第三十二話 悪い主人

 Side:羽降たゆた


 初めは、ライムの何気ない一言から始まった。大切な仲間たちを失ってライムと一緒に異界を彷徨い歩いて、休憩にと長い長い廊下の一角で座っていた時。


【人間。あなた、妙な気配がしますね? 血族に魔術師か……神、又は悪魔に関わった者はいませんか】


 神と言われれば、真っ先に思い付くのは海神様。しかしライムに出身地に棲まう海神様について話してみても、納得した様子はなくその後も質問を繰り返された。


『お父さんとお母さんはいません。島の長である婆様は事故で亡くなったと……』


【その両親について、またはあなたの家について何か知っていることを】


 どんどんと質問をぶつけてくるライムを不思議に思いながらも、思い付く限りの両親の記憶と丹小櫓という大きな名家の遠い親戚であることを話した。


 ライムが特に興味を持ったのは、両親について。


『私の前は、お父さんが海神様に愛された人だったんだって。産まれも育ちも海神島で、昔島に調査に来たお母さんと結婚したって聞いたよ。そういえば……お母さんのお部屋を掃除した時、遺品は全部残してあって何度か整理するんだけど。


 沢山本があるの。島は退屈だから私も読みたかったけど、


【……読めない?】


 隣に座るライムの言葉に頷くと、床にそっと指で本に書いてあった記号のようなものを書くふりをする。朧げな記憶だけど、特徴的なそれを大まかになぞっていたら突然ライムがその手を両手で掴んで止めたのだ。驚いてライムを見れば、彼は戦ってもいないのに息を上がらせて瞳孔を開いた瞳で私をジッと見つめてから肩を掴む。


【これを! これを、紙に描いたりしていませんね!? 心音に眼球の動き……あなたが嘘をついていないかは、わかります】


 あまりの変容に驚きながらも、書いていないと言えばライムは上がっていた息をゆっくりと吐いてから肩を落とした。


 どうしたんだろう……?


【……それは、恐らく召喚術式の一種。その多くの本とやらは魔術で言葉を正さなければ読めない仕様なのでしょう。ただの人間が知り得る知識ではありません。専門家、或いはよっぽどの組織に所属していたか、それを盗んだか……。


 そういった術式は、手順を守り正しく描けば望む異形を召喚出来ます。ですが。あなたたち人間のような、大してそれらに対抗する手がない者は、持っているものを捧げるくらいしか対価がない。


 理解出来ますか? 魂です。あなたなら、よくわかりますね……?】


 お母さんは、悪魔や神を研究していたのだろうとライムは語った。だから海神島に調査に来て、神が宿るとされる海神様について知ろうとしたのではと。


【そこであなたの父親です。まさか母親が神に愛された人間というだけで父親と結婚までするかは置いておくとして。


 代々海神に纏わるものを宿す一族の分家と、海神に愛された人間。つまりあなたたち一族はその血筋に神との絆が生まれるほどの力ある人間なのです。もしかしたら……あなたの父親は、既に海神を自在に操っていたのかもしれませんね】


 お父さんが、海神様と?


 想像してみた。今、私が悪魔であるライムとこうして隣に座っているようにお父さんも海神様と共に歩む姿を。


 その時、私は唐突に過去の記憶を思い出した。


 大柄な男性の肩に座り、幼い私は海を眺めると両手を広げて誰かのことを待つのだ。私を持つ褐色の、よく焦げた腕を男性が伸ばして海にかざせば……海から水色の髪にアクアマリンをはめ込んだような瞳を持つ神秘的な男の子が私たちに淡く微笑むのだ。


『……ぁ、れ?』


 胸が苦しくなり、咄嗟にそこを押さえた時に……あのポーチに触れた。その中身を眺めたい気分になってそれを出し、見ていれば隣から盛大な悲鳴がした。どうしたことかと、戦闘かと思ってライムを見れば彼は一点を凝視して口を覆っていた。


【に、人間!! お、おおおま、お前、っ!!


 それ!! それを一体どこで拾って来たんだ!!】


 ポーチから取り出して両手に持った九つの指輪は、亡くなった仲間たちの遺品。


『何言ってるの。これは亡くなった、……みんなの遺品だよ。悪魔さんが持って来て良いって言うから持って来たのに……。


 でも、みんないつの間にこんな指輪したんだろう? 指輪は校則違反だし、全部同じようなデザインなの。もしかしたら……クラスで用意してたのかな。私、今日誕生日だからサプライズかなって……やっぱり大切なものかもしれないし返して来た方が良いかな』


 指輪を抱えて教室に戻ろうとした私を、ライムが慌てて止める。不安がる私をなんとか宥めようとあれこれする彼を不審に思いながらも再度座る。


【それは!! その、六芒星……秘められた魔力に禍々しい気配。間違いなく、ソロモンの指輪……何故こんなところにあのソロモンの指輪が】


 ソロモンの指輪?


