第三十六話 涙
まるで、映画か何かのワンシーンを見ている気分だった。一糸乱れぬ攻防は過激さを増していき息をつく間もなく戦いは続く。何度攻撃を防がれても、次々と更なる手が加えられてモレク神を追い込んだ。どれだけ像による邪魔が入ろうと、誰かがヘマを踏んだところで、必ず誰かがそれを修復しては戦況をコントロールしていく。モレク神がその連携に押され始めているのは、見て取れた。
たゆたがモレク神の足に飛び付き、その身を止めた。無謀とも言える行動……しかし、モレク神の意表を突くには十分と言えるほどの衝撃を与えた。その身を貫こうとするモレク神だったが、その二人の足元に巨大な赤い魔法陣が展開する。
俺たちは、それを知っていた。
赤い花弁が、魔法陣の中で舞い上がる。それよりも後方でステッキを構えたライムは閉じていた目を開いて術を発動する。
【“
光り輝く魔法陣の中、モレク神が持っていたはずの黄金の剣はたゆたの手にあり彼女はそれを瞬時に両手で握りしめてモレク神の右手に突き刺す。
そんなたゆたを睨み付けるモレク神が、左手でその細い喉に向けて手を伸ばしたところを白呪がそうはさせまいと、その腕を掴んでは抱え込む。両手を塞がれたモレク神が無限に溢れ出す像を使って彼らを排そうとしたのだろうが……それよりも先に、動き出した者がいた。
『命ずっ……ソロモン72柱が21を授けられし、モラクスに!!』
叫ぶ王の声に応えるべく、牛の姿をした巨漢は刀身が銀の大刀を振りかぶって……半身であるモレク神の前に躍り出る。
『私に孤独を与えようとする邪悪なる神を、その力を持って、
——、斬り捨ててッ!!』
【我が王よ……心より、感謝申し上げる。
承知した。我が半身を全身全霊で……斬り捨てよう】
左上に大きく振り上げられた大刀が、正面に立つモレク神の右肩から斜め一直線に振り下ろされた。
袈裟斬り……噴き出した血飛沫が、モラクスにかかっては汚していく。止めどなく溢れるそれに魔術を行使しようとしたが、瞬時にそれを察知した周りの悪魔たちがそれを止めるために次々とその身に己の武器を突き刺していく。
身体中に、槍や剣……矢を突き立てられたモレク神は朦朧とした足取りで、しかし確かに標的をその目で捉えていた。
【っ……、まだ……!! まだ、だ!】
『いいえっ……これで、終わりだよ!!』
十の指輪は、一つの指輪へと。
左手の薬指にはめられたソロモンの指輪が、彼女に力を貸すように光り輝く。取り出した罪花を持って最後の敵に立ち向かう中……その剣が赤から光を放つ、どこかの伝説にでも出てきそうな聖なる剣へと変化したのだ。聖剣の光を反射する瞳を見たモレク神が、眩しそうに目を細めた瞬間……小さな体と、その素早さを最大限に活かした一撃が邪神の心部へと到達した。
【ぁ、がッ……】
モレク神の燃える、長い両手はたゆたを捉えることなくダラリと落ちて……その身が仰向けに倒れると、たゆたも同様に崩れるように共に床に倒れた。
ザワリ、と揺れる体育館。
共に倒れたたゆたを心配したソロモン72柱が固唾を飲む中で、誰よりも正気を取り戻して駆け寄る悪魔と獣。
しかし、様子が可笑しい。
【なんでしょうか……今のでトドメではないのですか】
【ちょっとここからじゃ遠いね。移動してみちゃうー?】
ハルファスがベリアルにそう問えば、腕を組んでいた彼が静かにそれを解いてチャリオットから飛び降りるとコツリ、コツリとヒールを鳴らして優雅に歩き出す。
『シカトだ……。どうしたのかな?』
『たゆたんはどうなったわけ? 周りの像も動かないしビーストも大体倒されてる。
俺たちも行こうよ』
反対を唱える声など上がるはずもなく、俺たちはベリアルと同じようにそこから走り出した。防壁を降り始める俺たちを慌てて手伝いに来てくれたフォラスとハルファスの力を借り、決戦の地へと向かう。
気付けば、辺りには殆どのソロモン72柱たちが揃っていて俺たちを見るとすぐに道を開けてくれた。それに従っていれば、漸く目的の場所へと辿り着く。
【……あた、たかい】
【此れなる、身から出る炎の熱さとは……違う】
丁度、モレク神の腹部の辺りに倒れ込むたゆた。驚いたままそこで固まる彼女を、下敷きにされたモレク神が咎めることなくそのままでいる。
【人間など。
死した者は、どれも硬く冷たい。
放られた幼子は、喚いて止まない。
此れなる身に関わった人間は、皆揃って涙する。子を捧げて、涙する。生贄を捧げて、涙する。宗教の不一致から、血を流しまた誰か涙する。
実際、生贄を捧げて富んだとしても。それを再び求めて生贄を捧げ、富まずとも足りぬからとまた幼子を投げる。
此れなるは、涙を所望す】
震える両手で、たゆたの目元にそっと触れる邪神を彼女は剣を振るうわけでもなく身を委ねてさせたいようにしていた。
【何故。
矛盾だ。理解出来ない。考えられない。
時代を経ても、何度人間が入れ替わろうとも。変わらない、変わらないのであれば。
壊したかった。
此れなる思考には、それしか……思い当たらなかった】
ポタリ、ポタリと流れる涙。それを見たモレク神は掬うように指を出して自虐的な笑みを浮かべた。
【教えろ。人間。
もう、此れなる身には答えが得られない。せめて倒した相手に答え合わせをしてほしい】
