第3話 ついにその時は訪れる……?

 それから休みを挟んで、一週間。変わったことと言えば、今朝は学校の近くを行き来する工事車両がやけに多かったなというぐらい。陰キャぼっちによる『おはようキャンペーン』はしっかりと毎日継続されていた。——が、しかし。


「おはよう鬼塚おにづか

「……。(読書中)」


 この通り、シカトである。


 それに加えてクラスの連中の俺を見る目と言ったらもう、『うわ、あいつまたやってるよ』みたいなことになってやがるし。『あいつ赤鬼のこと好きなんじゃね?』じゃねーよ。誰が好きになるかこんなやつ。本物の鬼だろもう。人間に向ける温情を知らないし、そもそも挨拶できないし。

 ——いや待て。じゃあなんで俺はコンスタントに毎日こんなアホみたいなことを続けてるんだ? もしかして馬鹿なのか? いや馬鹿なんだけどさ。


 とりあえず日課はこなしたので、俺はいつも通り自分の席に突っ伏して、HRホームルームが始まるまでこの喧騒に身をゆだねる。秘儀その㊁、狸寝入り。

 実際のところ、なぜ赤鬼はこれほどまでに人間たちを寄せ付けようとしないのか、いやはや謎である。

 猫を抱いているときみたいに、黙ってニコニコしてれば普通に可愛いし可愛いから可愛いと思うんだけど。友達もできると思うんだけど。


 実際のところやはり未だに彼女と親しくなろうと接近を試みる生徒は男子にも女子にも一定数いるようで、昼休みに『一緒にご飯を食べよう』と声をかけられているところをこの間目撃した。いや目撃した、というよりは察知したというべきか。昼休みの俺は教室で大体、秘儀その㊁狸寝入りを発動していて、そこで聞き耳を立てていたらそんな感じだったという次第だ。


 しかし声をかけられた鬼塚は、『独りのほうが落ち着くから。申し訳ないけど、帰ってもらえると助かるわ』と即答。……ん? 思い出してみてわかったけど、なんか俺の時よりちょっと優しくない? うわ、なんだこれ。ボディブロー並にじわじわ効いてくるな……。


 けどまぁとにかく。ここで引き下がるのはなんというか釈然しゃくぜんとしない。

 黙ってあの笑顔を屋上から観察するだけの方がダメージも無いし、いっそそうするべきである気がするが、せめて挨拶ぐらいは返していただきたい。いや、『おはよう』の文化を布教したいと言った方が適切だろうか。



 そして放課後——、俺は今日も禁断の屋上へと軽快に足を運ぶ。

 扉を開けると、やはり快晴で風が気持ちいい。

 直近で雨が降ったのは確か二日前で、土日だった。土日と言えば俺の場合、朝から晩までベッドの上で怠惰を極めているだけなので、もちろん外出の予定などない。よって無問題となる。


 ちなみに、なぜ俺だけがこうして立ち入り禁止の屋上を自由に行き来できているかというと、そもそも他の生徒たちはここの鍵が開いていることを知らないのだ。

 まぁそれは無理もない話で、というのも俺が勝手に開けただけなのだ。だからこの扉が開くことは俺しか知らない。そういう単純な話だ。

 じゃあどうやって開けたのかというと、もちろんそれはちょっと特殊な手法を用いたに決まっている。立ち入り禁止とご丁寧に書いてあるのに、『屋上行きたいので鍵貸してください』とダイレクトに教師に頼み込んだりはしていない。


 そのトリックというのは、放課後の掃除当番にある。


 普通の生徒は大体一カ月に一度、自分の教室の掃除当番が回ってくる。

 これが俺の場合、多い時は一週間に三回ほど回ってくるのだ。


 どういうことかというと、単純に押し付けられているだけである。日々青春という名目のもとに多忙な毎日を送っている風な陽キャof陽キャさんたちは、掃除なんか面倒だからと陰キャぼっちである俺を捕まえては度々押し付けてくるのだ。

