エピローグ「愚者」




 ヨランダ・ラインバッハは、夫が新しい女を連れてきてから続く、最悪の日々に苛立ちを隠せずにいた。

 息子のマニオンが後継者から外され、自分は正室から側室になってしまった。


「せっかくメラニーからこの正室の地位を奪ってやったのに、あんな町娘なんかに奪われてしまうなんて!」


 新しくラインバッハ家の正室になったハリエットは、いかにも夫カリウスが好みそうな素朴な娘だった。

 思い返せば、亡きメラニーとどこか似てもいる。

 それだけでも苛立たしいというのに、ハリエットの息子ハリーはマニオンから後継者の地位を奪った子供だ。

 許せなかった。

 この怒りが正当なものだと信じて疑わなかった。


「マニオンもマニオンよ! あんなガキに返り討ちになるなんて!」


 息子の不甲斐なさもヨランダの苛立ちを大きくしている要因だった。

 かつて自分がメラニーにしたように、ほしいものは奪いとれと教えた。

 しかし、息子はハリーを亡き者にするどころか、二度も失敗するという体たらく。

 その挙句、二度と同じことができないようにと、カリウスによって腕を叩き折られた。

 ヨランダは息子を唆した罰として、自由を奪われた生活を強いられている。


「愚図の使用人たちめ……ハリエットに毒を盛るどころか、裏切って旦那様に告げ口するなんて。やっぱりメラニーのときのように時間をかけて追い込むべきだったわ」


 かつてメラニーを自殺まで追い込んだことを思い出す。

 不出来なサムを生んだにもかかわらず、変わらずカリウスから寵愛を受けていたメラニーが邪魔だったので嫌がらせをしてやった。

 メラニーに味方するダフネの存在が邪魔だったが、あのメイドの始終一緒にいるわけではない。

 その隙に、散々メラニーをいじめ抜いてやった。

 遺書を残し、消えたときには大笑いしたものだ。

 男爵家の正妻の座を手に入れ、邪魔な存在まで消すことができたのだから。


 ハリエットにも同じようにして屋敷から追い出そうと考えていたのだが、マニオンが後継者の地位を奪われてしまったため、焦ってしまったのが失敗の原因だった。

 でなければ、今頃、ハリエットで憂さ晴らしができていたはずなのに、とヨランダは忌々しそうに唇を噛む。


 どうにかして、今からでもハリエットを亡き者にしてやりたい。

 忌々しいことに、あの女の腹にはカリウスの子が宿っている。

 カリウスは、ヨランダにしたことがないほどハリエットを大事にしていた。

 まるで、ヨランダとマニオンなどいないとばかりに扱っているのが腹立たしい。


「私はラインバッハ家の正室なのよ。息子は次のラインバッハ男爵家の当主になるんだから……そのために、邪魔な奴らは消さなければ」


 秘密裏に父に手紙を出して手伝ってくれるよう頼んでいるが、返事が一向にこない。

 もしかしたら、夫のところで止められている可能性もある。

 父に会いたくても、軟禁中のヨランダは自由に外に出ることもできない。

 メイドたちも夫に命じられているのか、自分のいうことをまるで聞かないのだ。

 どうにかならないものか、と考えていると、ノックもなしに雑に部屋の扉が開けられ、ふたりのメイドが入ってきた。

 彼女たちの手には、トレイが乗っている。

 食事を運んできたのだと気づくと同時に、いつまでこんな生活が続くのか、と嘆息してしまう。


 食堂ではなく、部屋で食事をしなければならないという窮屈さ。腕の動かない息子に食事を与えるのも自分がやらなければならない。

 こんなに不便な目に遭わなければいけないのは、なぜだ、と叫びたくなる衝動に駆られる。

 いっそ、屋敷から飛び出し、父に直接助けを求めに行こうかとも考える。


「……いい迷惑よね。旦那様も、さっさとこんな親子放り出してくれればいいのに」


 若いメイドがわざとヨランダに聞こえるように呟いた。


「なんですって! 使用人の分際で!」

「あら、聞こえてしまいましたか。でも、もうあんたなんて怖くないわ。見てみなさいよ、部屋からでられず、自慢の息子も役立たず。サム坊っちゃまがあんたにされた仕打ちがどんなものだったのか、身をもってしればいいのよ!」

「――っ、この!」


 またこれだ。

 どうもこの家の使用人たちは、なにかあるごとにサム、サム、とうるさい。


「あんな無能なガキと私を一緒にしないで!」


 ヨランダが我慢できずに叫ぶと、なにを思ったのか、メイドたちが笑い始めた。


「なにがそんなにおもしろいと言うの!」

「あんたなにも知らないのね。サム坊っちゃまは、ステラ王女様とご婚約したのよ」

「――え?」

「ウォーカー伯爵家のご令嬢ともね。サム坊っちゃまは、宮廷魔法使いの地位につき、伯爵位まで陛下から賜ったのよ。そんな方のどこが無能だと言うのかしら。無能と言うのなら、あんたの息子じゃないの」


 メイドたちはそう吐き捨てると、乱暴に食器を置いて部屋から出て行ってしまう。


「ま、待ちなさい! どういうことよ!」


 ヨランダがメイドを追いかけようとするも、部屋が施錠されてしまい、外に出ることができない。

 扉を叩くが、誰も反応してくれない。


「そんな、馬鹿なことが……サミュエルが伯爵家令嬢と、王女と婚約ですってぇ?」


 信じられない。信じられるはずがない。


「マニオンが婚約解消され、当主の座まで奪われたというのに、どうしてあの剣も満足に使えない無能がいい思いをしているのよ! ――母親のように死ぬまで追い詰めてやるべきだったわ! 子供だと思って放っておいてやった恩を仇で返すのね!」


 誰かが聞いていたら正気を疑うようなことをヨランダは叫び、近くにあった椅子を持ち上げ、床に叩きつける。


「――はぁ、はぁ……そうよ、そうだわ!」


 息を切らしていたヨランダだが、いいことを思いついたとばかりに笑顔になった。


「サミュエルの代わりにマニオンを王女の婚約者にすればいいのよ! 王女だって無能のサミュエルよりも、剣の才能に優れたマニオンのほうを気にいるはずだわ!」


 ふふふっ、とヨランダは自らが思い描いた未来を想像し、身悶えする。


「そうと決まれば、マニオンを連れて王都に向かいましょう。お父様を頼れば、旅費と滞在費くらい用意してくれるはずだわ。いいえ、喜んで出してくれるはずよ。マニオンが王女と結婚すれば、ラインバッハ男爵家なんて簡単に潰せるわ。ハリエットも、ハリーも絶望を味合わせてから殺してやるわ! あははははは、あははははははははははっ!」


 そうだ。自分と息子はこんなところで終わる人間ではない。

 そもそも田舎の男爵家の妻程度で満足できるような小さな人間ではないのだ。

 息子だって、田舎臭い女より、華やかな王女のほうが気にいるだろう。

 ヨランダは叶わぬ夢を見ながら、上機嫌に高笑いを続けるのだった。



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