第二十九話 邪神

 体育館。


 今までそこは、生徒たちによる授業や多くの催し物で使われた場所。体育の授業に集会、発表会に……たくさんの行事で、この場所は使われて俺たちの最後の晴れ舞台でもあった。


 なのに。どうしてだろう。そこはまるで異世界だった。薄暗くて血の匂いに満ちたそこは、いくつもの悪趣味と言わざるを得ない像で埋め尽くされ、巨大なそれにまるでねじ込まれたように多くの死体があった。死者を何とも思わない、物か何かのような扱い。


 俺たちの歩みを止めさせるには十分すぎるほど残酷で、どうしようもない現実。


【丹小櫓という一族を、ご存知ですか?】


『お前……今、それを問う必要があるか』


 火黒先生たちに投げ掛けられた質問に、流石の彼らも顔を強張らせながら辺りを見渡す。今まで神と融合した存在としてあらゆる任務に就いてきた彼らでも、これは言葉を失うに値するらしい。


『……丹小櫓っていや、大昔からまつわる神をその身に宿してきた名家だろーが。その血には海との絆が結ばれ、代々一族の者には海に関する神が宿るとされたエリート一族だ。そもそも、今回の一件をいち早く報告してきたのもあの地域一帯を守護する丹小櫓だしな。


 世界にはそういう神に選ばれた血筋がある。まあ、全員が全員ってわけじゃねーが、そういう人間には絶大なる力が宿るって話だ。ここにいる麗に勝命も同じ』


 丹小櫓は別格だが、と呟く火黒先生たちにライムは海我とたゆたの肩を持ちながら彼らにズイッと近付ける。


『そうです、流石有名な名家ですから一般人にも広く浸透していて説明の手間が省けて助かります。


 こちら、その丹小櫓の本家の御子息とその遠縁に当たる分家の娘です』


 染めた黒と金の髪を揺らす海我は、ライムをギロリと睨んだ後ですぐにたゆたを自身の背に隠すようにする。


 隠したところで言ってしまった言葉は元には戻らず、火黒先生たちはこれでもかと言うほど目をかっ開いて二人を見ては数歩後退するほどの動揺っぷりを見せた。


【丹小櫓海我は本家の息子。羽降たゆたは分家の娘。と言ってもこの二人は神器ではなく普通の人間として育ちました。丹小櫓海我には神格がなく、羽降たゆたは小さな島で育った無知な娘ですから。


 しかし。羽降たゆたには、確かに神格が備わっていた。先天的ではなく後天的ではありますがそれは神の器として相応しい。


 この神典を創り出した者は、そんな羽降たゆたを利用しようとしていた。未発達ではあるが神に等しい入れ物を使い、本来はこの異界を更に強力で邪悪な物として誕生させようとしていた】


『後天的神器……? 確かに、そういった者はいるが。この娘からは神格は感じねーぞ』


 火黒先生が穴が開くほどたゆたを見れば、海我が忌まわしげにそれから守るように完全にたゆたを隠してしまう。


 そんな二人を微笑ましげに見た後、ライムは続ける。


【今は感じませんよ。羽降たゆたの神格は丹小櫓が封印しました。丹小櫓が羽降たゆたを狙う者が現れたことを知り、その力を悪用されぬようにと早々に手を打ったのです。


 しかし、諦めなかった。いいえ。諦められない新たな理由を知ってしまったからこそ、はこれを実行した】


 ステージに浮かび上がる、不気味なオブジェが光を帯びる。十字のそれはステージに三つ並び、目を凝らしていると真っ先にそれを見て怯えたのはハヤブサだった。口を押さえ、目を逸らす彼はその広い額に油汗を浮かばせながら目を様々な場所に回す。


