第三十八話 返納と、自由

 Side:羽降たゆた


【流石、……彼にも最初から勘付かれていたとは】


『新食君は何も言わないことばかりだけど、大抵の秘密は知り得てるよ。自分がソロモンの指輪の一部の封印を担っていたのは、流石の彼でも気付けなかった。


 仕方ないよ。指輪の封印は、子孫の誰に当たるかまではわからない。こうして一箇所に後継者が集まったせいで、何処かの悪い人に利用されちゃったんだけど……ね』


 記憶を消され、次々と倒れる大切な仲間たちを見守る。そんな彼らを翼を得た少年を中心に、ベリアルから借りたチャリオットへとみんなを運ぶ。既にチャリオットには囚われていた三人も乗せている……三人共、微かに息はあるが助かるかはわからない。


 その作業を眺めていれば、こちらを睨み付ける火黒先生にお辞儀をする。


『……消したぞ。もう、コイツらが目覚めたらお前のことは忘れてる。


 本当に、良いのかよ……』


『ありがとうございます。はい、それで良いんですよ。私は彼らに平和な世界で生きてほしい。自分たちのせいで異界が開いたなんて思ってほしくない。


 


 苦虫を噛み潰したような、苦しげな顔だった。目を逸らして拳を握る優しい人に、私は自分の気持ちを素直に伝える。


『誰のせいでもありません。私が死ぬことは、単純に決まっていた。


 ライムに魂を半分渡した。体に負担を掛けて限界を超えた。ソロモン72柱を召喚するのに力を使った。


 理由が沢山あって、どうしたって私は死ぬ以外の選択肢がないんです。良いんです。沢山我儘を言って足掻き続けて、これでやっと納得出来た。仲間の旅立ちを見守ることが出来たのはあなたたちの力があってこそ……感謝します、同盟者の皆さん』


 手を振って、彼らを見送る。


 背後では既に次のやるべきことのためにソロモン72柱たちが力を尽くしてくれている。エメラルドグリーンの光りを背中に受けながら、最後の見送りをしなければ。


『ソロモンの指輪は返納します。元の形に戻ってしまえば、力も得たまま。元の世界に持っていっても新たな争いの種になりますから。


 心配しないで下さい。どうやら呼び声に応えてくれたようです』


『……礼を言う。第十位級罪区特殊異界学校の消滅と、ソロモンの指輪の返納を認める。此れにより、交わされた制約である九人の生徒のその後を保証する。


 何も……出来なくて、すまなかった。約束は必ず守る』


 涙を流す生徒たちを引きずりながら、彼らは扉の向こうへと歩いて行った。何度もこちらを振り返る彼らが見えなくなるまでずっと……見送った。


 もしも。私の神格が封じられず、修行をして

学び続けていたのなら。私は、彼らと同じ場所に立っていたのだろうか。


【行ったようです、兄弟】


『無事に脱出出来たみたいだね、良かった。さぁ、まだ仕事は残ってるよ』


 踵を返して扉に背を向ける。アンドロマリウスに目配せをすれば、彼は直ちに扉を閉じてそれを消滅させた。


 さようなら。私の、宝物。



【おうさまー!! さっき貰った力、喚ぶせいで空っぽになっちゃいそー!!】


『もう尊ちゃんいないから、パワーアップはお終いだよ? 色欲の大罪の本気が見たいな〜すっごいんだろうなー?』


 私のあからさまな煽りを受けて、アスモデウスはプクリと頬を膨らませて更なる魔力を召喚魔法陣へと込める。


 彼の他に何体かの悪魔たちが召喚魔法陣に魔力を込め、私たちはそれが満たされるのを待った。


【……魔力が満たされました。最後は人間の呼び声が必要です、兄弟……仕上げを】


 エメラルドグリーンの膨大な力が、溢れている。それに怯える何人かの悪魔たちが身を隠すのも無理はなかった。


 魔法陣に左手で触れ、私は思い浮かぶ言葉を口にする。


『来れ、翼を持つ使いよ』


 ドッ、と更なる魔力が召喚魔法陣の向こう側から押し寄せる。これには歴戦の騎士も身を竦ませ、如何なる地位を持った者も感情を揺らす他ない。


 神でもない。


 悪魔でもない。


 獣でもない。


 これだけ長く戦って来て、色んな神や悪魔を見て来たのに最後に……使にまで会うなんて、想像もしなかった。


『神の身を知り 神の声を望み 神の意志を受け取りたく


 来れ 


 召喚魔法陣が、一番の輝きを発した。そこから溢れた魔力に当てられて吹き飛びそうになったのを、ベリアルが背中に手を回して留めてくれた。彼やアスモデウスといったメンバーはなんともないようで平然と立っているが、そこかしこでは悪魔たちが吹き飛ばされている。


 やがて、魔法陣の上に……一体の翼を持った者が現れた。エメラルドグリーンの翼を広げ、黄色が差し込まれた赤い両目の持ち主は……手にした天秤を掲げて声を出す。


【何も語らなくて結構。


 全て、天界より下界の様子を見ていました。人の子よ……大儀でした。


 我が名はミカエル。初めまして、ソロモンの指輪を得た新たな王よ】


 普通なら、傅いた方が良いのだろうか?