 恐る恐る、といった様子でツンツンと指輪を突く。聞いたことはある。それこそお母さんの部屋にその類の、普通の人間でも読めるような本もあった。よく似た偽物ではないかと提言するもライムは断言した。


【本物です。マジモンですよ、ええ。本物を見た悪魔が言うのですから間違いありません。これはソロモンによって分散されたソロモンの指輪です。


 あと一つ揃えば、これは真の力を取り戻して……、まさか……】


 私を見つめるライムは、その先を言うことはなかった。私の手を取って歩き出したライムに、私も何も言わずに着いて行った。


 運良く生き残った十人の子ども。


 死と同時に現れた九つの指輪。


 残された、最後の一人。


 私なのだろうと、理解出来た。何も言わないライムの背中がその答えを物語っている。私にある妙な気配とやらは……きっと、その最後のソロモンの指輪なのではと。


 何故なのだろう。


 ソロモンなんて関わりのない、知らない人だ。神の絆なんてわからない。私は、ただの羽降たゆたではないの?


【……必要ありませんよ、こんなもの。人間、顔を上げなさい。


 私が、あなたを生かしてみせます】



 繋がれた手に、両手を重ねた。そっと私を盗み見るライムに、私はちゃんと笑えただろうか? 震える両手を固く握りしめてくれた、その温もりを二度と手放さないよう。


 そして、運命は私たちを逃してくれなかった。


 私たちは蚩尤に敗北して、死を目前にした。どう足掻いても勝てなかった、あんなに沢山戦い抜いて経験値を貯めたところで無駄だったのだと。仲間たちの元に私も逝けると思ったのに、彼はそれを拒んだ。そして発動した奥義により、奇しくも私たちは……最後の指輪を手にした。


 魂の譲渡を終えた羽降たゆたの左手の薬指には、ソロモンの指輪が光っていた。


【私たちは、大きな間違いを犯した】

 

 有り得ないはずの、二度目。タイムリープというのだろうか? 私たちはそれによって過去に戻り、更には私の遺体から最後のソロモンの指輪を得てしまった。


 ならば、活用する他ない。


【どのように足掻いたところで、我々の戦力では不利以外のなんでもない。力を集めましょう】


 私たち以外に、この異界に来た第三の勢力。以前は関わり合うべきではないし無駄な接触をするべきではないとライムは話した。実際、彼らはあまり戦闘を行うことはなかった。只管出口を探すためにチョロチョロと動き回っていて、私たちを救助するとか……そういう雰囲気ではなかったから。


 だけど、そうも言ってられなくなった。


【非常に厄介な連中ですが、神を宿し獣を飼うような手練れであることは確か。まずはこれを力尽くでも協力させます。


 ですが、間違えてはいけません。連中は確かに神に等しい存在ですが……中身は、人間であることに変わりないのだから】


 正直、あそこまで遠慮なくボコボコにされるとは思わなかった。対人戦なんて初めてだったし、何より向こうは手慣れていた。子ども相手なら少しは加減してくれると思ったのにな、ちぇっ。


 だけど、努力の甲斐あって彼らとの同盟を果たせた。私がその事実を知ったのは、少し後だけど。


【私が、君の獣器でなければ良かった】


 そんな声が、暗闇の中で聞こえた。


 海の……暗い奥底で浮かぶ、私に悲しげな声が聞こえた気がした。今にも泣きそうな、悲痛な声は……私を何度も窮地から救い上げてくれた恩人のものなのに。


 海面を目指して、私は一気に泳いだ。その狭間の向こう側にある眩しい光に向かって必死に手を伸ばせば……誰かがそれを手伝うように、海面からザバリと手が伸びた。


 誰、誰なの。


 問いかけたところで、答えは帰ってこない。ただ……その手にある赤い枷だけはどこかで見たことがあった。導かれるように手を掴めば思い切り引き上げられて意識が浮上する。気付いた時には武道場にいて無意識に白呪を呼び出していた。


【きっと……蚩尤は、あなたが切り開く未来を信じたのでしょう】


 蚩尤に打ち勝った。一度目は策略に嵌まり、二度目は敗走。三度目で、勝った。沢山の人の力を借りて、勝てた。


 蚩尤の旗を前にした時、ライムがそう言ったのだ。


【……指輪を使いましょう。それが、我々の最後の切り札です。


 大丈夫。私が、必ず全員引っ張って来ますから。だからたゆた……我が主人よ、あなたにお願いしたい。我々の主人となって下さい】



 内緒にしてたことが、もう一つだけある。


 業火の中で、私は悪いことを考えていたのだ。指輪をすれば全て終わり、始まるのに。私は悩んでいたから。


 もし、此処に……誰か来てくれたら。その人によって未来を変えてしまおうと私は、悪いことを考えた。それが、なんだか楽しくて仕方ないから最後まで笑えたのだと思う。


『羽降たゆたッ!!』


 業火に飛び込んできたのは、何の因果か火黒先生だった。


 それによって決められた未来が、少しだけ寂しかったなんて……今度こそ誰にも言えない秘密だ。


『火黒穢麦先生』


 火黒先生に抱えられる中、ポーチから取り出した十個の指輪をそれぞれの指に配置していく。


 右手の親指は、卯月千之助


 人差し指は、兵児新食


 中指は、夕凪ハヤブサ


 薬指は、丹小櫓海我


 小指は、加州芽々


 左手の親指は、魔堂きぐね


 人差し指は、母上専也


 中指は、十刃笑


 薬指は、羽降たゆた


 小指は、愛望尊



『私と、取引をして下さい』


 こんなにズルい人間で、これから会う悪魔たちに嫌われたらどうしよう。ああ、でも……きっと彼ならばどんな私でも笑って受け入れてくれる。



『あなたたち四人を、元の世界に返してあげます。


 私の願いを叶えて下されば、この借りはなかったことにしてあげますよ』

 



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