46「蔵人様が命令されたそうです」【修正版】




 王都、貴族たちが住まう住宅街に、女性の耳障りな声が響いていた。

 その女性とは、ミッシェル伯爵家の女当主であるミザリー・ミッシェルだ。

 五十代半ばの彼女は、お世辞にも品のいいとは言えない派手で飾ったドレスを身に纏いながら扇子を振り回す。

 そんなミザリーを前に、剣聖雨宮蔵人が膝を着き、首を垂れていた。


「蔵人」

「はい、奥様」


 ミッシェル家の執務室にて、怒りに震えたミザリーが蔵人を上から睨み付ける。


「わたくしのかわいいユリアンが、サミュエル・シャイトとかいう子供に酷い目に遭わされてしまったわ」

「――そのようですね」

「回復魔法使いを総動員させたというのに、その甲斐がなかったわ。息子は男性としての機能はもちろん、日常生活を送るのも難しいそうだわ」

「残念です」

「あろうことに、紫・木蓮はユリアンの治療を拒んだのよ! あの女から治療を取ったら、なにが残るというの!?」


 ヒステリックに叫ぶミザリーに気づかれぬよう、蔵人が嘆息した。

 宮廷魔法使い第一席紫・木蓮が、負傷したユリアン・ミッシェルの治療を拒んだことはすでに耳にしていた。


 その理由も、だいたいわかっている。

 木蓮が孫娘花蓮の婿に、と考えていたサムが命を狙われたのだ。しかも、あろうことに花蓮を側室にしてやると言ったらしい。

 無論、本人にはもちろん、紫一族にそのような話が通っていない。

 つまり、サムを殺せば、彼の周囲の女性をそのまま手に入れることができると考えたようだ。


 正直、正気を疑うよう話だった。

 結果、孫娘を可愛がっている木蓮はユリアンの治療を拒否した。

 もし彼女が治療していれば、日常生活はもちろん、男性としての機能も失わなかった可能性がある。それだけにミザリーの怒りは凄まじい。

 だが、蔵人からすれば、よくも図々しく木蓮に治療を頼めたものだと思う。


「蔵人。お前は、わたくしの一族に、先代当主だったお父様に恩義がある。そうよね?」

「はい」

「お前が日の国から大陸に渡り、食うに困っているだけの剣士だったとき、援助したのは他ならぬ父よ」

「先代当主様への恩義を忘れたことなど一度もありません」


 ミッシェル伯爵家先代当主のメンデスは素晴らしい人間だった。

 彼に救われたのは蔵人だけではない。

 戦争のせいで身寄りを亡くした子供を集めた孤児院を援助し、食うに困った人たちへの炊き出しを頻繁に行うような方だった。

 メンデスを尊敬した人間はとても多い。


 しかし、残念なことに、メンデスが亡くなり当主を引き継いだ娘ミザリーと孫のユリアンは、先代当主とは真逆の人間だった。

 メンデスを慕う人間たちにちやほやされたせいか、自分たちが特別なのだと勘違いし、驕ってしまった。

 そのせいで、今ではメンデスを慕っていた人々が離れてしまっている。

 現在も変わらず、ミッシェル伯爵家に恩義を感じ従っているのは蔵人くらいだった。

 それでも、ユリアンが歪みきらないように蔵人は尽くした。

 剣を教え、道徳を説き、ときには厳しく接することもあった。

 ユリアンは蔵人を慕い、真っ直ぐに育っている――そう思っていた。


「お前はうまくやったわね。陛下と友人となり、剣聖の称号を授かった。今では立派な貴族じゃないの。だが、それもすべてはわたくしの父がお前を助けたからでしょう。違うかしら?」

「違いません。すべて、先代当主様のおかげです」

「なら、その恩義を返すときではなくて?」


 ミザリーの言葉を受け、蔵人が顔を上げた。


「奥様のご要望通り、ユリアン様を剣聖の後継者として王宮にお伝えます」

「違うわ。そんなことを言っているわけではないの。ユリアンが剣聖になるのは、当たり前のことよ。お前が授かったものは、わたくしたちのものでもあるのだから、それを返してもらうのは当たり前のこと」

「では、なにを?」

「――サミュエル・シャイトを殺しなさい」

「……そ、それは」


 呼び出されたときから嫌な予感がしていた。

 蔵人もユリアンに思うことはある。幼い頃は素直な少年だったが、母親の歪んだ教育のせいで自分の知らないところで少しずつ変わっていった。

 愛弟子のひとりリーゼと結婚したときには気づけなかった。もうその頃はユリアンの本性は歪みきっていたのだが、蔵人にはうまく隠していた。だが、まさか結婚したリーゼにあのようなことをするとは思わなかった。