 当然俺は逆らえないので、『う、うん……わかったよ……』と蛇睨みを喰らった子ウサギのごとく、震えて丸くなってはキョドるほかない。


 掃除の最後には、一階職員室裏のゴミ捨て場に行って、まとめたゴミを捨てなければいけない。して、このゴミ捨て場こそが最大のミソなのである。


 ゴミ捨て場のさらに裏は完全に職員室からは死角となっていて、古くさびれた階段があり、ここは雑務のおっちゃん職員たちがよく行き来しているために立ち入り禁止にはなっていない。


 そしてこの階段、なんとここ、禁断の屋上へと繋がっているのだ。


 ここまで説明すればもう誰でもわかるだろう。俺はその階段を上って屋上へと侵入し、外側からちゃっかり解錠していたというわけだ。


 いつもの場所に座り込み、俺は廃ビルの裏を覗く。おーいたいた鬼塚だ。今日は少し風が強いでパンチラも狙えそうだな。ということで鬼塚紅音観察日記——n日目スタート……気が付けばn日目なので、もう変態と呼んで差し支えないだろう。俺もさすがに否定はしない。というかできない。


 いつも通り鬼塚はニコニコのルンルンでダンボールから白い子猫を抱き上げ、廃ビルの壁に寄りかかる。んんこれが見えそうで見えない。何がというのは敢えて言わない。あと猫が明らかにデカくなってる。そりゃあ愛着も沸くよなぁ。


 鬼塚が猫じゃらしかなんかを手に取って猫と遊び始めたのも新鮮な絵面だったが、ここで俺は一つ拭えない違和感があることに気付いた。

 それはビルとは反対側。校門前をふと一瞥して抱いたもので。

 何やら学校前の道路で車が渋滞している。ガードマンが赤い棒を振って、行き交う車を通したり止めたり。片側交互通行というやつか。となれば、近くで工事をしているのだろうか。


 そう言えば今朝は見慣れない重機やダンプが、やけに学校の前を行き来していたような。


 なんて考えていれば、がががと遠いながらも耳障りな騒音が聞こえてきた。

 音のする方に自然と顔が向いて、視界に映ったのはあの廃ビルだった。

 付近にいる鬼塚はきっと今頃ものすごい騒音に頭を抱えていて、もう猫どころじゃないだろう、そう思い、また鬼塚の方に視線を戻すと。


「え、まじか」


 守るように猫を抱えたまま、少し離れてじっと廃ビルを見上げている鬼塚。

 見ると、まさに今その廃ビルの解体工事が始まった瞬間だった。


 いや、なんで工事があるのに中に入ったんだ? 普通看板とか張り紙とか出てるだろ。というかどうやっていっつもあそこに足を踏み入れているのか。


 とりあえず、考えるのは後だ。まんまと潰されるような状況でもなさそうだが、あそこにあるのはボロボロの廃ビルだ。一部に加わった衝撃でどこかから金属が落ちてくるなんてことも全然ありえなくはない。鬼塚は何かを叫んでいるようだったが、この騒音だ。入り口側にいる作業員には聞こえていないと見た。——ならば。


 俺は全速力陰キャダッシュで、屋上から階段を駆け下りる。ゴミ捨て場へ着いたらそのまま外に出られるので、普通に正門から出るよりも断然こっちの方が速い。知っておいてよかった。ちなみに陰キャは総じて走り方がキモイ生き物なので、この姿が誰にも見られていないことを何より祈る。下手したら鬼塚の安否よりもそっちの方が心臓に悪い。


 上履きのまま裏口から外に出た俺は、一目散に廃ビルを目指して走った。

 大した距離ではないが、万年帰宅部にこのダッシュはちょっときついです。

 そうして廃ビルの前にたどり着いて、俺は事の顛末てんまつが何なのかを察した。

 ——今日の風は少し強い。その影響で、看板に張り付けられた進入禁止の紙は見事に裏返しになっている。あらわになった看板本体は、色あせていたり削れていたりで何を書いているのかさっぱりわからない。こういうところでコストを渋る会社はろくな会社じゃないので気を付けよう。