 なんとなく周りを見てみるが、私が頭を下げるべきではない雰囲気を感じてしまった。天使とは切っても切れない因縁を持つ彼らは、どれも穏やかではなく殺気をビシバシと放っている。そんな彼らの親玉をしている今は、下手に礼を尽くすべきじゃない。


『召喚に応えていただき、感謝します。この様な身なりで申し訳ありません。


 事情を心得ていただけているのは有難いことです。この様な姿のままで宜しければ、返納を果たしたく』


【許します】


 ベリアルにお礼を言ってから、私はミカエルへと近付く。地に降りて私を待つ天使は美しくて、その輝きに目が潰されてしまいそうだった。


 綺麗な翼……。


『ソロモン王の時代より、これまで長らく主の力をお借りし返納が遅くなってしまったことに心から謝罪を申し上げます』


 左手の薬指から指輪を外し、ミカエルへと捧げる。彼……、多分。彼は、それをまじまじと見つめてから右手でそれを受け取ってから頷いた。


【確かに、主より与えられた指輪に間違いありません。


 人の子。あなたが謝罪をする理由はありません。むしろあなたの判断は賢明です……既に主人のいない下界で、これは無用の争いを生むのみ。


 私は、そこの悪魔共がいつあなたに反旗を翻し、これを奪いに来るかと身構えていたのですがね】


 その視線の先にいる悪魔たちは、その場から誰も動くことはない。正直に言えば私もミカエルと同じことを考えていた……信じてはいけないのだ。力こそ頼りにはしているけど。彼らは息をする様に嘘を吐き、裏切りに良心を痛めないから。


【その指輪があのクソ神の元に行けば、下手な人間に召喚されることはないからね。こっちだってホイホイ誰にでも従いたくないよ。


 そこの人間で最後だよ。終わればボクらは自由なんだから、危険な芽は早く摘んでおきたいだけさ】


『ベ、ベリアル……』


 く、くそ神……。


 恐る恐るミカエルを見るが、その美しい顔の眉間に皺は寄せてはいるもののそこまで怒ってはないみたい。


 むしろ、この程度の悪口はよくあることなのかな……。


【寝惚けた発言を恥なさい。


 そも、指輪は主人を選びます。人の子が扱えたのは血筋だけでは説明がつかないのですよ。そこにある善性と、その身に宿されたものが奇跡を生み出した……指輪を手にした程度で天使や悪魔を使役できるはずがない】


 知ってるよ、と顔を背けて不機嫌さを滲み出すベリアルには苦笑いを浮かべる他ない。再びミカエルに目を向けると、ミカエルはある悪魔に視線を向けていた。


【お前に、主よりお言葉があります】


 それは、ライムだった。


【お前の最初の行動は、褒められたものではありません。召喚者を見捨てて、自身は身の程を弁えず神との闘争に明け暮れた。


 結果、お前は召喚者に情けで魂まで分け与えられた……私は何故、貴様を殺して消滅させておかなかったのかと失望しました】


 俯くライムは、ミカエルの言葉に反論することもなくそれをありのまま受け止めていた。


 大嫌いなのだと、私はライムから天使たちとの確執を聞いたことがあった。だから否を唱えようとしたのに、まるでそれをわかっていたようにミカエルが私の方を見て微笑んだ。


【しかし。


 お前は、後悔しました。己の過ちを恥じて同じ間違いを繰り返すまいと人の子を守り続けた。最後まで願いを叶えるため、奮闘し……結果的に九人の人間と三人の神器、一人の獣器を元の世界に返す貢献をした。


 その善性を讃え、主が……望むのであればライム……お前を再び天使に】


【断る】


 まだ、ミカエルの言葉も終わっていないのにライムはそれを遮って答えを出した。呆然とする私や周りの悪魔たちは、そんなライムの答えを理解出来なかった。


 そんな、だって……ライムは、本当は……。


【断ります。


 私は、そんなことで価値を認められたくない。私の価値を見出し、私に全てを与え、私を生かしたのは羽降たゆただ。悪魔として彼女と触れ合い、共に歩んで来た。最後まで、私は私のまま彼女を見送る。


