陰キャでぼっちの俺が、鬼の風紀委員長をデレさせるまで

亜咲

第1話 陰キャぼっちの俺は見た

   プロローグ


【泣いた赤鬼】——誰もが幼少期に慣れ親しんだであろう童話である。


 山奥にひっそりと住む全身が真っ赤なそいつは『鬼』で、『鬼』は人を喰らう存在であると、常日頃から人間たちに恐れられていた。

 しかしそんな『赤鬼』には、ある願いがあった。それは——。


 立ち入り禁止と記された学校の屋上。それはなんとも背徳感に満ち溢れた、言わば禁忌きんきにも等しい領域。

 例えるなら深夜のラーメン、自転車の二人乗り、彼女の妹とのキス、人体錬成じんたいれんせい、などなど。


 その禁忌の領域にほぼ毎日と言っていいほど何の躊躇ちゅうちょもなく足を踏み入れているのは俺一人で、当然「いやいやっ、最後のはガチの禁忌だろ!」などと突っ込んでくれる陽キャ属性マシマシな陰キャに優しめの親友とかはいない。陰キャはこうして常に孤独を謳歌しているからこそ陰キャと呼ばれるのであって、片時もそこに陽の光が差し込んではならないのだ。もうその時点で真の陰キャとは言えない。モグリである。陰キャの影を薄めたそいつを、どこぞのラノベ主人公たちを、『陰』と称してはならない。ちなみに個人的には妹とのキスが一番グッとくる禁忌だと思う。それはまさに、禁断の果実——一口かじればもう忘れることなどできない。口いっぱいに広がる未知の甘酸っぱさは、まさしく罪の味だ。

 何の話だ、とそろそろ自分で突っ込まないと話が進まないので、俺は不服ながらも小さく口にした。


「——いやいやっ、何の話だ!」


 …………。


 なぜ俺は今わざわざ陽キャ属性じみた口調で虚しく一人ツッコミを決めたのか。

 イタタッ! イタタタタタタッ! 死ぬほど恥ずかしい! 誰か俺を殺してくれ!

 全身から変な汗が噴き出してくるのがものすごくわかる。特に腋の辺りが酷い。陰キャの腋汗。ヤバい。その字面はヤバい。破滅的キモさだ。

 じめった腋を乾かしたくて、一度大きく伸びをした。


 小さな風が吹いたり止んだりを繰り返して、夕方になるとまだ少し肌寒い。

 遥か下にある校門を見下ろせば、淡くいろどった桜並木と、下校中や部活中の生徒たちがちらほら。校門のすぐ近くで、俺好みの細身で髪の長い女子生徒が桜の木の前に走り寄って、持っていたスマホを横にして顔の前に構えている。きっと後でSNSにでも投稿するのだろう。いくら陰キャとは言え、俺とて最近JKの間で流行っているSNSぐらい何個か知っているつもりだ。あとで片っ端から、『ハッシュタグ、桜、春、青春、FJK』と検索をかけてみようかな。


 まぁそんな話は置いておいて、なぜ俺が放課後の屋上で彼女の妹とキスをしてラーメンを食べながら人体錬成の計画を立てつつ【泣いた赤鬼】を思い出していたかというとだ。


 ——ズバリその答えは、この学校の隣に立つ廃ビルの裏にある。


 あの廃ビルの裏は、ここからはかなりよく見える。というかむしろ、あの場所はここからしか見えないと思う。

 それに、下校する際にわざわざあんな不気味で入り組んだ薄暗い路地を使うやつなんて、まずいない。通るとしても、必然的に入り口側を通過することになる。裏口は完全に廃ビルの敷地内で、目立ったところに敷地内に侵入するためのルートは無かったはずだ。


 それなのにどうやって入ったのか、あんなところに。

 しかもアイツが、一体何のために。


 赤茶色のロングヘアを夕方の春風になびかせたその女子生徒は見た目だけで言えば十分俺好みで、一人、廃ビルの裏口でしゃがみこんでいた。そして女子生徒の前には何やらダンボールらしきものが置かれている。


 彼女の名前は『鬼塚紅音おにづかあかね』——この学校の風紀委員で、俺の同級生だ。会話をしたことは一度もないが。

 鬼塚は基本、学校生活で誰かと関りを持つようなことはしない。それは俺のような消去法での『一人』ではなく、自らが望んで選び手にした『独り』と言えよう。

 頭脳明晰ずのうめいせきで運動神経も抜群。俺の知る限り一年の時から成績は常にトップだ。それでいて見た目もかなりいい。華奢きゃしゃながらに起伏きふくのある女性らしいスタイルは同性からも憧れの対象となっているようで、あくまで単純な好意で彼女と親しくなりたいという生徒はかなり多かったように思う。


