第三十七話 明ける夜を目指して

【我が正義の盾よ


 悪しき地に蔓延りし領域を破棄せよ。罪により咎人は逝き、清浄なる道を拓いて生者を導け


 ソロモン72柱最後の柱 アンドロマリウスが命ず。



 “我が聖域マイ・サンクチュアリとして”】


 確実に崩壊する異界に慌てふためく俺たちを尻目に、あるフルプレートの鎧をガッチリと固めた一体の悪魔が自身の盾を中心に魔法陣を展開していた。黄金の魔法陣が輝き、盾を飲み込んで更なる光が辺りに差し込む。


 盾はやがて、巨大な扉となってそこに佇んでいた。


 突然のことに俺たちと悪魔たちが唖然としていると魔法の設置を終えたらしい悪魔がたゆたに跪き礼を尽くす。


【王よ。


 神典の外との道を繋ぎました。正義に相応しい、あなたのような方に最後に仕えられるなど光栄の極み。


 扉を越え、幾許か歩けば元の世界です】


『ありがとう、アンドロマリウス。流石、あなたの魔法はこの空間では絶大な威力を発揮するね』


 勿体ないお言葉、と謙虚に返すアンドロマリウスを立ち上がらせてたゆたが俺たちの方を見る。一体の悪魔……薄桃色の髪に黒い目をした、少年のような出立ちの悪魔が俺たちに寄ってくると腕をグイグイと引っ張りながら笑顔で歩き出すのだ。


 それに釣られるように歩き出せば、少年はまたニコニコと笑って俺たちをたゆたの方に案内する。やがて彼は左手で俺の手を繋いだまま右手をたゆたに伸ばす。少し困ったように身を屈めてソロモンの指輪のはめられた左手を差し出す。


【ふふっ。ダメだよ、そんなに簡単に左手を出しちゃ。


 取っちゃうよ、おーさま】


『あなたが本気になれば、今までいくらでも隙はあったはずですよ、アスモデウス』


 ベッと舌を出した少年……アスモデウスのそれは、綺麗にパックリと割れていた。まるでヘビを思わせるそれをすぐに仕舞うと、彼女の左手を取って満足げに笑っている。何がなんだかわからない俺とは真逆に、たゆたはやれやれと言わんばかりの呆れ顔だ。


『ごめんね、尊ちゃん……。この方はアスモデウス。ソロモン72柱の序列32で、色欲の大罪……の方が彼は有名かな』


 たゆたに擦り寄る少年を、みんなが一斉に凝視する。目を細めてコテリと首を傾げるあざとさの破壊力は凄まじい……しかし、こんな少年が?


『悪魔の見た目なんてハリボテだよ。アスモデウスは好きな人間を模してるだけだから……こうして人間に寄り付くのは、彼が必要な力を奪ってるの。


 心配しないで、体調に支障がきたさないようにってお願いしてるから』


【ん……、もういいよ。ありがとう、おーさまたち。


 早く扉、潜っちゃいなよ。この神典も終わりが近いみたい】


 アスモデウスに放されて自由になった手を、すかさず誰かに掴まれる。驚いてその人を見ればなんてことはない。


『どうした? たゆた』


 悪魔たちに案内されて扉に近付くみんなが、異変に気付いてこちらに集まって来る。


 気のせいか、掴まれた時……少しだけ震えていたような?


『たゆたのお陰で、漸く……終わるんだな。長かったような、短かったような……永遠に感じたことさえあったのに。


 一緒に帰ろう? 沢山失ってしまったけど、俺たち十人は生かされた。……ありがとう。たゆたが、助けてくれたんだ。


 ありがとう。ずっと、戦ってくれて……悲しくて。痛かったのに。それでも君は何度でも笑って手を掴んでくれたんだ。大したやつだ……


 羽降たゆたは、泣き虫さんじゃない。羽降たゆたは、世界一の王様だな?』

 

 赤く濡れ、黒く変色してしまった花を撫でる。真っ黒な髪は血がついて固まり、制服はもう布切れ同然。ビリビリに破れてしまったスカートに、血に濡れた靴。


 それでも、たゆたは綺麗だった。どんなに汚れても剣を取る姿はいつだって凛々しくて、悪魔を従える後ろ姿は誰が何と言おうが、王と呼ぶに相応しいもの。


 泣き虫で、仲間想いの負けず嫌いは、ボロボロと涙を流しながらフラフラと歩み寄り、俺も苦笑いを浮かべながらもその身を抱きしめた。


『私っ……わ、たし……! もっと強ければ、私がもっとっ……!』


『バカ。たゆたは、十分頑張っただろ。死んでしまったみんなは、どうしようもなかった。お前のせいなんかじゃない。


 九人を救って、守り続けたお前は立派だよ。誰でもない……たゆただったから、こんなに救えたんだ』


 もういいよ。


 そう、零れた言葉が届いただろうか。今度こそ顔を上げたたゆたは、悲しそうだったけど納得したように首を縦に振る。


 沢山を頑張った仲間の頭を撫でれば、たゆたは大層嬉しそうに微笑んだ。




『えっ……先に帰ってろって?


