません。ですが、苦手な方と今後親しくなっていくことはできないそうです」

「…………」

「私も反省しています。グレイス様と親しいからと、あなたとアリシア様を結婚させましょうと世間話にしていればよかったのですが……ウォーカー伯爵家でも話が前向きに進んでしまい、もしかしたらと期待してしまいました」


 貴族としての期待もあったのかもしれないが、少なくとも母は友人の娘と自分の子供を結婚させる――そんな若かりし日の約束が叶うことが嬉しかった。

 それゆえに、息子の言葉を鵜呑みし、アリシアも喜んでいると勘違いしていた。


「おそらく、あなたも初恋相手を前に気を使うことができなかったのでしょう。それを悪いとは言いませんが、控えめな性格のアリシア様だからこそ、相性が悪かったのでしょうね」

「お母様、僕はどうすればいいのですか? どうすればアリシアと」


 まだアリシアと結ばれたい息子ためにも、母ははっきりと告げた。


「アリシア様とはご縁がありませんでした」

「……そんな」

「ジムは納得できないかもしれませんが、望んでいない女性を無理やり娶ってもいいことなどありません。家庭の不和のきっかけとなる場合もあるのです。あなたはまだ若いのです、これから良縁にも恵まれるでしょう」

「うむ」


 なぜか両親はアリシアの味方のようだが、ジムはとてもじゃないが納得ができなかった。

 断るにしても、せめてアリシアの口からはっきりと言うべきだ。

 少なくとも、ジムはアリシアに伝えたいことは今までちゃんと伝えてきた。

 ならば、彼女も自分と同じようにすることが誠意だ。

 アリシアが自分ではなく、別の男を選ぶと言うまで、ジムは彼女を諦めることはできなかった。


「――だ」

「ジム?」

「――嫌だ! 僕はアリシアを諦めない!」

「待ちなさい! ジム! ちゃんと話を!」


 両親の言葉を無視し、ジムは父の書斎を飛び出した。

 荒ぶる感情を抑えることができず、ただ闇雲に走り出したのだった。

 屋敷を飛び出し、しばらく当てもなく城下町を歩き続けたジムは、時間が経ち冷静さを取り戻していた。


「――アリシアは僕のことを好きでもなんでもなかったのか、僕は何年も君を思っていたのに……自分だけのことを話す僕のことが苦手なら、そういえばよかったじゃないか! 言ってくれなきゃわからないじゃないか!」


 ぽつり、ぽつり、空がジムの感情のように涙のような雨を降らせてきた。

 雨は次第に強くなり、あっという間に少年をずぶ濡れにする。

 衣服が肌に吸い付くのは不快だが、濡れたおかげで頭が冷えた。

 ジムは足を、自らの屋敷に向ける。


「一度、一度だけでもいい、アリシアと会おう。ちゃんと、彼女から話を聞くんだ」


 ジムはそう呟きながら、城下町を力なく歩き続けるのだった。



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