45「ユリアンと戦います」④




「はぁぁぁぁぁ……なんてことを。ユリアンめ、まさかサムを亡き者にしようと企むとは。なぜできると思ったのか、理解に苦しむ」


 ずぶ濡れで帰宅したサムは、リーゼに浴室に放り込まれたあと、ジョナサンの執務室にいた。

 この場には、リーゼも揃っている。

 今夜の出来事をすべて説明すると、ジョナサンもリーゼも表情を曇らせた。

 とくにリーゼは自分の元夫が、婚約者を殺そうとしたことに苦い顔をして、ソファーで俯いている。

 ジョナサンは、無謀なユリアンの行動に呆れたように嘆息していた。


「それで、だ。サムよ、無事に帰ってきてくれたことは嬉しく思う。だが、なんだ、本当にユリアンのあれを?」

「ええ、奴の股間を蹴り潰してやりましたよ!」


 いいことをしたとばかりに胸を張るサムに、ジョナサンが胃を押さえた。

 リーゼが顔を上げ、サムに問う。


「ほ、本当に潰してしまったの?」

「それはもう、ぐしゃりと。ただ潰した感触はあったんですが、手応えをあまり感じなかったんですよねぇ。なぜだろう?」


 サムの言葉にジョナサンが内股になった気がした。

 暗い顔をしていたリーゼだが、今度は顔をしかめて大きくため息をつく。


「えっと、殿方ってあれを潰されても平気なの?」

「平気なわけがあるまい。小さな衝撃を受けただけでも悶絶するのだぞ。それを――サム、なんて恐ろしいことを。夢に出てきそうだ」


 いまいちわかっていない娘に父が青い顔をする。 

 サムも、潰す側だったからいいが、間違っても潰される側にはなりたくないと心底思う。


「そ、そうなのね」

「男として同じ目に遭うことだけは避けたいものだ。それで、ユリアンを殺したのか?」

「いいえ、殺したら面倒になると思ったので、命までは奪いませんでした。まあ男としては死んでもらいましたけどね」

「き、気を遣ってくれたみたいだが、股間を潰すのもそれはそれで大きな問題になると思うんだが……まあ、いい。殺されかけたのだ、命があっただけよしとすべきだろうな」


 ジョナサンの言う通りだ。

 サムはユリアンを殺すことができたが、しなかった。

 生きて苦しめという意味があったものの、命を奪おうとした人間を生かしたのだから、感謝して欲しい。


(ま、死んだほうがマシだったくらい苦しむんだろうけど、自業自得ってことで)


「あの男は女性を所有物だと言っていました。リーゼ様を苦しめたことはもちろん許せませんが、被害者は他にもいるはずです。同じ男として許せなかった。せいぜい苦しめばいいんです」

「サム」

「勝手なことをしてしまい申し訳ありません」


 微塵も後悔はしていないが、結果的にリーゼとジョナサンたちに心配をかけてしまったことは反省している。

 ただ、ユリアンと会い落ち込んでいるリーゼに、無用な憂いを与えたくなかったのだ。


「サムが謝る必要なんてないわ。むしろ、私のためにわざわざあんな男に会いに行ってくれたんでしょう? マリーからすべて聞いたわ。あの男……私を自分の女だなんて思っていたなんて、反吐が出るわ」


 苦々しい顔をするリーゼの心中は察するにあまりある。

 散々苦しめてきた元夫が、まだ自分のことを所有物のように思っているなんて、決して面白いことではない。


「私の立場だと、サムに色々と言わなければならないことがあるのだが、父親として一言言わせてくれ――よくやった」


 ジョナサンはサムを責めるどころか、笑顔を浮かべた。

 彼も娘を不幸にされたのだ、ユリアンに思うことがあったはずだ。

 サムは彼に応えるよう頷いた。


「ミッシェル家は騒いでくるだろうが、そこは私がなんとかしよう。元はユリアンがサムを殺そうとしたのが原因だ」

「俺の命を狙っただけだったらよかったんですが、あいつはあろうことかリーゼ様、ステラ様、花蓮様を側室に迎えるとまで言いました」

「最悪の男ね。どうして私たちがあんな男の側室にならなければならないのよ」

「むしろ、サムを殺し、リーゼたちを略奪しようとしたことをこちらから抗議することを考えている。無論、事を大きくすることで、こちらの正当性を他の家にも知ってもらおう」


 サムを殺し、婚約者を奪おうとしたことが世間にバレれば、危うくなるのはミッシェル家だ。

 花蓮は宮廷魔法使い第一席紫・木蓮の孫娘。

 ステラに至っては、王族だ。

 そんなふたりに手を出そうとしたユリアンの味方をする人間はいないだろう。

 下手に味方をすれば、紫一族と、王族を敵に回すことになる。

 そして、最強の魔法使いであるサムだって黙っていない。


「思い出しただけで腹が立ちますよ。やっぱり殺しておけばよかったですね」

「そう言うな、サムよ。あんな人間を殺しても、君の価値が下がるだけだ。男として殺しただけでよしておくのだ」

「……わかっています」


 ジョナサンに返事をしたサムは、リーゼの傍に立ち視線を合わせる。


「これで少しはリーゼ様の憂が晴れればいいんですけど」

「別にあの男のことなんて……ただ、サムに申し訳なくて」

「俺に? どうしてですか?」

「私は、あの男と再会しても強く出ることができなかったわ。もし、そのことでサムに、あの男にまだ未練があるなんて思われたら」


 まさかリーゼがそんなことを考えているとは思わず驚いた。

 トラウマがある人間が目の前に現れれば、思うように振る舞えなくても仕方がない。

 それを責めるような狭量な人間ではない。


「そんなことを思ったりしませんよ。リーゼ様は俺の大切な人です。今までも、そしてこれからも。絶対に手放しません」

「――ありがとう、サム。私のことをずっと抱きしめていてね」


 リーゼを安心させるように抱きしめる。

 彼女の温もりは暖かく、心地いい。

 彼女の髪の香りが鼻腔に届くだけで、幸せな気持ちになれる。

 こんな素敵な女性が傍にいてくれることに感謝する。


「あー、なんだ。仲がいいのは結構だが、ほどほどにな」


 そのままキスをしそうなふたりに、ジョナサンが苦笑した。

 父親の目の前ではしたないことをしたことに気づいたサムとリーゼは、顔を赤くしてから、お互いに笑い合うのだった。



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