 なんでだよ。たゆたも一緒に帰ろうよ、こんなとこ危ないし』

 

『そうよ、たゆた! 一緒に帰りましょうよ』


 みんなが扉を潜り、向こう側に一歩入ってからたゆたがそう切り出したのだ。無論みんなでそれに不満を漏らす他ない。


『指輪を返さなきゃいけないの、まだ儀式に時間が掛かるから……ごめんね。指輪の楔を解いて自由にするのが召喚の条件だから。


 大丈夫、すぐに追い付くから。ライムが帰る前にちゃんと送ってくれるから平気なの。みんなは先に行ってて、きっと外は大騒ぎだもん。


 みんなの家族も、心配してるよ』


 そう言われれば、誰も何も言えなかった。もう外は夜明けを迎えている頃だろうとライムが教えてくれた。朝に家を出て、丸一日が経過しそうなのだ。当然家族は心配しているし、事件になっているのは避けられない事実。


『ほら、早く早く!! 大丈夫、すぐに追い付くって』


『……約束だぞ。


 終わったら、絶対に真っ直ぐ帰って来いよ』


 そっと扉から左手の小指を差し込めば、たゆたは呆れたようにそれを見てから同じように小指を出して絡める。


 馴染みの歌を歌って、約束を交わす。


『早くね、たゆたちゃん』


『待ってるからな』

 

 みんなが扉の奥を歩き出す。今までの暗く不気味で、突然何か怖い生き物が飛び出して来ない明るい光に満ちた場所。自然とみんなの会話も弾んで一番賑やかな時を過ごす。


 そんな中。一人、静かな男がいた。


 黙り込んで歩く新食に歩幅を合わせていれば、口を開く。


『俺さ。


 いつもポケットには、飴を三本入れてるの。たゆたんはすぐ風邪ひくし、尊はカラオケ行ったらすぐ喉枯らすから』


『あー……確かに、お前いっつも飴くれるもんな』


 棒付きキャンディは、新食の必須アイテム。ただ本人が好きだから持っていたのかと思えば、俺たちを気遣って常備していたのかと驚く。


『気付いてたんだ。飴……教室で起きてポケットに手、突っ込んだら一個しかなかったから。落とす場面なんかなかったし、盗まれるようなもんじゃない。


 たゆたんから話聞いて、わかったんだ。一度目で死ぬ前、飴を食べたのは俺と尊。俺は噛み癖のせいで無意識に飴食べちゃうし、斉天大聖を失った尊にも……多分あげたと思う。泣いて叫んでりゃ、喉も痛くなるだろうし。


 たゆたんは、断った』


 いつも新食から貰う飴を、嬉しそうに受け取って今日はこの味だ、今日は新しい味、と毎回コロコロ表情を変えて受け取る懐かしい記憶。


『なんで受け取らなかったのかって、ずっと考えてたんだ。


 気分じゃなかったのかな。好みの味じゃなかったのか。戦闘中は邪魔かな、とか色々考えたんだよ。ほら、二回目の時に花は受け取ったでしょ。だからどうして飴は受け取らなかったか。一回目の時は……たゆたんのことだから、申し訳なくて受け取れなかったのかなー?


 でもさ。だって今まで断ったこと一度もないんだよ? 増して、二回目はたゆたんもライムを手に入れたじゃん。受け取って、何か都合の悪いことがあるんじゃないかって』


 考えても、俺には何もわからない。


 でも。


 なんだか。


 胸が、ザワザワする。


『勿体ないって……思ったんじゃないかな』


 頭が、ガンガンする。


『食べたらなくなるでしょ、飴は。花はなくならない。


 だから……、多分食べれないだろうから受け取らなかった。貰った物でも、大切な人とかから貰うと食べ辛いことって……あるじゃん? あの飴は、今まで色んな場面であげてきた……謂わば思い出の物だ。だから受け取らなかった、大切な思い出の飴だから。


 何故なら』


 

 わかっていたから?


 それを受け取ったら、過去を思い出す。取り出す度に泣いてしまうような、思い出深いもの。花は違う、今日初めての贈り物だ。



 何故なら。


 

 彼女は、今日でその思い出が最後なのだとわかっていたんじゃないのか。妄想だ。全て俺たちが勝手に想像したこと。だから、確認しなくちゃいけない。



『っ……たゆたァーッ!!』


 新食と共に、振り向いた。


 入り口から一歩も動かずに泣きながらこちらを見ていたたゆたが、驚いたように目を見開いた。


 ああ。


 なんで。泣いてるんだよ。


『たゆた!!』


『たゆたん!!』


 同時に走り出して、一心不乱に手と足を動かす。泣いているたゆたの元に一秒でも早く辿り着きたかった。


 ああ、なんで。


 どうして、気付いてあげられなかった。


『待ってろ、今——、』


 フワリと柔らかに笑う彼女が、何かを口にしている。


 なんだ? なんて、言った? 


 声に出さずに、でも確かに言葉にした。多分五文字……だろうか。口の形を頭に叩き込んで何て言ったのか聞き出してやると意気込んだ瞬間。


 目の前に突如現れた掌に顔面を掴まれて、俺たちは足止めされたのだ。


『……悪いな。許せよ……』


 火黒……先生、?


『約束した通り、記憶を消させてもらう。


 ご苦労さん。お前たちは五体満足、生きたまま元の世界に帰れるぜ。俺が保証する。


 この神典 罪区特殊異界学校での記憶を全て消す。続いて、羽降たゆたに関する記憶も引き続き消させてもらう。


 長生きしろよ、お前ら』


 なに、を……


 何を言っているのか? この人は、一体何を言ってるんだ?


 たゆたの、記憶を消す……?


『恨んでいいぜ。


 この結末を招いた不出来な大人を。未完成の神を。


 何もかも忘れて、生きてくれや』


 


 最後に見たのは、笑顔で俺たちに手を振るたゆたとその隣でそんなたゆたを悲しげに見つめるライム。そして、たゆたの背後に佇む白呪の姿。


 その更に、後ろで……エメラルドの光りが視界を塞いだのを最後に。




 次に目が覚めた時、俺たちは元の世界で体育館で眠っていたところを警察や救急隊によって救助された。星が光る薄ら闇。間もなく明ける朝を間近に、多くの死体の中から見つけ出された。



 その後生き残ったとして病院に運ばれて、入院を余儀なくされた。





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