「いや何の話だ」


『は? 君、解体工事中だから立ち入り禁止だよ』


 妄想と一人ツッコミが日課になり過ぎているせいでついつい警備員のおじさんに突っ込んでしまったじゃないか。と突っ込むのも後にしとくか。今は鬼塚の安全が最優先だ。


「すみません! 中に女の子と猫がいるんで、急いで工事止めてください!」


『……は⁉ わ、わかった! 君は危ないからちょっとそこで待ってて!』


 警備員のおじさんはあたふたと赤い棒を振りながら、重機の方に駆け寄っていった。


 ほどなくして騒音は止み、解体工事は一時中止となり、廃ビルの入り口からでてきた猫を抱えた女子生徒が、往々にして工事関係者に謝罪の言葉を述べていた。


   ***


「……ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」

「いやもういいって! いい加減頭上げろって!」


 謝罪は俺にも向けられ、鬼塚は何度も何度も頭を下げる。もはやヘドバンと化している。

 正直少しだけ気持ちが良いというのはここだけの話だ。気持ち悪いだのあっちいけだの、挙句の果てにはシカトを貫かれている毎日なので、なんならこれから一週間毎日ごめんなさいしてほしいぐらい。


「なんにせよ、鬼塚も猫も無事だったから安心したよ」

「にゃあ~!」


 俺がそう口にすると鬼塚の腕に抱かれた小さな毛玉が元気に鳴いてくれた。こうして見るとまだまだ小さい。あとその位置、羨ましいな。いい匂いしそうだな。柔らかそうだな。


 ふむ、鬼塚はDカップと見た。


「本当にありがとう……。でもよくわかったわね、私があそこにいるって」

 相変わらず申し訳なさそうに眉を落としたまま、鬼塚は言う。


「あぁ、それならおくじ……」

 ——というのはどう考えてもまずい気がして、俺は寸前のところで何とか言葉を吞む。


 すると鬼塚は訝しむように、固まった俺の表情を覗き込んできた。


「……?」

「いやまぁ、直感と言いますか」

「……へぇ、そう。でもありがとう。本当に助かったわ」

「い、いえいえ」


 なんとか誤魔化せたらしい。

 ここで馬鹿正直に『屋上から見てました』なんて口走ってしまえば、明日は打ち首獄門市中引き回しの刑確定だ。屋上は基本立ち入り禁止なのだから。


 ひとまず、これにて一件落着。そう言えば荷物が屋上に置きっぱなしなので、取りに戻らなくては。ついでに靴も上履きのままだ。

 小さくほっと胸を撫で下ろしてきびすを返すと、不意に鬼塚が俺を呼び止めた。


「か、影山君……!」


 ——もしかしてこの前わざと間違えた?


「ん? どした?」


 少し体を捻って鬼塚を見やると……これは、これは⁉ ついに? ついにか⁉


 顔の横に垂れた赤茶色の髪の毛をゆっくりと耳にかけた鬼塚。


 右に左にと何度か忙しなく視線を泳がせたところで、やがてゆっくりと俺を捉えた。


 きめ細やかで真っ白だった頬をわずかに紅潮させて指で掻くと、薄く淡い色の唇がそっと持ち上げられ……。




「ま、また……ね……」




 たった一言だけぽつりとこぼして、鬼塚は踵を返す。

 スカートがひらりと揺れて、赤茶色のロングヘアは軽やかに舞った。

 

「——お、おう」


 この日、人類は初めて勝利への一歩を踏み出した。というのは大げさだろうか。


 差し込んだ西日は燃えるように赤く、煌めいて見えた。

 この夕焼けよりも美しいものを、俺はあの屋上から何度も見た。




 そして今日、少しだけ近づいた気がした。





 

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