身を捩り、左手を動かしてモレク神の額を一つ、たゆたは小突いた。
『やだ。教えてあげない』
ニヤリ、と笑うまだ幼さの残る少女のあどけない顔に……モレク神は目をまん丸にしてポカンと口まで半開いている。そんな彼に泣きながら笑うたゆたは、続けた。
『私はあなたを決して許さない』
学校を壊した。
大切な後輩を殺した。
大好きな教職員を殺した。
三年間を共にした仲間を殺した。
思い出を汚された。
自分さえも、殺した。
『許しません。
だけど、あなたは何も知らない。あなたは人間じゃないから、私たちの苦しみを理解できないのは仕方ない』
流す涙は、葛藤の現れ。優しい彼女はきっと迷っている。
この惨劇を生み出した元凶を咎めたいのに、咎められない己の心と。
『神であるモレク、あなたは何も悪くない。悪くないよ、だけど。
間違っているのだと、人間である私は何度でも叫んで挑んでみせる。私がいなくなっても、私じゃない人間が何度でもあなたの前に立つから。
でも。
いつか、あなたの前ではなくて……あなたの隣に、人間か誰かが立つ未来がいつか来るなら。あなたはその時、嫌ってくらいこの涙に悩まされるよ』
モレク神の上から這うように退き、武器の数々に気を付けながらたゆたは彼の隣に倒れるように寝転がる。
首を横に向けるモレク神の横には、未だ笑みを浮かべながら彼を見つめるたゆたがいた。
【ぁ、あ……そう、か……だから、この悪魔共は……】
一瞬だけ周りを見渡しながらも、モレク神はすぐに横にいるたゆたに目を向けた。穴が開くほど見られて、居心地悪そうにたゆたが目を逸らそうとするもモレク神は微動だにしない。
【……間違って、いた……か。
そう、だな……そうなのだろう。負けたのだからそう認めざるを得ない。
敗者は勝者に従う。だから、此れなる野望を満たした今日を祝して……素直に、負けと君の教えを受け取る】
『そっか……なら、私は君の先生だね』
黒い炎がモレク神を包み、その体を足元から徐々に燃やしていく。慌てるたゆたとは対照的に黙って炎を受け入れるモレク神。
【案ずることはない。君には燃え移ることはない……此度の役目を終えられなければ、こうして消される定めと制約を交わした。
神と妖の化身よ。此れなる身を唆した輩が、外で相当暴れている。止めるのならば、気を付けることだ……中々手強い】
まだ燃えていない左手で、もう一度たゆたの涙を掬おうとしたがモレク神はそれを躊躇ってその手を引いた。
それを躊躇うことなく触れ、自身の頬に寄せたたゆたに驚愕の表情を浮かべる。
『君の優しさを、信じるよ』
【優し、さ……?】
頷くたゆたに、モレク神は何も言えないまま……そっと頬を撫でてから手を引いた。あっという間に全身に至った炎の中で、彼は静かにその左手を抱いていた。
【……変だ。
熱いのは、体のはず。何故……。
何故、此れなる胸は、こんなにも痛むのだろうか】
モレク神、と名を呼ぶ声に彼が顔を上げた。辺りが
『モレク、モレク神っ!!
目を、ああっ!? 流れちゃ、流れちゃってる!! モレク、君なみだっ!!
泣いてるよ!!』
炎が全身を燃やす。既に焼かれた手で、まだ焼かれていない顔にモレク神が触れた。
その目から流れる、確かな雫に……彼は顔を歪ませて笑った。
【……っ、ぁ。
ああ……得た、得られた。これが、涙……此れなる身を体現する、ぁあ。
君は、こんなに……苦しい気持ちだったのか……炎より、胸が痛くて……熱いな。
君よ……
謝罪を述べる卑怯な邪神を、どうか憎んでくれて良い。
すまない……泣かせてしまって、すまなかった……】
『許さないよ。
だけど……わたしは、ゆるしてあげますっ……』
全ての元凶たる邪神 モレクは炎に包まれて消滅した。周りの像は全て崩れ落ちて僅かに残っていたビーストも全て消滅した。
泣きながら立ち上がったたゆたが、元に戻った罪花を高らかに掲げて笑う。
『邪神モレクは答えを得て、消滅した!!
私たちの勝利です! ソロモン72柱の力を、今一度集結させた完全なる勝利に、
——感謝をっ!!』
ワッと沸いた体育館で、誰も彼もが勝利に喜び吼えた。悪魔たちがたゆたに寄っては小さな体を揉みくちゃにし、俺たちの元に来た悪魔たちは頭やら背中やら好き勝手に叩いたり撫でたりと好き放題だ。
勝ったのだ。
この、罪区特殊異界学校という地獄の最後の敵を倒して。
俺たち十人は、生きている。
【ゆっくりしている場合?
言っておくけどね。この異界を展開したのはモレク神なんだよ? それが消えればここがどうなるか……お分かりだよね】
お祭り騒ぎの集団が、ベリアルの言葉で一瞬にして停止する。当のベリアルといえば何でもないように扉があったはずの場所を指差している。それがどうしたのかとそこに目を向けた瞬間、扉があった場所が崩壊して閉ざされた。
……え?
【術者がいなくなれば神典は崩壊する。生者は正しい扉から神典を脱しなければ、そこらの死体と同じ運命となるよ。
……そんな顔しないでよ。ボクは真実を伝えてるだけだ。早く出口を探しなよ】
その一言を皮切りに、一斉にお祭りから出口を探すためのデッドレースが始まりを迎えたのだった。
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