第四十話 羽降たゆた
Side:羽降たゆた
本土に移り住んでからというもの、日々の楽しさと忙しさで生まれ小島には殆ど帰っていなかった。だから、最後を迎えるのがここだと言うのも正直勘弁してほしいなと思いつつも受け入れる他ないのだと理解もしている。私はあまりにこの島と、密接しすぎた存在だろうから。
懐かしい海を、白呪の腕の中から眺める。もう網膜に焼き付いているし脳から離れない! というくらい眺めた海なのに、どうしてか今日は特別に綺麗に見えたから。
『白呪……海に、触りたいな……もう少しだけ、近付いてくれる?』
最後に喚び出したミカエルによって、私たち三人は海神島の海岸にいた。
私を片手で抱える白呪が、そっと側にいるライムの顔色を窺うと了承を得られたようで巨体をゆっくりと動かしながら海へ近付き、膝を付いた。私を持たない左手は、人間の頃とは違って二回りほど大きく、真っ白になってしまったが相変わらずその手は私を守ってくれた優しいもの。その手に汲まれた海水に触れ、何とも言えない気持ちを抱える。
さようなら。私たちの神様、私がいなくなっても、どうか島を守って下さい。
【兄弟】
白呪の手の中の海水をパシャパシャと飛ばしたりして遊んでいれば、ライムの鋭い声に反応してふと顔を上げた時だった。
海面に立つ、白装束を身に纏った……アクアマリンのような優しい水色の瞳を持った少年がこちらを見ていた。どこかで見たことがあるような、懐かしい彼を見ていれば瞬きした途端にその人形めいた綺麗な顔が目の前にあって驚いた。
でも、息がかかりそうなほど近距離に来たのに白呪がまるで敵意を示さない。
『うみ、がみさま……?』
泣きそうな目で、笑うその人に私は喜んで手を伸ばした。
『そうですか……最後に、会えて良かった。ずっと私を見守ってくれてたんですよね。お世話になりました……そして、置いて行ってしまって、ごめんなさい。
あなたも、何も悪くありません』
【いいえ、我も悪の一つ……預言を賜り、君を世界に放ちました。君が光に導かれて時を刻み、正しい心を持てば世界は救われる。
我は、
ただ、これだけは】
アクアマリンから流れ落ちる涙が、はらはらと海に落ちては泡となって消えていく。
【波柱は、君の父親はたゆた……君を神の依代ではなくただの人間として生きてほしいと願っていた。神の依代でも、悪魔の供物でも、世界の生贄でもない。
ただ、普通の一人の女の子として笑ってほしいと……願っていた。あまりにも多くの荷物を背負った君の未来を変えたかった。でも、出来なかった……。
弱い世界を、無価値な神を、どうか怨んでくれ】
どうしてこうも、世界は厄介ごとに満ち溢れているのだろう。
そう思うだけで心の底から笑えてくる。どうしようもなく厄介で、面倒くさいなぁと思いながらも私は受け入れたい。むしろ、私は感謝している。
『私は、このたくさんの出会いに感謝しています。
お友達がたくさん出来ました。信頼出来る先生がいます。共に戦った仲間がいます。頼もしい戦友たちが出来ました。魂で繋がった兄弟が生まれました。
あなたが、私を愛した父を教えてくれました。私はもう、それだけで充分です』
サラサラの髪に触れて撫でていれば、神様は私のおでこに自分のおでこを当てながら泣き出した。
斉天大聖と尊ちゃんが羨ましくて、同じように海神様とそれが出来るのが少し嬉しかった。冷たい肌に、今にも溶けてなくなってしまいそうな私は丁度良かったのだ。暫くそうしていれば、もう泣いていない神様が離れて立っている。
【我が名は、
愛しい我が娘、たゆた。よく頑張りました。あなたが美しく成長した姿を見ることが出来て、幸せです……可愛い子、眠ればすぐに迎えに来ます。どうか、安らかに】
人生で、一番大切なことは?
私は、明日。
例えその明日に私がいなくても、構わない。
嘘。本当は寂しくて仕方ない。
だけど違うのだ。
寂しくて悲しくて辛いけど、満足だから。
『わぁ、重い……』
白呪の持つ明星を、一緒に支えながら明けの空に掲げる。あの長い夜を超えて、共に明るい明日を迎えられた祝い。みんなのことは絶対に出すつもりだったけど、私もこうして空の元に出られるとは思わなかったから。
白呪の目隠しを外して、己で潰したであろう目を見てから……私はその顔を抱くように抱きしめた。
『もう……大丈夫です、もう二度と生徒を傷付けるような夜は来ません。目を潰し、抗うように涙することはありません……
おかえりなさい、銀落先生』
そっと体に回る、労るように優しい手つきに耐えていた涙が溢れて止まない。最後まで私なんかを心配してついて来てくれた、優しい私たちの先生。最後はこうして独占してしまうのが、申し訳なくて仕方ない。
だけど、喜んでいる卑怯な自分がいるのもまた事実で醜い限りだと思う。
【あり、がとう……たゆた】
お礼を言うのは、こちらの方なのに。
いつまでも離れない私を、白呪が抱えて誰かに手渡す。私を抱えたライムを、更に白呪が持ち上げて三人一緒に砂浜を歩く。
【過ぎてしまいました】
赤と黒が混ざった、不思議な瞳。
【お誕生日、だったのでしょう? 私には対象の過去や未来を見る力がありまして、一度向こうに戻って割と力を取り戻したんです。
それで……兄弟、君の仲間たちが君の誕生日にと用意していたプレゼントの存在を視たので、テレポート能力のある悪魔に取りに行かせまして】
こちらです、と取り出された小さな包み。可愛らしいピンクのラッピングを解いて中を見てから、私は息を飲んだ。
ピンク色の羽がついた指輪が、そこにあった。
勿論それはソロモンの指輪ではない。だけど、なくなってしまった指輪の感触を覚えている左指がフルリと揺れたのも確かで。
【僭越ながら、私が代わりに】
当然のように左手を持たれ、なくなってしまった指輪を埋めるようにそこに光る指輪。
【よくお似合いですよ。私は、ソロモンの指輪も負けてはいないと思いますが……今の君には、そちらが似合う】
高かったのではないだろうか、いつの間に買ったんだろうとか色々と考えたけど、何一つわからない。
世界を救った報酬が、この指輪だったのだとしたら……私はこれのために頑張ったのだと言える、うん。
言えるよ、みんな……。
『ライム……ライム、ありがとう……ありがと、うっ……嬉しい。
ライム、私の、私の大切な兄弟……あなたと出会えて、本当に良かった』
『ああ、もう……眠たい、な……。
みんな、大丈夫かな、怪我……。海我ちゃん、は……きっと、丹小櫓が助けて、くれるかな……。ソロモン、の……彼らは、大丈夫だよね、強いもん。
はく、じゅ……ライム……約束、守ってくれてありがと……、一人じゃない
一緒にいてくれ、て……ありが、とう』
最後に見た気がした。
泣いている、私の悪魔と潰された目から雫を零す鬼。
花が舞う砂浜に、海の荒れる音が聞こえる。左手を握る彼の温もりを感じながら……私は、もう覚めない眠りについた。
【ええ。
……私は、……愛していますよ。私は、たゆた……君を愛しています。
さようなら、愛しい人。
私に全てを与え、名を呼んでくれた人。
永遠に……、忘れません】
end.
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