【羽降たゆたは手に出来ない、厳重な丹小櫓の監視体制で諦めざるを得なかった。


 しかし。他は整った。整ってしまえば簡単です、土俵を作って強引に他のものを引き摺り込んでしまえば良いのですから】


 悲鳴が飛び交う。


 少年少女の悲鳴と、そんな彼らを抱いてそれを呆然と見る教師。彼の手を振り払おうと足掻く彼らは泣き叫びながら手を伸ばす。


『先輩っ……!! そんな、どうして先輩たちがっ!!』


匣重はこえ先輩っ……、怪白美かいはび先輩に、常闇とこやみ先輩まで……』


 磔にされたその人たちは、全学校で彼ら三人の先輩である三人だった。死んでいるのか、生きているのか、離れたここからでは全くわからないがグッタリとその身を投げ出して目を閉ざす姿から最悪の状態を垣間見せる。それぞれが酷い姿だった。体に穴が空き、パックリと裂いた傷の数々。一人は元々義足だったのか機械の足は太腿から下がなくコードやネジが剥き身で垂れ下がる。


【神たる者たちを触媒として、この異界が生み出されたのですよ。


 わかりますか。お前たちの一角が下されたせいでこの忌まわしき異界が誕生したのです。これを責めるのはお門違いなのですがね。帰ったらしっかりと再販防止策を練り出すように。


 ま。今現在、あらゆる場所でこういったことが起こっているのですが。お前たちもよく知ってますね?】


 ——……同時に同レベルの案件が湧いて来たんだよ、第十位級がポンポンと……人手不足に決まってんだろ。


 ライムの言葉に、生徒たちを抱きしめた火黒先生がその場に崩れ落ちる。右手で顔を覆い、叫び声を上げるその声は痛々しくて仕方なかった。


 各所に散った全学校の生徒たちは、自分たちの仲間を触媒とされた神典に乗り込み苦しんでいるのだ。


【神の力に驕るから、こういう事態に陥るのですよ。純粋な神ですら愚かな結末を迎えるのです。それが人間が混じっていればより苛烈な歴史を生むのは必然。


 だから悪魔に嗤われるのです。関わらずに高みの見物をしている方がよっぽど我々の好みですから】


 ヒタリ。ヒタリ。ステージ脇からゆっくりとした足取りで歩いて来るそいつは、間違いなくこの地獄の元凶たる悪の権化。


 細身に長くザンバラな黒髪。黒に金の刺繍が施されたコートを羽織り、背中を丸めてポケットに手を突っ込んだその男はふと足を止めてこちらを向いた。


『やっと来た。


 表情を変えることなく、一定のトーンで喋るそいつの声はやけに通るものだった。しかしそれに感情は一切含まれていない。まるで機械でも喋ったようだ。


『……アイツ』


 ふと声を上げた海我は、たゆたを庇う姿勢を変えることなく驚きの言葉を発した。


『たゆたに……何度も声掛けて、つけ狙ってた野郎じゃねーか……』


 本土に越して暫くした頃。俺たちはたゆたにある相談を受けていた。ずっと自分についてくる気配があり、たまに知らない人間に声を掛けられてはどこかに連れて行かれそうになるのだと。それを聞いた俺と新食、海我は先生にそれを報告して警察へと相談に行ったのだ。自分の妹のように気にかけている親戚の危機に海我は憤慨し、先生も同じようにこれを危険視して登下校は二人が必ず一緒になった。そして俺たち二人は、誰かしら都合が悪くなった際の代理として。


 それからすっかりなりを潜めた犯人だったので、諦めたのだとばかり思っていた。


『待ってたよ。来るなら、君たちしかいないのだから』


 まさか犯人が、こんな形で現れるだなんて。


【下がっていなさい。そこの妖と神たちも……こうなるだろうから期待はしていなかったのですがね。


 兄弟。行けますか?】


 ずっと誰かの背中に隠れていた彼女が、なんの躊躇いもなくそこから出た。守るはずの存在に手を伸ばすも、海我はすぐにそれを戻して話し掛ける。


『……ごめんな。俺が……出来損ないだから、お前にばっか……』


 海我は学校を辞めるはずだった。その詳細は聞いていないが、今ならわかる。


 神器として海我は、その資質を兼ね備えていなかった。学校に行くよりも実家で手伝いでもするつもりだったのかもしれない。荒れ果てた性格は、周囲のしがらみから逃れるためだったのか。