 最後まで共にいると誓った……悪魔である俺が、そう誓ったのだから。ならば最後の瞬間まで悪魔として共にあり、その後も俺は彼女が見たままの悪魔であり続ける】


 ライムは、天使だった。


 ライムだけではない。多くの悪魔が、天使だった過去を持つ……その中の大半が天使に戻りたいと密かに野望を燃やしているのだと。


 なのに……。


【勘違いするなよ。俺がそうありたい、ただの一方的な願いだ。


 お前のためじゃない、俺が……そうありたい】


 呆れた様に私を見る彼が、付け加える様にそう言った。


 ……ああ。私は、やっぱり君で良かった。私の相棒は、私の選ばれた獣器は、やっぱり君で良かったんだ。


【……では、最後まで悪魔でいなさい。このようなことは二度と訪れないとわかっているでしょうに。


 人の子よ。個人的な感情を押し付けて申し訳ありません。


 感謝します。地獄に棲まうこの者たちに希望を見せ付けてくれたあなたに、心からの祝福を。私で出来ることがあれば、何かお手伝いしましょう】


 ミカエルのその言葉に、私は弾けたように彼に向かって走り出した。あまりにも慌てていたものだから寸前で転びそうになるも、ミカエルが肩を掴んで受け止めてくれた。


『ではっ、ミカエル……さま? ミカエル様、一つだけ願いをっ』


【ミカエルで構いません。なんでしょうか、人の子よ】


 その瞳をしっかりと見つめ、両手を組んで私は願った。


『この場所で……亡くなった多くの人間の魂を、どうかお導き下さい。道中迷子にならないよう、悪い人に捕まらないよう。


 どうか、安らかな眠りをっ……』


 天使に導かれれば、きっと……みんな安全に天国まで行けるはず。


 そんな拙い考えを言葉にして、私はミカエルに必死に訴えた。


【……どこまでも、悪魔が似合わない人の子ですね。私が召喚されても良かったのではないかと不思議でなりません】


【……は?】


 いつの間にか現れたライムの手によってミカエルの元から引き離されると、ベリアルたちまで一緒になって周りを固めている。


 なに?


 え、どしたの?


【寄って集って人の子を困らせないように。


 ……承りました。この神典で亡くなった者たちの魂は全て私が連れて主の元へ導きましょう。


 そうなると、あなたもその対象になるのですが】


 ミカエルが見るのは、白呪だ。


 目隠しをした彼が、暫くミカエルを見てから首を横に振る。慌ててそれを覆そうと悪魔たちの元から抜け出そうとするのに、彼らはそれを許してくれない。


【い、い……要らない……。戻さなくて、いい……。羽降と、いたい……最後まで】


【二度と人としての魂に戻れなくなりますよ。そのビーストと融合し、やがては記憶を持ったまま……葛藤や苦悩に塗れるのです。人の子が死んだ後も】


【一人に、したく……ない、から。人間として……一緒に】


 どうして、そんなに優しいのか。自分を差し置いて、どうして……。


【人の子。あなたがそれを思うのですか?


 あなたがやってきたことです。他者のために力を尽くしてきたあなたが、今……その行いが返ってきているのです。受け取って差し上げなさい、その好意を】


 ふと、力が入らずにぐにゃりと崩れる体をすかさずライムが受け止めてくれる。お礼を言いたいのに、酷く億劫で仕方ない。


 ああ。時が、近いんだ。


【……に相応しき人の子よ。その尊き行いを、私は忘れません。どうかゆるりとおやすみなさい。


 可愛い人の子。旅路の果てに、祝福を。


 ライム。人の子を静かなる場所へ運んで差し上げます。明るい場所で、別れを済ませなさい】


【では。海へ……彼女を待つ神が、他にいるので】


 了承を得たミカエルに、待ったをかける。見守ってくれる悪魔たちに手を伸ばして、最後の願いを彼らに告げる。


『っ……意地汚いと、罵って良い……。それでも、最後の王として私はあなたたちにをするっ!!


 ソロモン……いいえ。ただの72の悪魔たち。死にゆく人間の最後を喜劇として幕を閉じる為に……


 どうか。


 どうか、外の世界で戦う者たちに力を貸してほしい。各地で好き放題荒らされる世界を、あなたたちで更に荒らしてきて。


 私は、あなたたちが初めて自由になった日が、祭りであれば良いと思う。昨日は人生で一番悲しくて辛かった日だったけど、その次の日は大切な仲間の自由が約束された日。


 さぁ……最後の時を、あなたたちの自由を喜ぶ戦いにして……どうか』


 悪魔に、なんてことを願うのか。


 世界を救えだなんて。


 もう一度、命令を聞けなんて。


 それでも私は、こうして手を取ってくれると信じていたから……汚いと思う。


【仕方ないね。最後の最後、大サービスしてあげるよ】


【おーさま、世界の一つくらい散歩ついでに救ってあげるから泣かないでよ】


【わー物騒。でもま。暴れ足りなかったし、丁度良いんじゃなーい?】


【正義の名の元、全て粛清してこよう】


【我が王が望む限り、このモラスクは王の手駒ですとも】


 もう、指輪なんてないのに。彼らは情けなく泣く私の顔を覗き込んでは笑ってくれる。その情けない顔だけで対価は充分だと言って、彼らは未だ泣く私に手を振った。


【君のような幼い人間が、これだけ足掻き戦い続けたんだ。少しは対抗心燃やしちゃうよね。


 バイバイ、最も幼い我らの王よ。きっと地獄には来ないのだろうけど、いつか遊びに行ってあげるから】


 何もない左手を取り、握手を交わした。ベリアルたちはすぐに外への戦闘に向けて話し合いを始める。私たちもミカエルによって移動の魔術をかけられて、景色が変わり始めてしまう中……振り返って笑う彼らを見て、もう大丈夫だろうと確信を得た。


 さようなら……さようなら、優しい悪魔たち。



 私の、戦友たち。





 

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