エピローグ2「とある子爵家の婦人」




 スカイ王国王都のとある子爵家の一室で、四十半ばほどの女性が新聞をじっと見つめていた。

 艶やかな黒髪を伸ばした女性は、椅子に座りながら一心不乱に記事を読んでいる。

 傍に置かれた紅茶はとっくにさめてしまっているが、一口も口をつけないまま新聞に熱中していた。


 婦人が読み進める記事には、今王都で話題のサミュエル・シャイトに関して書かれていた。

 最年少の宮廷魔法使いであり、スカイ王国最強の魔法使いの称号を持つ少年。

 スカイ王国第一王女ステラ・アイル・スカイと、リーゼロッテ・ウォーカー伯爵令嬢と婚約し、あの問題児ギュンター・イグナーツまで妻にしてしまった両刀使いだという。


 若くして歪んだ性癖をしていると書かれている内容を知れば、夫人が読んでいるのがよくあるゴシップ記事だというのがわかる。

 だが、彼女はサムに関する記事を面白いと笑うことも、嘘ばかりでふざけていると怒ることもしない。

 ただ淡々と記事を繰り返し読んでいるだけだ。


 婦人の机の上には、新聞の切り抜きが何枚も置かれていた。

 彼女はサミュエル・シャイトにまつわる記事はなんでも集めていたのだ。


「――サム」


 婦人が少年宮廷魔法使いの名を呼んだ。

 彼女は今にも泣き出しそうな顔をしている。


「一度、たった一度で構わないから、この目で成長した姿を見たい……でも、私にそんな資格はないの」


 ついに婦人の瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、新聞を濡らす。


「やだ、私ったら、泣くなんて」


 ハンカチで目元を拭うと、冷めた紅茶に口をつけて落ち着こうとする。

 落ち着きを取り戻した夫人は、ペーパーナイフを用意すると、サムの記事を新聞から切り抜いた。

 無事に記事を切り抜き、テーブルの上に置いたとき、部屋の扉をノックする音が響いた。


「どうぞ」

「やあ、気分はどうかな?」


 現れたのは、婦人と同い年ほどの男性だった。

 亜麻色の髪を後ろに流し、身なりを整えた品のある人だ。

 彼は婦人を案ずるような顔を浮かべて、問うた。


「ええ、大丈夫です。心配してくださってありがとう」

「クラリスも心配していたよ。おや、また新聞を見ていたのかい?」

「ごめんなさい」

「謝る必要なんてないよ。ただ、風邪を引いているんだから寝ていてほしいんだ。せめて、ベッドの中でね」


 ふたりの関係は夫婦だ。そして、まだ幼い愛娘がいる。

 幸せな日々を送っている。

 送っているのだが、どうしてもサムのことが頭から離れない。


「君さえよければ、ウォーカー伯爵にお願いしてもいいんだよ?」


 夫の提案に夫人は困った顔をした。

 このやりとりは今日に始まったことではない。

 彼女はサムに一度でいいから会いたいと願いながら、会う手段を持っているのに、会えないでいる。

 会いたいと思う感情と、会えないという感情が、婦人の中でせめぎ合っているのだ。


「私のことも、クラリスのことも気にしなくていい。君にとって彼は、かけがえのない存在なんだろう」

「…………」


 口を噤んでしまった妻を、案じるように夫が名を呼んだ。


「メラニー」


 夫人は夫に申し訳なさそうな顔をしているだけ。


「いいかい、何度も言うが息子に会いたいと思うのは、母親として自然な感情だ。事情を話せば、彼だってきっと君のことを受け入れてくれる」

「……あなた」

「クラリスも、彼が兄だとわかれば喜ぶだろう」

「本当に、本当にいいのですか?」


 婦人の問いかけに夫は頷いた。


「もちろんだ。君の幸せが、私にとっても幸せなのだから」


 優しく、思いやるように夫は夫人に笑顔を向けた。


「君の覚悟が決まったら言って欲しい。いつでも伯爵に話をしよう」

「――ありがとう、あなた」


 女性――メラニーは、愛する夫に感謝の言葉を伝えた。

 そして、夫が部屋を後にすると、再び新聞の記事に目を落とす。


「私はあなたに会う資格があるのかしら、サム」


 そう呟いた彼女は、悲しみに満ち溢れていた。



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