40「その頃、ラインバッハ男爵家では(ダフネ視点)」②




 デリックは、休憩室の中を伺い、ダフネひとりだと確認すると安堵したように部屋の中に入ってくる。


「なにかありましたか? またあのクソガキとクソ奥様が癇癪でも?」

「違います……いえ、遅かれ早かれ癇癪は起こすでしょうが、今はまだ大丈夫です」

「どういう意味ですか?」


 すでにマニオンとヨランダに対して嫌悪感を隠そうとしない。

 この五年で、ふたりは実に醜くなった。

 マニオンは剣の才能がある天才児と言われていたのが嘘のように肥え、鍛錬もしなくなった。

 ヨランダはそんな息子を甘やかし、傲慢な態度をさらに拗らせていた。

 古参のダフネやデリックも、そんなふたりに愛想がとっくに尽きていた。

 当主であるカリウスも、このふたりに関わるのは最低限の放置状態だった。


「ダフネは旦那様に愛人がいることはご存知ですよね?」

「もちろんです。旦那様は隠す気がないようですし」


 デリックの問いかけに頷く。

 カリウスには町に年若い愛人がいた。

 癇癪持ちのヨランダとは違い、穏やかで落ち着きのある、ダフネたちが今も慕う亡き先妻メラニーにどことなく雰囲気の似ている女性だ。


「たしか、子供もいましたよね。しかも、男の子でしたよね」

「ええ、もうすぐ八歳になる男の子です。実は、そのことでお話があるのです」

「……嫌な予感しかしないんですけど」


 ダフネの言葉に、デリックは苦笑いをした。

 つまり、嫌な予感が当たるということだ。


「旦那様が愛人の家に入り浸っていることはご存知ですよね?」

「もちろんです。おかげで、クソ奥様のご機嫌が悪くてたまりません」


 カリウスは、時間を見つけては愛人の家に足を運んでいた。

 どうやら癇癪持ちの妻と、才能はあっても怠惰な息子に愛想が尽きたようで、愛人と、その間にできた息子を可愛がることに熱を上げている。


「実は、その愛人の女性にふたり目のお子様ができたそうです」

「……まあ」

「旦那様はこれを期に、正式に側室として屋敷に迎えたいそうなのです」

「それは……クソ奥様とクソガキが怒り狂いそうですね」


 自分たちが一番でなければ我慢のならないヨランダとマニオンが、愛人とその子供を家族として認めるはずがない。

 前妻の子で長男であったサムにもあの態度だったのだ。

 愛人とその子供がふたりにどんな目に遭わされるか、考えただけでもぞっとする。


「それだけならまだいいのですが」

「……まだなにかあるのですか?」

「その愛人のご子息は、マニオン様ほどではありませんが剣の才能に恵まれているそうです。しかも、素直な努力家の少年のようなのです」

「あのクソガキとはだいぶ違うようですね」

「ええ。ですが、そのせいでひとつ問題が起きたのです」

「なにか?」

「旦那様はそのご子息を、次期当主とするそうです」

「――っ」


 ダフネは耳を疑った。

 まさか自分たちの主人が、裏でそんなことを考えていたとは。

 だが、驚きはしたが、あまり反対する気にはなれない。


「ですが、あのクソガキよりもマシなのではないですか?」

「私たち使用人がこんなことを言ってはいけないのでしょうが、そのご子息はマニオン様と比べよくできた子のようです」

「ならば問題はないのではないのでしょうか? この家は、長男を後継から外した前例がある家です。あのクソガキが次期当主から外されても、誰も文句は言いません。むしろ、その愛人の子がいい子なのであれば、喜ぶでしょう」


 もともと問題児だったマニオンは、この五年で手のつけられない悪童に育っている。

 癇癪を起こし、使用人や町の人に手をあげることは珍しくなくなった。

 最初こそ男爵家の跡取りのマニオンに媚び諂っていた取り巻きの少年たちもいたが、ついていけなくなり、今では離れてしまっている。


 当たり前だが友人もおらず、自分の言動が間違っていると教えてくれる人間もいない。

 使用人や町の人間の諫める声も届かず、母親のあまやかす言葉ばかり受け入れて育ったマニオンは、増長しつくしていた。


 最近では、いやらしい目を女性に向けることも多くなっており、気が気ではない。

 ダフネも何度か舐め回すような不快な視線を向けられたことがある。

 直接手を出されることがないのは、母親が厳しく監視しているからだ。


 婚約者がいるマニオンが、婚約者以外に手を出すことは体裁が悪い。

 貴族なら珍しくないかもしれないが、マニオンのような未成年がそんなことをしてしまえば信用を失うことがある。

 さらに、ヨランダは使用人や町娘に手を出し、子供ができたら一大事だとも案じているので、過剰に見張っているのだ。

 そういう意味では、ヨランダの存在は女性たちにとってありがたかった。


「ここだけの話にしてほしいのですが」

「……まだなにかあるのですか?」

「旦那様にご相談いただいたのですが、どうやら旦那様は愛人を側室ではなく、正室として迎え入れることができないか考えているようです」

「それは」


 デリック曰く、正室のヨランダは反対するだろうが、愛人を側室におくことは決定事項だった。

 しかし、カリウスは、できることならヒステリー持ちの妻を正室の座から引きずり下ろし、愛人を据え置きたいらしい。

 マニオンを跡継ぎから外す以上、正室も後継の母にしたいと考えているようだ。


 ダフネは、内心大笑いだ。

 散々、使用人をはじめ、幼いサムにひどい仕打ちをしてきた親子が痛い目を見るのだと思うと、その日が来るのが待ち遠しい。


「いいではありませんか。サム様を虐げた親子の落ち目を見られるのなら、愛人が正室になろうと構いません。いいえ、そもそも、私の中では亡きメラニー様だけが、奥様なのですから、誰が後釜になっても興味がありません」

「ダフネはメラニー様とご友人でしたね」

「ええ、私にはもったいないくらいの友人でした」


 単純にサムがかわいいという気持ちもあるが、友人の忘れ形見だからこそ亡き友人の分まで愛情を注いできた。

 そんなサムを虐げた親子が、今の地位から転落することを考えるだけで笑いがこみ上げてくる。


「――さっさと後継者から外されて、クソ奥様と一緒に屋敷から追い出されてほしいものです」


 いずれ訪れる未来を楽しみにしながら、ダフネは笑うのだった。




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