23「マニオンと商人です」①




 マニオン・ラインバッハは、母ヨランダと共にラインバッハ男爵家から抜け出し、男爵領を越えて王都を目指していた。

 幸いというべきか、父親の知り合いの商家を見つけ、半ば脅すように商隊に王都まで連れて行ってもらえることとなった。

 しかし、領地から一歩も出たことのない親子にとって、過酷な旅であった。


 食事は乾燥させた肉や果実ばかりで、お世辞にもおいしいとは言えない。

 たまに出てくるスープは塩辛く、パンも硬くてお世辞にも食べれたものではない。

 すでに母は弱ってしまって、馬車の荷台で横になっている。

 弱った母だが、あくまでも旅に疲れただけでしかなく、口はよく開く。

 父への恨みと、ハリエットとハリーへの憎しみ、そして天才だった息子への嘆きばかりを口にしては、「こんなはずじゃなかった、こんなことになるなんて」と自らを悲劇のヒロインだと思い込んでいる。

 そんな母にさすがのマニオンも辟易してしまい、せめて休憩時間だけは、と離れて木陰にいた。


「どうして僕がこんな目に……くそっ、これもサミュエルとハリーのせいだ!」


 木の幹に横幅の広い背中を預け、マニオンは爪を噛む。

 まずい食事とはいえ、もともとよく食べるマニオンには量も足りず、今も空腹で苛立ちが募る。


「こんなことなら屋敷を出るんじゃなかった……母上もいい加減に鬱陶しいし」


 マニオンは父親が、自分たちを屋敷から追い出そうとしていたことをすっかり忘れ、故郷でも生活を懐かしむ。

 最近では軟禁生活を強いられていたものの、ヒステリックに喚く母親さえ無視していれば、美味い食事と、ベッドの上での生活は快適だった。

 できることなら、元の生活に戻りたい――そんなことを考えてから、首を横に振るう。


「今さえ我慢すれば、サミュエルの奴から全てを奪えるんだったな。くふ、くふふ、そうすれば僕は伯爵だ! 王女たちが僕の女になるなんて、想像しただけで笑いがこみ上げてくる!」


 マニオンの口からら、品のない笑い声がこぼれ落ちていく。

 甘やかされて育ち、ほしいものをほしいままに手に入れてきた少年は、母がくれると言ったものをすべて手にできると疑っていない。

 しかも、あのサミュエルから奪うのだと聞いただけで高揚感がこみ上げてくる。


 昔からサミュエルは気に入らなかった。

 ひとつ年上の、気が弱い、おどおどした子供だった。

 母親はすぐに死に、剣をまともに使えない兄は父からも蔑みの対象だった。

 そんな兄を、無様でマニオンは時間があるときは、構ってやったものだ。


 その兄から、爵位と婚約者を奪えるなど、実に心地いい。

 きっと今までの恩返しなのだろう、とも思う。

 そもそもサミュエルの分際で、王女や伯爵家令嬢と婚約するなど分不相応で生意気なのだ。

 不出来な兄よりも、剣の天才である自分のほうが相応しい。


「くふっ、くふふふっ、最近、腹が立つことが続いたが、僕にも運が向いてきたみたいだ。いいや、僕のような人間を世間が放っておくはずがないんだ! 僕を馬鹿にした奴らはあとで後悔すればいい! 権力を手に入れたら、あの子爵も、ハリーもみんな苦しめてから潰してやる!」


 先日、長年婚約者だったリーディル子爵家の令嬢ルーチェとの婚約破棄が決まった。

 もともと会うたびに、不快そうな顔を隠そうともしない嫌な女だったが、見てくれがいいので我慢していた。

 だが、そんなマニオンに一方的に婚約解消を伝えてきたリーディル子爵家に腹が立たないわけがない。

 今までどれだけ、気を遣ってやったのか。

 男女の関係になりたかったが、健全な関係を望む子爵家を汲んで我慢さえしてやっていたのに、この始末だ。

 さらに腹立たしいのが、父が、自分の後釜にハリーを推したことだ。

 結局、リーディル子爵に断られたようだが、そのことを知ったときにはざまあみろと大笑いしたものだ。


「くふっ、手も握らせないような気取った女なんてどうでもいい。王女と結婚できるなら、子爵家の女なんて捨ててやるさ!」


 マニオンの中では、顔も知らず、言葉さえ交わしたことのない王女と結ばれることが決定事項だった。

 王女と結ばれれば必然と王家の関係者になれる。

 そうなれば、田舎の男爵家の父親も、その子供ハリーも、子爵程度も、マニオンの命令次第で潰すことができる――などと本気で信じていた。


「――楽しい妄想中失礼致します。残念ですが、あなたではサミュエル・シャイトから全てを奪うことはできないでしょう」

「だ、誰だ!?」


 妄想を繰り広げ悦に浸っていたマニオンにかけられる声があった。

 マニオンは驚き、あたりを見回す。が、誰もいない。


「どこだ! どこにいる!」


 姿の見えない声の主を探し、半ばパニックになりかけているマニオンが涙を浮かべると、彼の前に木の影からぬるりと人影が現れた。


「な、なんだ、お前は!」


 現れたのは、二十代半ばほどの男だった。

 赤いターバンを巻き、貧相な白い衣服に身を包む異国風の青年だ。

 不意打ちに声をかけられ、今にも逃げ出しそうにするマニオンに、青年はどこか安心するような柔和な笑みを浮かべて見せた。


「私めは、しがない商人でございます。マニオン様のお声が聞こえてしまいまして、老婆心ながらご助言してさしあげようと思った次第です。ええ」



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