第2話 青春の涙


「おはよう鬼塚おにづか


 明けて翌日。普段通り登校し教室に入った俺は、自分の席に着く前にまずはと鬼塚に挨拶をしてみた次第だ。この行動力を褒めてほしい。


「あんた誰?」


 読んでいた小難しそうな文庫本をパタリと閉じて、鬼塚はツリ目がちな瞳で俺をにらみ上げる。


「えっと、影山樹かげやまいつきですが」


 朝の挨拶はどの時代でも『おはよう』であるはずだし、最初に声をかけた俺はちゃんと『おはよう』と言ったし、なぜ俺は二年連続同じクラスになった同級生に今更フルネームの自己紹介をしているのか。我々はその謎を解き明かすべくジャングルの奥地へと——。


「あぁ、そう。そういえばいたような気がするわね。そんな人」


 気がするって……俺ってそんなに影薄いのか? いや確かに名前に『影』とか入っているけど。体育の授業で『二人組作って~』って言われそうな雰囲気ある時は仮病を使って保健室に避難したりしてるけど。


 っていやいや、こんなところで怯んでいるようでは『ツンデレ』の『デレ』演出まで程遠い。

 というか『ツン』すらない。真顔だ。地べたをうアリの群れが不意に視界に入ったときの顔だ。

 正直もうメンタルが限界なのだが、自分を追い込むつもりで俺はもう一つ質問を追加してみることにする。ちなみに鬼塚はもう読書を再開している。俺ってステルス能力とかあったっけ?


「鬼塚ってさ、動物とか好きなのか?」

 制御不可能のステルスが解けていることを祈って、俺は鬼塚に投げかける。


 ——流石にこの質問には動揺を隠せないはずだ。なぜなら俺は昨日、見てしまったのだからな。あの鬼の風紀委員長赤鬼こと鬼塚紅音が小一時間捨て猫を愛でて無邪気に微笑んでいるところを! 『べ、べつに(赤面)! あんたに関係ないじゃない(超赤面)!』的な演出が見れること間違いなしだ!


「読書中なの。気が散るからさっさと自分のクラスに帰ってもらえる? 何がしたいのか知らないけど、そういうの迷惑だから。わかったら二度と私に話しかけないで、藤村君」


「影山です……」

 あと、同じクラスです。


「そこでぼそぼそ呟かないで。気持ち悪い」

「うっす……」


 ——TKOテクニカルノックアウト。惨敗だ。

 珍しくクラス中の視線を集めた俺は、非常にいたたまれない気持ちのまま鬼塚の二つ後ろの席に突っ伏した。そう、なんだかんだ席も近いのである。


   ***


 その後もちろん会話はないまま、放課後がやってきた。

 ここでも俺は至っていつも通り、カバンを持って立ち入り禁止の屋上へと向かう。

 ラノベ主人公らしからぬ幸運の持ち主である俺なので、今日もばっちり晴れている。鬼に八つ裂きにされたメンタルを回復させるためにも、今すぐあの場所でめいいっぱい春の空気を吸い込む必要がある。RPGなんかでよくある自然治癒しぜんちゆスポットみたいなものだ。それに、生憎と今俺の手持ちには回復系のアイテムは何一つない。家に帰ればPCの中にたくさん眠っているのだが。


 秘儀ステルスを発動させた俺は三年棟を闊歩して、見慣れた『立ち入り禁止』の札が貼られた扉の前にたどり着き、念のため周囲を確認してからドアノブに手を掛けた。

 扉は今日もしっかり開いて、俺は一人、清々しい青空に誰よりも近づいた。

 屋上の一角に荷物を放り、俺はその場にゆっくりと腰かけて二、三回大きく深呼吸をする。

 ——非常に心地が良い。

 そしてそうっとあの廃ビルの裏を覗いてみると、やっぱりいた。鬼塚だ。


 鬼塚紅音観察日記——二日目スタート……ってなんか俺変態みたいになってないか?


 いやしょうがない。だって見たいだろ。気になるだろ。あの鬼塚が猫を愛でてニコニコしてるんだぞ? 風紀委員のくせに毎日学校に猫のごはん持ってきてるんだぞ? 昼休み間違って食ってたりして。いやそれはないか。


 ふと気づいたのだが、奴の中のヒエラルキーは下から順に俺→他の生徒→猫という感じになっていそうだ。俺という存在が他の生徒より一階層下にあるというのは、今朝の一件を踏まえた上での考察だ。ちなみに俺という存在は恐らく、アリや毛虫やゴキブリと並んでいると思う。被害妄想じゃない、事実だ。一度律儀に自己紹介を挟んだうえで名前を間違えられたから小さく訂正したら『気持ち悪い』と言われたのだから。……思い出したらここから飛び降りるのもアリな気がしてきた。誰だ今『アリだけに』とか思ったやつは。全然面白くないぞ。


 そんなこんなで黙って鬼塚を観察していると、特に昨日と変わった様子は無く、気付くと鬼塚の姿は消えていた。にしても可愛く笑う奴だ。普通に恋に落ちそうだ。え? 二日も連続で屋上から観察してるんだからもう恋してるじゃんて? いや待てそれは違う。違うぞ。それにこんな序盤で恋心を自覚するのは、なんというかラノベ主人公としてはダメだろ。いや俺はまぁラノベ主人公ではないんだけどね。じゃあさっきから誰に言ってるのって感じだが、妄想は俺の専売特許なんだ許してくれ。


 ということでさらに翌日。教室のドアを開けると同時に、俺の脳内で激しくゴングが鳴り響く。ラウンド2! ——ファイッ‼


「おはよう鬼塚」


 まだまだ挫けるつもりはないので、今日も元気に挨拶。

 すると鬼塚の奇麗な眉間には、やはりと言うべきかしわが寄る。


「何、またあんた? 昨日話しかけないでって言ったわよね? その耳は飾りなの?」


 お前は飾りで耳をつけてるやつを見たことがあるのか?

 それに朝の挨拶は『おはよう』だぞ。


「お、おはよう!」

 少しばかり頬は引きっているかもしれないが、まぁいい。それにこれも想定内だ。

 今日は何としても『おはよう』を言いつらぬく。名付けて『おはようごり押し大作戦』


「はあ? 気が散るから、あっち行って」


 ははーん、さてはこいつ、『おはよう』を知らないな? それなら俺にも考えがある。


「グッモーニン鬼塚」

「馬鹿にしてるの?」


 ——だめだ! もう無理だ! 耐えられない! 長男だけど耐えられない‼


「や、えっと、ごめん」


 溢れ出る涙を必死にこらえながら、俺は今日も鬼塚の二つ後ろの席に着いて、突っ伏した。


 ブレザーの袖に染み込んでいく涙を乾かすためにも、俺は今日もあの場所へと向かうだろう。





 

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