 一度でもリーゼを祝福したことを後悔もした。

 挙げ句の果ては、娘にまで手を出そうとしていた。

 メンデスの孫でなければ、とうに道場から遠ざけていた。


 それをしなかったのは、否、できなかったのは、先代当主メンデスへの恩義からと、一度は弟子として可愛がった過去があったからだ。

 メンデスは亡くなる間際、残された家族のことを頼む、と蔵人に言い残している。

 蔵人は恩人の願いを叶えるため、愚直にも尽くしてきた。

 メンデスがあの世で嘆かないように、ミザリーにも周囲への態度を改めるよう何度も苦言を呈したことがある。

 だが、受け入れてもらうことはなかった。

 蔵人ができることは、あまりにも少なかった。


 メンデスには恩義がある。ミザリーも彼女が若かりし頃から知っているし、ユリアンも幼い頃から可愛がった。

 だからと言って、サムを殺すことなどできない。

 彼は自分に斬られる理由がなにもないのだから。


「お前ならできるでしょう? この国最強の魔法使いなどともてはやされているようだけど、所詮は子供。魔法使い殺しとして、多くの魔法使いの命を奪ってきたお前なら、命を奪うことなど容易いはずよ」

「……彼は弟子の婚約者です」

「それも気にいらないのよ!」


 ミザリーは怒鳴り、扇子を投げつけた。

 蔵人の額に扇子が当たり、血が流れる。


「その弟子というのは、あのリーゼロッテでしょう! 子供もできなかった石女を嫁にしてやったにも関わらず、一方的に離婚されてユリアンがどれだけ悲しんだか! それだけも腹立たしいというのに、ウォーカーがわたくしの家を悪く言うせいで、付き合いがあった貴族たちがみんな離れてしまったのよ!」


 周囲が離れていったのは、ミザリーとユリアンの言動のせいだが、彼女はそのことを認めようとはしない。

 裏でウォーカー伯爵が手を回したと、都合のいいように信じ切っていた。


「わたくしがなにをしたと言うの!?」

「奥様はリーゼを軟禁し、苦しめました」

「馬鹿なことを言わないで! 不出来な嫁を外に出さないようにしただけよ! リーゼロッテの奴、ユリアンと離婚してなにをしているかと思えば、婚約したと言うじゃない!」


 唾を飛ばし、ミザリーが大声を出し続ける。


「しかも、その婚約者がわたくしのかわいい息子に害をなしたのよ!」

「しかし、奥様」

「お前は黙って言うことを聞いていればいいのよ!」


 ユリアンのほうからサムを殺そうとした、と言おうとした蔵人だったが、怒声に遮られてしまい口を噤んだ。

 どちらにせよ話を聞きはしないだろう。

 いや、それ以前に、サムを殺害しようと企てたのは、ミザリーの提案なのかもしれないと考えてしまう。

 ミザリーとの付き合いは長い、こうなった彼女を諫めることができるのは、先代当主だけだった。


「わかっているわね。ユリアンは無事に回復して、剣聖の後継者になるのよ。今の内に邪魔になる人間は排除しておかなければならないわ。息子の将来のためなら、わたくしはなんだってするわ!」


 実際、ミザリーは言葉通りに行動してきた。

 ユリアンが蔵人の後継者のひとりに選ばれたのだって、ミザリーの一言があったからだ。

 そうでなければ、今頃、後継者は娘水樹に決まっていたのだ。


 ユリアンは、本来、後継者になるだけの実力がない。

 単純な力量で言えば、かつて妻だったリーゼの半分も技量がないのだ。

 剣士としては、せいぜい並。下手をすれば、それ以下だ。

 しかし、幼い頃から甘やかされて育ったユリアンは、欲した剣聖の称号を母の命令で手に入れることができると疑っていない。


 本来なら水樹が剣聖を継ぐはずだったが、考えてみれば無理に継がせる必要はない。

 娘にはもっと自由に生きて欲しかった。

 剣聖という称号に縛られた生き方はしてほしくない。

 だからミザリーの提案も受け入れた。


「ユリアンが剣聖になったあかつきには、お前の娘と結婚し、雨宮一族の当主にしなさい」

「――お待ちください!」


 ミザリーの命令に、蔵人は肯けなかった。


「水樹は関わらせない、そうお約束したではありませんか! 娘は自由に生きさせたいのです! どうか! どうかそれだけは!」

「なにを言っているの? 息子がお前の娘を気に入ったと言っているのだから、喜んで差し出すのが恩義でしょう! それとも体の弱い方の娘を差し出すとでもいうの?」

「奥様!」

「……まったく。異国の血が混ざった小娘を受け入れてくれるような心の広いユリアンが嫌だと言うなら、こちらから願い下げよ。いいわ、娘のことは好きになさい。でも、サミュエル・シャイトだけは殺しなさい。それだけは譲れないわ」