 なぜ過去形なのかというと、それは鬼塚の性格と立場にあった。


 鬼塚紅音は風紀委員で、些細な校則違反や校内の秩序が乱れるような行いは断固として許さない。学業に関係ないものを持ち込んでいる生徒には、冷淡れいたんに「持ってくるな」と一喝いっかつ。過度なスキンシップが見受けられる恋仲の男女を見かければ、「わきまえろ」と一喝。反抗されれば、それ相応の報いを贈呈して差し上げる。罵倒には罵倒を、暴力には暴力を。


 後者の方は噂でしか聞いたことはないが、その昔、細かい校則違反を指摘され腹を立てた上級生の女子生徒が鬼塚に掴みかかるも、危うく殺されかけたとかなんとか。


 そんなこんなで、その容姿端麗さとは裏腹についたあだ名は『赤鬼』。


 今じゃ誰もが近づきたくない生徒として、その名を学校中に轟かせているのだ。


 その赤鬼が放課後、誰もいない廃ビルの敷地内に忍び込んで何かをしている。そんな現場を目撃してしまえば誰だって気にもなるだろう。絶対美味しいニュースに違いない。そのニュースを共有し合うための人間関係が一ミリたりとも構築されていないのが何とも残念で仕方がないが。渋々メシウマなおかずとして堪能たんのうさせてもらうとしよう。えっちな意味ではなくてな。


 ちなみに俺が毎日暇つぶしで、こうして屋上放課後ライフを満喫しているという事実がどこぞの風紀委員様にバレたとしたら、一体どうなるのだろうか。打ち首獄門市中引き回しの刑ばりに惨い仕打ちをくらうのは重々把握しているが。……指の爪を剝がされたりするだろうか。想像しただけでもおしっこが漏れそうだ。


 俺はその何とも言えない背徳感に包まれながら、じっと目を細めて小さく見える鬼塚にピントを合わせてみる。

 ダンボールの前にしゃがみこんだ鬼塚が、その中身を覗き込むようにぐっと首を伸ばしているように見える。

 そのまま二,三秒ほど静止してから、鬼塚はゆっくりとダンボールの中に両手を伸ばし始めた。どうやら中に何か入っているようだ。

 少し身をよじらせたり、体勢を変えたり、何度か四苦八苦した様子を見せてから、ついにその箱の中身は明らかになった。


 鬼塚の両腕に包まれるように抱かれたそれは、白く小さい——猫だ。


 鬼塚は再び猫を箱に入れ戻すと、今度はなにやら自分のカバンを漁り始めた。

 ここで俺の、鬼塚ほどではないそこそこ明晰な頭脳に電撃が走る。

 奴が今から取り出すものは、恐らく刃物だ。そうして小さな猫を解体し、その血肉を喰らう! そうだ、そうに違いない! 鮮血をすすりたい衝動をついに抑えられなくなって、ああやって廃ビルに忍び込んだんだ! となればあそこは奴の食糧庫……! いやはやこれはまずいものを見てしまった。


 という冗談はさて置き、鬼塚がカバンから取り出したのは何でもない、よくテレビのCMで見かけるチューブタイプの猫の餌だった。身寄りのない捨て猫にご飯をあげているらしい。


 それから鬼塚は再び猫を抱き上げ、廃ビルの壁を背もたれに座り込み、日が暮れるまで腕の中でその猫を撫でていた。そんな鬼塚を見て、俺は思う。


 やはりと言うべきか、鬼塚紅音は『赤鬼』である。


【泣いた赤鬼】——人間たちに恐れられた赤鬼の、胸に抱いた一つの願い。それは人間と友達になること。


 実際鬼塚が、本当は他の生徒と仲良くしたいと思っているかどうかは、わからない。俺は青鬼じゃないのだから。


 だがしかし、俺は今日知ったのだ。


 決して他人を寄せ付けようとしない鬼塚の、誰にも見せない『優しさ』を。

 誰もが見たことのない『温情』を。

 春の夕日に縁どられた、無邪気で可憐でどこか儚げな美しい笑顔を。



 そんな赤鬼に見惚れてしまった村人Aは、ゆがんだ決意の光を胸に宿す。



 俺は彼女を、赤鬼を——、




 鬼塚紅音を、デレさせたい‼

 

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