 そんな彼の元に、幼馴染である泣き虫な妹分が帰ってきた。守らなければ何者かに奪われるその存在を、今日まで大切に守って来たのだ。


『違うよ、海我ちゃん。海我ちゃんが今までたくさん私を守ってくれたから、私はそれが嬉しかったんだよ。


 私が海我ちゃんを守れるなんて夢みたい。ちゃんと守り切るんだから、肝に銘じててよね!』


 歩き出す足取りは、少し遅かった。見れば少し震える肩が滲み出る恐怖を押し殺している。


 それを振り切るように振り向いたたゆたの胸元には、見たことがあるポーチがぶら下がっていた。


『そうだ。


 専也君。ポーチ、借りてるね。未来のやつだから今のものはキチンとあるだろうけど。これ、専也君のでしょ? 可愛いね、これ』


 胸にぶら下がるポーチは、あの時教室で下敷きになっていたポーチだった。アニメのキャラクターをイメージしたポーチは、確かに三組であれば専也が持っていると想定される。


『うん……全然、良いよ。たゆたちゃんの役に立ったなら本望だよ。


 そのアニメ、去年の覇権アニメだったんだ……今年映画公開だし。凄く面白かったから、帰ったらみんなで一緒に見ようよ……』


『嬉しい。私、映画館で見るの大好き』


 ポーチを抱きしめながら、たゆたは駆け出した。隣には悪魔を従えて、真っ直ぐと走る。右手に握られたスマホから白い魔法陣が光り、白呪が現れて三人でたゆたを挟むようにして並んで行く。


 男が右手に黄金の剣を手にすると、磔にされた女性の足にそれを突き立てる。悲鳴一つ上げない女性の身から流れる血……そこから夥しいほどのビーストが現れると、一気にたゆたたちに襲い掛かる。


『白呪!!』


 並走していた白呪が走るスピードを上げると、二本の明星を取り出して両腕を広げてから素早く閉じる動作をする。すると明星から鎖が外れてビーストの波に鞭打つようにして敵の勢いを削ぐ。鎖で捉えられなかった敵には距離を詰めて単純に、殴り掛かる。


 しかし、血が流れる限りビーストは産み落とされ続けるらしい。無限とも言えるほどに湧いてくるビーストに、たゆたが指示を飛ばせば即座にライムが宙を舞う。


【神の尻拭いなど、本当に迷惑な話だ】


 ライムが唱えた呪文が詠唱を終えると、ステッキを血を流す女性に向ける。すると彼女の足元から赤い魔法陣が展開されて磔にするオブジェごと障壁が包み込む。


 閉ざされた空間に囚われたビーストたちは、やがて姿を消す。


『武継分通!!』


 赤い花が刻まれた杖を高く鳴らし、そこから生み出された大火が床下でふつふつと主人の呼び声を待つ。スッと息を吸ったたゆたは、体育館全体に轟くような勢いで叫ぶ。


『炎展火ッ!!』


 ドン、と爆発するように溢れた炎が真っ直ぐと男に向かって放たれた。たゆた一人だけの魔法なのに、あまりの威力に俺たちは驚きを隠せず言葉もない。


 しかし。


 男はそんな大規模な魔法にすら、眉一つ動かすことなく冷静だった。どこからか現れた金の壺が男の前に出たかと思えば、その壺が炎を全て吸い込んだのだ。


『なるほど。流石、求めただけの器』


 表情一つ変えない賞賛に、たゆたはハッとしたように杖を消して新たに明星を取り出す。


『さぁ。もっと、見せておくれ』


 壺から出た、巨大な炎の波。たゆたのそれを何倍にもした威力の炎に、たゆたは明星を構えて息を整えた。両手に持った明星を目一杯右に振りかぶると、炎の到着と共に思いっきり払う。炎が、砕けた。その表現が一番正しい。


 殺し切れなかった勢いから、その場に転ぶたゆたを……ステージに立つ男は初めて感心したような、喜びを顔に滲ませた。


【気色悪い。あまり我が兄弟をジロジロと見るな】


 ライムと白呪が同時に攻撃を仕掛けるが、男の壺に全て吸い込まれてしまう。


 金と水色の瞳は、ずっとたゆたに向けられている。 


『私の名前は羽降たゆた。


 ここに異界を開いた神よ、あなたは誰ですか。あなたの目的を教えて』


 近くの像に腰掛け、男は……頭部から二本の牛の角を現してこう言った。






『此れなる名は、モレク。


 涙の国の君主であり、生贄の神と仰がれし尊き神である』




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