 蔵人は苦々しい顔をする。

 どうあっても、サムのことだけは譲る気はないようだ。


「サミュエル・シャイトを亡き者にし、息子を剣聖とするの。それで許してあげるわ。わたくしはお前の娘などいらない。これでいいでしょう?」

「…………」

「蔵人? 返事をなさい」

「しかし」

「じゃあ、こうしましょう。今までのお前の忠義に免じて、頼み事はこれで最後にしてあげる。わたくしもこれ以上、お前に温情を与える気はないわ。わかったのなら、返事をなさい」

「…………」

「……蔵人っ!」


「――私には、できません」


「なんで、すってぇ?」


 蔵人にはどうしてもサムを殺すことができなかった。

 ことみの師匠になってくれると言ってくれた、気持ちの良い少年を手にかけるなど無理だ。

 なによりも、リーゼから最愛の少年を奪うことができない。


「サミュエル君を殺すことなど、私にはできません。お許しください」

「――はぁ。蔵人は昔から、強情よね。お前は、一度これだと決めたら意見を変えないものね。わかったわ」

「奥様、ありがとうご――」

「ならことみを殺すわ」

「――奥、様? なにを」


 珍しく動揺する蔵人に、ミザリーは醜悪な笑みを浮かべた。


「お前が歯向かうことを想定していなかったとでも? そこまで愚かではないわ。お前が、今、この屋敷にいる間に、ことみをさらうように命令してあるわ」

「――奥様!」

「すでに、ことみはわたくしの手のうちにあるわ」

「どうやって、そんなことを、屋敷には水樹もいるはず」

「よく考えなさい。お前が爵位を賜り屋敷を構えた時、使用人を手配してあげたのは誰だったかしら?」

「――っ!」

「そう、わたくしよね。使用人の中にはミッシェル家に忠誠を誓う者だっているのよ」

「そこまで……そこまで、するのですか?」


 震える蔵人の絞り出した声に、ミザリーは当たり前だと嗤う。


「ユリアンのためならなんだってするわ。相手が宮廷魔法使いだろうと、剣聖を利用しようと、なんでもね。さあ、選びなさい。ことみの命と、サミュエル・シャイトの命、どちらをとるのかしら」

「――それは」

「言っておくけど、これ以上わたくしに不愉快な思いをさせるのなら、ことみを殺すだけじゃすまないわよ。女として生まれたことを後悔させてもあげるわ。そうそう、水樹にも同じことをしてあげるわよ。妹がとらわれているのだから、あの娘の自慢の剣も使えないでしょう?」

「奥様っ!」

「蔵人、お前は剣の腕は国で一番かもしれないわ。だけど、甘い。甘すぎる。お前のように、強いだけなら、どうとでもなるのよ。ほほ、ほほほほほほほほほほっ!」


 蔵人が唇を噛む。

 もう選択肢などないに等しい。

 拳を固く握りしめ、涙さえ流す。


「一応、言っておくけれど、陛下に泣きつこうとしても駄目よ。お助けくださるかもしれないけど、それまでの間にお前の娘たちを凌辱するくらいはできるのだからね。お前は、あくまでもお前の意志で、サミュエル・シャイトを殺す。娘が捕われていることを口にしてはいけないわ」

「…………」

「わたくしは優しいから、最後のチャンスをちゃんと与えてあげるわ。さあ、蔵人。サミュエル・シャイトを殺しなさい」


 蔵人は、従うしかなかった。

 いっそ、この場でミザリーを斬り殺してしまいたい衝動に駆られるが、本当に娘が捕われてしまったのか、確認する術がない以上、彼女の言いなりになるしかない。

 万が一、娘たちが女性としての尊厳を奪われることになるなど――考えただけで血の気が引く。


(サミュエル君、リーゼ、申し訳ありません。私は、ミザリー様に、逆らえない)


 娘たちのためにも、サムを殺す。

 たとえそれが、愛弟子リーゼを悲しませるとわかっていながら、彼には他の選択肢がなかった。


「――かしこまり、ました」


 蔵人は、唇を噛み切り嗚咽のような返事をした。



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