第三十話 生贄と賢王と野望
まるで玉座のような像に腰掛けたモレク神は、右手の甲に顎を乗せて俺たちを眺めると……ある一箇所に視線を止めて口を開く。
『此れなる領域に、多神が集うとは。なんとも奇妙なもの……しかしどれも拙い。神として人と交わり切れず、かと言って主導権を握るわけでもないのだから。
そのように中途半端な力を持つから、こういう結末を迎える。此れなる野望には大いに役立ったけれど』
クスリと笑う神に火黒先生が立ち上がり、子どもたちを置いて一直線にモレク目掛けて歩き出す。既に自身の奥義まで出して体力も気力も出し切った彼が単身向かおうと無駄なこと。慌てて俺と海我がその歩みを止めるべく肩や腕を掴むも、まるで射殺さんばかりにモレクしか眼中にない男は止まらない。
『なんだ? この神もどきの仲間であったか。大変役に立ったぞ、この三柱は。
厄災を放つ
そして我が権能の一部を消費して生み出した、此れなる神典……ああ。何故、と。理由を聞いていたか? 教えたところでなんになるのだろう。全ての生命は此れなる神典に捧げられたというのに』
地鳴りと共に足元から発生した、不気味な像の数々。背後では扉が消えて最も大きな巨像である牛を象った黒い何かが現れた。その腹には業火が燃え、薄暗い室内で光るそれは不気味としか言いようがない。
『あ、ああああれって、あれだよね……暖炉だよね!? まさかあの中に僕らを放り込んだりしないよね!!』
『じ、じじ神格が宿った特殊な炎ですっ……一般的に説明すると、物凄くヤバい力が込められた炎だから暖炉はないと思いますぅ!!』
情け無い悲鳴を上げる専也と、自身の先輩たちを傷付けられ涙する勝命君が泣きながらも解説をしてくれる。
他の二人も、動揺を隠しながら各自自分の武器を手にして守りの態勢を維持しようと立ち上がった時……耳を劈くような獣の咆哮が体育館全体に隈なく響き、白い鬼が単身蠢く像へと進撃する。驚くべき跳躍で宙を駆けて、両手に持つ明星を掲げ次々と襲い掛かる猛威を砕いていく。明星が触れた像はその場所から白き侵食が始まり、やがて全てを塗り替えてまるで朽ちた木のように呆気なく滅びてしまう。
白い欠片がキラキラと、雪のように降り落ちる中を共に降って来た鬼の前には一歩も動かずにモレク神を見るたゆたがいた。
まるで白呪がそうするのがわかっていたように、当然のように立っていた姿を見て玉座に座る邪神は面白くなさそうに視線を交わらせる。
『私の質問に答えて。
答えないのなら、その細っこい体に直接聞くよ』
背後の巨像の、異様なほど長い両手が動き出した。まるで俺たちを捕らえようと伸びるそれに恐れる間もなく、俺たちを守るように床下から噴火する炎展火がそれを阻む。
たゆたの近くで五杖罪幻を構えるライムが、こちらに手を振る。
『生贄になんて、させない。これ以上あなたに捧げる命なんてない。私たちはあなたを下して、明日を取り戻す』
床下から、突如として黒い手が現れた。
それはたゆたの足元から現れて、彼女に回避の隙すら与えずその胸を貫く。胸に突き刺さるそれを見て、甲高い悲鳴がすぐ近くから聞こえる。
彼女に従う悪魔は即座に主人の元に駆け出し、鬼はその表情すら見えないものの構えていた明星を持つ腕を下ろし……愕然としたように主人を見ていた。
『っ……わ、たしは』
ガツン、と。どこかで聞いたような音が耳に触れる。
『私はっ……もう、二度と』
大きく揺れた体。服の隙間から滑り落ちたのは、かつてのように傷だらけのスマートフォン。傷は更に広がり床にガラス片が散乱し、部品のいくつかが転がり落ちる。キラリと光る何かが落ちて、スマートフォンから光が失われる。
『死ぬわけには、いかないっ!!』
胸ポケットに入れていたスマートフォンが、たゆたの命を救った。一安心する俺たちを他所に慌ててたゆたに声を上げたのは新食だった。
『獣器はスマートフォンを媒体にして召喚されるんでしょ!? それが壊されたってことは……』
ハッとして再度三人の方を見る。無惨に壊されたスマートフォンを見て、たゆたは静かに自分の獣器を見つめる。光に包まれ始めるライムと、白呪。
スマートフォンが壊れてしまえば、獣器も消えてしまう。
『ライム……』
『白呪……』
最初に消えてしまったのは、白呪だ。もう殆ど全身が透けて、今にも消えそうな白呪はそっとたゆたに手を伸ばした。
【羽降……、お、れが守】
たゆたの手がそれに触れる前に消えた白呪。もう一人の獣器の方に駆け寄るたゆたは、今度こそと手を伸ばす。
ライムは最後にたゆたではなくモレクを睨み付けてから一言だけ言葉を残した。
【我が兄弟よ。後は、頼みます】
たゆたが辿り着く前に、彼は消えた。静かな体育館には未だ消えない炎の弾ける音だけが満ちている……暫くして聞こえるのは邪神の笑い声のみ。小さな笑い声で、絶えずたゆたを見つめながら押し殺すように……まるで喜劇でも見たように愉しげに。
最後の光りを失った。
頼りの白呪と、ライムが消滅してしまえばもう望みなどない。消耗した四人に目の前の邪神を殺せるとはとてもじゃないが思えない。
『傑作だな。これで終いなのか? さあ、涙せよ、人間共。
くくっ……あれほどの威勢はどうしたのだ。此れなる神を下すと宣言した絵空事は? 全く本当に』
『哀れで理解できない』
みんなで声を出し、必死にたゆたを呼び戻そうとその名を呼ぶのに彼女はその場から動かない。
また……泣いてるんだ。
『はははっ!! そのように悲しむなよ、此れなるは涙の国の君主……仕方のないことなんだ。此れなる神の結末には必ず血と涙が付き纏う。
それがモレク神だから』
たゆたの周りを、業火が囲う。周囲を見渡して炎に包まれた逃げ場のない状況……彼女は邪神の言葉に耳を傾ける。
『此れなる目的の説明を求めていたな、人間。面白い見世物に免じて語ろう。
神々を下し、この神典を生み出した目的は二つある。一つは賢王ソロモンの召喚。そしてもう一つは此れなる神器の質を高めるための生贄を欲したため。モレク神は血と生贄によって力を高める、そうだな。
そこに貴様ら人間の涙が溢れれば、此れなるは更なる力を手に出来る』
コイツは、何を言っているんだ?
『モレク神に適合した人間が生まれ、その哀れな人間は隠された狂気と此れなるを封じ続けてきた。なんてことはない、ただの人間だった。
しかし。時が経ち、元々破綻していた人間の人としての格が壊れた時に此れなる狂気が外に出た。元の人間は死に、此れなるはモレクとして肉体を奪われ受肉した』
一人の人間が、神格を宿し邪神モレクと適合して……やがて死んだ。結果として邪神モレクがその肉体の主導権を握って今、ここにいる。
『馬鹿なっ……!! 全学校がそんな人間の出現を見逃すわけが』
モレク神にそう叫ぶ火黒先生が、徐々に語尾を濁してしまう。どうしたのかとみんなが彼の方を見れば、口元を覆ったまま何かを考えるように固まってしまっている。
そんな火黒先生を見て、少しもその笑みを隠すことなく邪神は嗤う。
『気を付けろ、人間共。
最も恐ろしいのはいつの時代も同族。その組織が巨大になればなるほど、裏が出来るもの』
内部の、隠蔽?
全学校がどんな場所かは知らないが神様や力を持つ獣……人の域から出た巨大な力を得た時、全ての人間がそれを全て正しく使えるかと。
そう聞かれれば、ノーと言う他ない。
『此れなる野望は、太古から変わらぬ』
『涙を欲する』
涙?
それを聞いて真っ先に思い付くのは、俺たちを痛め付けて……傷付けて涙させる。それを思ったが、どうやら少し違うらしい。
『此れなるは、ソロモンに問うた。
涙とは、なんなのか。貴様らが流すそれは、なんだ? 此れなる身には涙などない』
『まだこの世界が若かった頃に何処かの誰かの崇拝から此れなるは生み出された。生贄を捧げ、崇拝することで繁栄を手に出来る……それがモレク神。手にした魂の数だけ強くなり、求められた分だけ存在は膨張した。
頭から被った生き血と、無垢なる魂。此れなる崇拝から始まる不幸の連鎖の果てにはいつも涙がある。子供を捧げた親が涙を流す。繁栄を与え、富を手にして涙する。
此れなる存在を争って、貴様らは涙を零すのは何故か? それはなんだ。何故わからないものに囲まれながら王として祀られた。
その理由を、知りたい。此れなる身に涙を宿すために貴様らには死んでもらう』
無茶苦茶だ。意味がわからない。
でも、この邪神にとってそれはこんな異界を生み出して多くの人間を犠牲にすることすら厭わないような理由なのだろう。
全くわかりたくない、わかってたまるか。
『賢王ソロモンに、問うた』
昔を思い出すように目を閉じた後、再びそれを開いたモレクの色違いの両目には……怒りが宿っていた。
『貴様ら人間が称えた男は、他の人間と共に崇拝した。語りかけたのはあれが最初で最後だった。
そうしたらどうだ。あれは、妻たちに言われるように高き所に神殿を構えて信仰を許しその妻は此れなる崇拝に身を投じた』
賢王が、聞いて呆れると邪神は言った。立ち上がったモレクは黒髪を揺らしながらロングブーツのヒールを鳴らし、炎に囚われるたゆたの元に辿り着く。
下から上までその体を見た後で、億劫そうに腕を組んでから首を傾げる。
『知恵を神に授けられても、人間は人間。
主を愛し、父の授けた掟に従って歩んだなどと幻想を。主に背き、国を揺るがした王に此れなる野望の答えを未だ得ていない』
『ならば。ソロモンにもう一度答えを聞くために。それが叶わなければ自分で答えを見つける為……その手初めてとして、私たちを殺して魂を全てこの異界に吸収させる。
そういう、こと……?』
小さな一人の人間を見下す邪神は、それに頷いた。
ズシン、ズシンと背後で嫌な足音が聞こえる。周りの像も話は終わりだとばかりに再び動き出して俺たちに迫る。
『此れなる野望は、モレク神には必要ないのかもしれない。
しかし。知りたい、あの国に溢れる涙とはどういうものなのか。神には必要ない。悪魔には不要のもの。しかし、知りたくて仕方がない。
奪うまでだ。此れなる渇望が、満たされるまで貴様らの涙を奪うのみ。血を吐いて、子供を
または、二度と斯様な渇きを持たぬために』
『滅びろ、人間共』
.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます